シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

夢と魔法の国の仕事

2006-05-31 14:20:21 | 世の中あれこれ
      


東京ディズニーリゾート。

買物先で、置いてあった求人誌を何気なく見ていたら、
東京ディズニーリゾートのスタッフ募集があった。
6月8日から3日間、
浦安市の体育館で開かれる、合同の大面接会。

これだけの規模とスタッフなので当然だが、
昔からディズニーランドは、一斉に大面接会を行なっている。

実は私も、大学時代にここでバイトをしようかな、と思った。
電話で問い合わせると、なんとこちらの希望を聞くまでもなく、
「あなたの面接は、○日の3時15分から、カウンター番号△番です」
と言われた。
その日は都合が悪かったので、別の日を希望したら、
「それは受けられません。次の募集時でお願いします」
で、具体的にどんな仕事になるのか聞いたら、
「それは面接の時に決めます」

まあ、私の勉強不足・・と言われそうだが、
実はこの年は、ディズニーランド開園2年目。
「トゥーンタウン」もなかった頃。
応募する方も、「とにかくディズニーランドで働きたい」
採用する側も、「とにかく来て下さい」式で、
ゆっくり考えて、説明を聞いてから決めるような私には、
ちょっと最初から合わなかった。

結局、ディズニーランドでのバイトは経験せずじまいだったが、
夢と魔法の国の舞台裏も、見てみたかったな、と思う。

求人誌によると、
時給は900円~1450円。
6:00~24:00の間で、5~7.5時間。
それほど、飛びぬけて待遇や内容が良いわけでもない。

でも、憧れの的、「ディズニーリゾートキャスト」。

カストーディアル、 ゲストリレーション、 ワールドバザール、
カリナリー、 テラー、 マーチャンダイズストック・・・。
皆、職種の名前だ。

当然ながら、横文字が飛び交う魔法の国。
以前行った時、ある大学生が、
「今度、どの遊戯施設乗る?」と言って、
「アトラクション、だよ」と、仲間から笑われていたのを見た。

そう、この記事もやたらにカタカナ変換を要している。

「徹底した作り物のウソの国」と、批判した作家がいた。
「マークトウェイン号の進み方が変」と言ったのは船舶関係者。
ミッキーマウスの中にいるのが子供だと思い、
「8時以降の労働は違反ではないか」と真顔で詰め寄った客・・。

でも、夢と魔法の国は、さらに新しい「遊戯施設」を作っている。
バイトの面接も、今は予約制ではない。
直接行って、そのまま面接できる。
「エントリー」というらしい。

鳥の季節

2006-05-30 10:58:24 | 動物に癒される
毎朝、犬の散歩に行くが、
途中に小さな川がある。

ここに、2~3日前からカルガモがいる。
先日は親子で。
今朝見たら、夫婦か? 二羽だけがいた。

数百m離れた川で、何年か前にカルガモ一家がやってきた。
それほど、きれいな川ではなかったのだが、
カルガモはたちまちアイドルになり、
新聞にも載ったほどだ。

その後、カルガモの数は増えて、
近隣の川にも居つくようになった。
写真は少し見にくいが、今朝のカルガモ夫婦。
しかしこの土手の後ろは、車の多い幹線道路だ。
それでも、平然と道路脇を歩いたりしている。

うちの犬がちょっかいを出そうとしたら、
ガーガー鳴いて、私の頭の上すれすれを飛んで行った。

ツバメも今、あちこちで飛んでいる。
近所の店先にも、ツバメの巣があって、
うちの周りを飛び交っている。
以前、うちの軒先にも巣を作ろうとした。
私は喜んで、その成り行きを見守ろうとしたが、
根っから動物が嫌いな父が、軒の入口をふさいでしまった。
その後二度と、うちに来ることはなかった。

なんでも昔は
「ツバメが巣を作る家は、病人が出る」と言われたらしい。
今は病人どころか、その家は癒されるのではないかと思う。
その後、犬を飼うようになったので、
ツバメのことなど忘れてしまったが、
もし、またやって来たら、今度は迎え入れたいと思う。

