シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

「ご苦労様です」

2006-07-27 10:39:18 | 世の中あれこれ
文化庁の「国語に関する世論調査」が、
新聞やTVで取り上げられている。

日常、口にしている言葉。
だが、間違って使われたり覚えこんだりしている言葉が、
あまりにも多いことに気づく。

以下、16歳以上の回答で、
正しいと思ったり、実際使っている人の%だが、

◎あいきょうを振りまく   43.9%
  あいそ(う)を振りまく   48.3%
◎怒り心頭に発する    14.0%
  怒り心頭に達する    74.2%
◎腹に据えかねる     74.4%
  肝に据えかねる     18.2%
◎言葉を濁す       66.9%
  口を濁す         27.6%

正しいのは◎のほうである。
ちなみに、国語には少し自信のある?私だが、
やはり、「怒り心頭に達する」で覚えていた。
でも、字面でみると、
頭という部分には、「達する」という感じもするし、
「発する」が正しいと言われても・・と思ってしまう。

日本語は本当に難しい。
ただ、いつも思うのだが、
時々こうして、文化庁や文部科学省や国語の団体などが、
間違いだらけの日本語、といった形で発表する。
しかし、日常それが知らされているわけでもなく、
問題なく使われている現実をみると、
「日本語の乱れ」や、「嘆かわしい」という結果でもない気がする。

「ご苦労様」。
これは、年上の人に対して使ってはならない言葉。
昔の、目下の者に対して「ご苦労であった!」という流れで、
正式には、上から下に対してのみ、使われる言葉だ。

でも・・である。

人間、本当に苦労したり大変な思いをした人を前にすると、
思わず「ご苦労様でした」と言ってしまう。
そこに、年上も年下もない。
「お疲れ様でした」というのは、また少しニュアンスも違う。

その事をなまじ知っていた私・・。
先日、夏祭りの準備をしていて、
一人で準備をして下さった年上の人に対して、
「お疲れ様でした」と言った。
しかし、準備はそのあとまだ続く。
「お疲れ様」は、全てが終わった時の挨拶で、
ここではやはり、「ご苦労様でした」というべきだった。

正しく使おうとすると、ぎくしゃくしてしまうのが日本語。

要は、自然に出るねぎらいの言葉が、
一番正しい日本語、という気がする。
この記事も、正しい日本語になっているかどうか、
読み直したが、これで妥協する。

男の炊事当番

2006-07-21 17:15:37 | 人とのつながり
私は、地域の活動として、ある団体に所属している。
今年4月からは、そこの代表責任者になっている。

毎年、夏のこの時期に会合が多く、週1~2回集まっている。
だいたい20~40代の男性ばかり、十数人。
いつも、ビールとおつまみを前にしゃべっているが、
夕食をとらずに来るメンバーが多い。
当然、腹も減る。

昨年は、宅配ピザなどを注文していたが、
これが意外と出費になった。
会の財政も圧迫された今年、
「炊事当番制」を設けた。

一回4,000円。
当番は、この金額内で、好きなものを調達する。
自分で調理しても構わない。
全部、コンビニおかずでも構わない。
とにかく、4,000円以内で、会合までに用意する。

「スーパーの惣菜」組が一番多い。
これも、人によって中身が違う。
焼き鳥に唐揚げ、コロッケなど、
ひたすら肉類ばかり買ってきた者がいた。
かと思えば、漬物だのオカラだのひじきだの、
ヘルシーそのもの、という者もいた。

奥様にすべて任せた者もいる。
その時は、我が家より立派な夕食のおかずが並んだ。
韓国出身の奥様を持つメンバーは、
激辛料理を並べた。でも、全員この時は食べ尽くした。

そば店主のメンバーもいる。
彼が担当した時は、おそらく4,000円を超えた料理が出た。
彼いわく、「あり合わせの物で、簡単に作りました」

中身や品数はさまざまだが、
要は、みんなのために考える、という気持ちが大切だ。
閉店間際のスーパーで、
残っているものを、ありったけかき集めて用意した者もいた。
夜まで、仕事が忙しいメンバーだったが、
とにかく、約束通り用意した、その気持ちが嬉しかった。

明らかな、精神的負担。
でも明らかな、精神的つながり。

今夜の担当だが、当番が急に欠席となったため、
私がすることになった。
このブログを投稿したら、さっそく買いに行くつもりだ。
私もスーパー組だが、肉、魚、野菜とまんべんなく用意する。
種類だけは豊富な責任者、で通っている。