鳥の季節。
間近で鳥を見られるのは、幸せなことだ。

回転ずしの進化

2006-05-29 16:57:37 | お店紹介
久しぶりに、家族で回転寿司に行った。

「くら寿司」
関東・中京・近畿圏に店舗を持つチェーン店だ。

とにかく、「客を楽しませる」という点では一番だろう。
普通に、ベルトコンベアーに乗って皿が流れてくるまでは一緒だが、
流れていないものを頼みたい時は、
テーブル脇のTV画面で頼める。

全種類の写真が表示されている。
好きなものをパネルタッチすると、「あと○分でお届けします」と表示される。
やがて、注文したものが近づくと、テーブルのチャイムが鳴る。
「注文品」と書かれた器に乗った皿がやってくる。
そのまま取ればいいわけだ。

これまでの回転寿司は、
「ご注文の品がありましたら、おっしゃって下さーい!」という式だった。
しかし、本来これは、回転寿司の楽しみとは違う。
新鮮なネタが食べたいというより、
いろいろなネタが流れてくるワクワク感、
欲しいものがやって来た時の満足感、
そういうものを求めて、わざわざ行っているのだ。
その都度、声をかけて注文するのでは、回転寿司ではない。

くら寿司のこのパネル式は、
流れてくる楽しみを失わないのと同時に、
声をかけにくい女性や子供にも好評だ。
子供のわさび抜きも、パネルで注文できる。

そしてもう一つのシステム。
食べ終わった皿は、その都度テーブル脇の穴に通す。
すると、画面に枚数が表示されるので、現在何枚食べたかわかる。
しかも5枚ごとに、ルーレットのようなゲーム画面が現れ、
当たりに止まると、上に設置されている「ガシャポン」が
景品として、落ちてくる。
子供には大きな楽しみだが、
「29枚」などという枚数だと、あと一枚食べて帰ろう、ということになる。
店側にとっても、いいアイデアだ。

もう30年前くらいに、
当時出始めたばかりの、回転寿司に行った。
子供心に、感動してしまったが、
その後なかなか、これといった新しいスタイルの店は出なかった。
くら寿司は、これまでの客の不満と遊び心を、うまく取り入れた店だ。

肝心な味は、まあ平凡。
やはり専門店にはかなわないだろう。
寿司は高級で、芸術品だ。
それを、楽しいものに変えた回転寿司もまた、芸術である。

日本ダービーと作家の人生

2006-05-27 11:00:52 | 世の中あれこれ
競馬の祭典、日本ダービーが明日行なわれる。

3歳馬の日本一を決めるレースだが、
競馬界の頂点でもある日本ダービー。
これまでにも、数々の名馬や歴史を作ってきた。
同時に、人の人生にも深く関わっている。

芥川賞作家、宮本 輝氏の話を思い出す。

氏は若い頃、東京・府中の安アパートに住んでいた。
作家を目指したが売れず、その日の金にも困っていた。
昭和44年・5月の日曜日。朝から大雨だったが、
目と鼻の先の東京競馬場ではその日、ダービーが行なわれる予定だ。

氏は、栄養失調と疲れで、朝から頭痛がする。
雨の中、近くの墓地の入口で座り込んでいた。
そこに、二人の男が通りがかる。競馬場に行くらしい。

「この大雨だったら、絶対ダイシンボルガードだ。
こいつは雨が鼻に当たるだけで、大喜びして走る馬だ」

男の一人の会話が耳に残る。
競馬のことはさっぱりわからない氏だったが、
もう、いちかばちかだった。
姉から、就職祝いに貰った時計を、府中駅前の質屋で金に換えた。
金になるものは、それしかなかった。

頭痛が治まらない中、競馬場に行く。
落ちていた新聞から、男が口にした「ダイシンボルガード」を見つけ、
その馬に、持ち金をすべて賭けた。

結果、ダイシンボルガードは雨の中をついて勝った。
まとまった金を手にした氏は、なによりもまず、
(時計を流さずに済んだ)とホッとしたという。

その金を元に、本や原稿用紙を買い漁り、
投稿した作品が、権威のある賞に入る。
それが認められ、その後執筆活動を続け、
1978年、「蛍川」で芥川賞を受賞する。

氏は、受賞したその日の夜、
親父が生きていたらどんなに喜んでくれただろうと、
風呂の中でひとしきり泣いたという。
そして、自分の人生をやり直させてくれた馬、「ダイシンボルガード」。
この名を一生忘れないと誓っていた。