アドレス心機一転

2006-07-19 09:55:30 | 日常から
昨日、メールアドレスを変更した。

パソコンと携帯、二つ持っているが、
今回変えたのは、パソコンのほうだ。

ここ一ヶ月ほど、
何やら、英語の広告メールが頻繁に入ってきたのと、
私のアドレスは、自分の苗字が入っているからだ。
これが、友人から
「個人情報流出などのこの時代、好ましくない」と指摘されたのだ。

元々、仕事でホームページを作成する気で、
アドレスも合わせて苗字を付けたのだが、
結局、メールだけの活用になっている。
たしかに、変えようかなという思いはあった。

昨日変えたところ、
今日は一通もメールが来なかった。(当然だが)
ただ、サークルやデパートのメルマガも見ていたので、
そちらには今日、変更届けを出した。

数年間、使って来たアドレスだったが、
これで心機一転だ。
といっても、たいした一転もない毎日だが。

写真が私のパソコン。仕事場にある。
このブログも、このパソコンから打っている。
仕事場なので、私のブログはいつも平日の昼間発信で、
休日は休み、というわけである。

もちろん、ちゃんと仕事はしています。

博多祇園山笠

2006-07-15 16:42:03 | 世の中あれこれ
今日は、博多祇園山笠の最終日、追い山の日だ。

といっても、この追い山は未明に行なわれる。
したがって、この時間はもうすべてが終り、
博多の街に、静寂が戻っている頃だろう。

7月1日に幕を開ける、博多山笠。
二週間に渡って、博多の男たちを熱くさせる。
しかし、この祭りの準備は、正月から始まっている。
半年にわたる準備を終えて、迎える祭り。
博多は、山笠とともに歩んでいる。

追い山は、午前4時59分、
櫛田神社での、一番山笠の「博多祝い唄」で始まる。
そして、5時ちょうどに、一番山笠がスタート。
その後、七つの山笠が順次スタートし、
須崎町までの5キロを走り、そのタイムを競う。

どうしても追い山が見たくて、
初めて九州に行ったのが19年前だった。
未明の祭りということで、宿泊も予約しなかった私。
博多の街で、観光客や地元の人々とともに夜を明かした。

追い山は、予想以上の迫力だったが、
何よりも、この日この時のために準備をし、
あるいは、全てを捧げているであろう男たちを見て、
感動を覚えてしまった。

この一ヵ月後、香川・高松の「高松おどり」と、
徳島の阿波踊りも見に行ったが、
山笠を見たゆえに、四国の祭りに女性的な美しさを感じた。
やはり、山笠は「男の祭り」そのものだった。

全国、これから夏祭り。
どこも、その日のために準備や練習を重ね、
熱いその時を迎えるであろう。
でも、ひと足早く終わる博多の街は、
全国のどこよりも早く、今日から静かな夏を迎える。

博多祇園山笠について

中学校へのお願い

2006-07-14 15:06:54 | 日常から
卒業した中学校を訪問した。

地元の、すぐ近くにありながら、
特に、用事や同窓会などもないまま、
二十数年が過ぎた。
うちは、中学生の子供も私立の学校に行っているので、
本当にこの学校とは、その後縁がなかったのだ。

今日、文字通り、
中学の卒業式の日に出て以来の門をくぐり、
学校の中に入った。

しかし、その用件は実は残念なものだった。
昨日、この中学の生徒が、
バスも走る大通りの真ん中を、自転車で走り回り、
次々と車を急停車させたあと、
発進しようとした私の車の直前を横切った。

間一髪で私も急停車。
その中学生は、仲間と一緒に交差点の角で、
停車した車の列を見て笑っている。

放っておくべきではないと判断し、
今日、直接学校に行ったのだ。

校長・副校長とも不在ということで、
応対に出たのは、まだ若い女性の先生だったが、
厳しい眼差しは、やはり中学生を預かる先生だった。

私は、名刺を出し身分をちゃんと明かし、
卒業生であることも述べ、
その先生に、昨日の一部始終を説明した。

先生は、全校生徒の写真のアルバムを見せて、
「どの生徒か、おわかりでしょうか」と聞いた。
だいたいの顔つきは覚えていたものの、
今の中学生は、皆、似通った顔だ。
しかも、写真ではハッキリ断定もできなかった。

私としては、どの生徒か知りたいわけではなかった。
とにかく、学校としての生徒への指導の徹底、
ひいては、危険と命に関しての話し合いもしてほしい、と
強く要望をしてきた。
生徒が特定できて、その生徒だけにお咎めでは、
何にもならないと思ったからだ。

同じ歳の子供の父親として、
また、地域活動に携わる者として、
昨日の件は見過ごすことができなかった。
名刺まで置いて、責任を持って話してきたのだ。
学校にも、責任をもって話し合ってもらいたいと思う。

その先生は、とても丁重な方で、
こちらの話を、しっかり聞いて下さった。
たぶん、きちんと生徒に伝えて戴けると思う。

久しぶりの母校だったが、残念な件での訪問だった。
しかし、裏庭にあるプールから、
水しぶきとともに、生徒達の歓声や、先生の大声が聞こえてきた。
その光景と音は、私の中学時代そのままだ。
今は私も、彼・彼女らを守る立場にいる。

写真が母校の中学校だ。昔と全然変わらない。

私のトラウマ

2006-07-13 17:44:50 | 日常から
今、外で雷が鳴り始めた。

空が真っ暗になっている。
もうすぐ大粒の雨が落ちてきそうだ。
外を歩く人が、早足になっている。

私は、雷が大嫌い。
好きという人も少ないだろうが、
とにかく、あの大きな音が大嫌いだ。

私が一歳の時。
遊園地の、花火大会を見に行った。
頭上で突然鳴った、一発目の花火の音で、
私は大泣きしたらしい。

その後泣き止まず、
両親は仕方なく、その場をあとにしたという。

そして、それは私のトラウマになった。

風船の割れる音が怖い。
幼稚園の時、風船割りゲームをいやがった。
高校では、陸上部だったのに、
ピストル係は極力避けた。

大人になって、合唱団に入ったが、
ある演奏会の舞台に立った時、
私の目の前に、シンバルの奏者がいた。
落ち着いて歌っていられなかった。

そして、雷が鳴ると、もう落ち着かない。
今も、仕事に手がつかない。

気持ちを静めるように、とりあえずブログを書くことにした。
雷が落ちて、パソコンがダメになってしまう・・・
そういう事は、考えない私。

女性の「ジャンル」

2006-07-12 12:02:08 | 世の中あれこれ
知人の女性の話である。

彼女は、あるサークルに所属している。
まあ正直、男性との交際に関わる、
あまり表立って宣伝できない?サークルだが。

そこでは、多くの女性の写真が、
「○○系」というジャンルに分けられている。
それは、そこの代表の男性の「見た感じ」。
つまり、彼の主観で分けられているらしいが。

人妻系、熟女系、マダム系、
癒し系、少女系、ギャル系・・。

実際、それだけ多種多様な女性がいるわけではなく、
ほとんどが、30代以上の普通の女性。

その、知人女性は「マダム系」となっている。
私が見る限りでも、たしかに「マダム系」。
やはり、男の目はだいたい共通しているのか。

女性は、自分がどういう系に見られているか、
興味はあるのだろうか。
上記のサークルや選択肢は、ややアングラだとしても、
自分がどう評価されているか、は気になるところだろう。

40歳で妊娠を発表した財前直見さんは、
上の3つにすべて当てはまりそうだし、
上戸彩さんなどは、下の3つか。

男性を表わすこういう言葉は、あまりない。
せいぜい、最近はやりの「イケメン」か、
古くは「しょうゆ顔」などだ。

私はよく、「塾の先生みたいな感じ」と言われる。
不思議と、何人かの人から言われた。
「学校の先生」でないところが疑問だが、
私の場合、「家庭教師系」となるのか。

ちなみに前述の知人女性、
「マダム系」を喜んでいた。
マダム・・・響きは悪くないが。

写真の叶姉妹は、「作られたマダム」のようだが、
マダムらしい知識や、茶目っ気もあって、
私はけっこう好きである。

若く見られること

2006-07-10 14:15:30 | ファッション・コスメ
茶髪にした。

毎年、夏になると髪の色を変えたくなって、
茶色に染めてしまう。

数年前、生まれて初めて茶髪にした。
気分転換のつもりで、やってみた。
周囲の評価は好評だった。

「明るく見える」 「若くみえる」 「似合ってる」
思ったより評判が良かったので、
それ以来、夏に髪を切ると、必ず染める。

当初、「白髪染めか」と言われたが、
私は実は、今も白髪はほとんどない。
父が、50代半ばまで、黒い髪だった。
その遺伝らしい。

私は、顔立ちもいまだに若く見られるので、
よけい「若い人」になれる。
服装次第では、20代に見られる時もある。
少なくとも、40歳を過ぎてから、
40代でしょう、と言われたことは一度もない。

ふだん会っている、私の地域活動の仲間も、
皆、歳の割りに若く見える。
同年代の仲間が多いが、
あまり中年丸出し、という男はいない。
そういう中にいると、
自分もまた、若くいられるようだ。

でも、私は別に、若作りに興味があるとか、
いつまでも青年と呼ばれたいとか、
そんな気持ちはあまりない。
歳相応に、上手に老けていきたいと思っている。

でも、健康で頑張れるうちは、
身も心も、溌剌とした若い男性でありたいと思う。

写真が、使用したブリーチ。
ごく市販のものだが、風呂場で30分じっと我慢して、
この夏も、少し若返った。

七夕に逢う

2006-07-07 09:43:21 | きょうは何の日?
今日は七夕。

今さら述べるまでもないが、
織姫と彦星が、年に一度だけ会うことを許される日だ。

天の川のほとりに住む、働き者の織姫に、
神様が、川の反対側に住む、
これも働き者の牽牛を与え、二人は結婚した。

しかし、二人は結婚すると遊びほうけてしまい、
神様は、二人を引き離してしまう。
「元のように、働く事に精を出せば、
7月7日の夜だけ、会うことを許してやろう」

二人は、それから一生懸命働いた。
しかし、毎年7月7日の夜になると、必ず雨が降って、
天の川の水かさは増してしまう。
川を渡れず、二人は会うことができない。

見かねたかささぎの群れが、
天の川に降り立ち、羽を広げて休み、
二人を引き合わせてあげたという・・・。

その二人の願いにちなんで、
笹の葉に短冊への願い、という形になったようだ。


何年か前の七夕。
近所のスーパーで、大きな笹の葉に、
子供達の書いた短冊が飾られていた。
「サッカー選手になれますように」
「さんすうがとくいになりますように」

そんな、子供らしい願いの中に一枚、
小さな字で書かれた短冊があった。
「おかあさんに会えますように」

オレンジ色の短冊。女の子が書いたものだろうか。
しばらく、その子を想ってしまった。
おかあさんは、入院でもしているのか。
仕事で、遠い国にでも行っているのか、
それとも・・・。


七夕。
この子はその後、どうなっただろう。
かささぎの群れは、この子の前にも降り立ったのかな・・・。
あちこちで、短冊を見るたびに思い出す。

「七夕伝説」

サラダ記念日

2006-07-06 11:11:21 | きょうは何の日?
この味がいいねと君が言ったから
 七月六日はサラダ記念日

6月1日の記事で、歌人・俵万智さんを紹介した。
「思いきり愛されたくて」
その、俵さんのデビュー歌集となった、「サラダ記念日」。
歌によると、今日がその日だ。
そして、今日は「サラダの日」となっている。

私は、野菜は好きだが、
サラダを好んで食べるという程ではない。
そして、野菜の種類よりも、
ドレッシングによって決まる。

好きなのは和風。
というより、醤油が好きなので、
ドレッシングもそれに近いものをかける。
ごま中華風、も好きである。

昔は、家庭でもレストランでも、
すっぱいようなフレンチドレッシングばかりだった気がする。
サラダが出ると、醤油か塩をかけようとする私に、
母はいつも怒っていた。
フレンチドレッシングの方が、栄養があるというらしい。

昔、ファミレスでウエイターのバイトをした事がある。
その店は、サラダの種類が多かったが、
ドレッシングは、前述の私の嫌いなフレンチのみ。
私だったら、絶対にかけないであろう物だったが、
サラダを注文したお客さんで、
このドレッシングをかけなかったり、
別の種類を要求した人は、一人もいなかった。

もっとも今のように、
何種類ものドレッシングなど、どの店でもない時代だったが。

夏は、サラダがおいしい季節。
レタス、キャベツ、アスパラ、そしてシーチキン。
これが私の好きな4点セット。
もちろん、かけるのは和風ドレッシングでいきたい。