(1982年・雑誌「優駿」から)

写真は、今年の人気馬の一頭、「メイショウサムソン」号。
明日の府中も雨だという。

都電の走る町

2006-05-26 09:54:00 | 旅・町歩き
東京・荒川区に行った。

東京といっても、多摩地区に住んでいる私。
荒川区というのは、ほとんど縁がない。
この日は、田端(北区)に用があったのだが、
時間があったので、荒川区まで足を伸ばしてみた。

典型的な、下町の風景。
しかし、浅草や墨田区の下町とは違って、中小工場が多い。
世界に冠たる、最先端の電子部品。
その心臓部が、この荒川区の小さな工場で作られたりしている。

「○○工業」「△△産業」といった名の会社が多い。
その、工場を覆うように、マンションが建つ。
空き地も目立ち、コインパーキングになっている。
少なくとも、昔と比べると、
ここも様変わりしているに違いない。

そんな荒川区の中心部を貫くように走る、都電荒川線。
最後まで残った、東京都電。
名のごとく、荒川区の風景に溶け込んでいる。
都電の踏切を、工場の中で行き来している、
小さな作業車がのろのろ渡って行った。

子供同士が、狭い路地で遊ぶ。
若いママ達が、井戸端会議をしている。
コロッケの匂い。
自転車のブレーキ音。
そして、カタンコトンと短く走り去る、緑の都電。

すべてを「下町情緒」とくくるには、安易かもしれない。
こんな光景は、私の町でも見られることだ。
でも、見知らぬ町に身を置いた時、
自分の五感に伝わるものは、やはり違う。

荒川区。
ここはやっぱり、街ではなく、町だ。

回顧熟語(なつかしいこうこく)

2006-05-24 11:16:00 | 懐しい話
手元に、時刻表がある。
1972(昭和47)年10月号という古いものだ。

私は鉄道の旅が好きだが、
子供の頃から、この「時刻表」を見るのが大好きだった。
鉄道好きな少年なら、今も昔も
まず間違いなく使いこなせる「バイブル」。
実際に乗る、乗らないは別だ。

先日、わざわざ古本屋に行って、
この1972年の時刻表を手に入れた。
今では、2000円もする。
当時の、懐かしい電車や時刻を見たかったのももちろんだが、
もう一つ、気になるページがあったからだ。

裏表紙の、キリンビールの広告。
この当時、毎号のように載っていた広告だが、
そのシンプルで胸を打つ文と写真は、
時刻表の中身以上に、インパクトがあった。

  逃亡雑踏 とかいをぬけだして
  夕焼鈍行 きしゃははしる
  孤独三昧 みがるなひとりたび
  美味麒麟 いのちのせんたくだ

この文字と、フタが大きく3個並んだ写真。
古い電車の思い出とともに、
この広告もまた、私の中に残る。

最近、雑誌の内容とその広告に関連性のないものが多い。
旅行雑誌でも、音楽雑誌でも、スポーツの本でも、
掲載されている広告は、商品を大きくPRしたものばかり。
キリンビールも、残念ながら今は然りだが。

当時の、国鉄「ディスカバージャパン」とともに、
心に残る旅の名文だと、今も思う。

ラブレターとキスの日

2006-05-23 09:58:10 | 恋&愛


今日は、ふたつの「すごい日」である。

ラブレターの日 と キスの日 だ。

ラブレターの日は、
「こい(5)ぶ(2)み(3)」(恋文)の語呂合せと、
浅田次郎原作の映画『ラブ・レター』の公開初日であったことから。

キスの日は、
1946(昭和21)年、日本で初めてキスシーンが登場する映画となった、
佐々木康監督の『はたちの青春』が封切られた日だったことから。

なんと奇しくも、
どちらも映画に関連しての記念日だ。
しかも封切の日だという。

映画は、「はたちの青春」の方がはるかに古いが、
キスの日と制定された年は、はっきりしていない。

ともかく、なかなか甘ーい記念日である。

私が初めて「ラブレター」を書いたのは、
中学1年の時だった。
相手は、小学校時代からのクラスメート。
ずっと好きだったのだが、中学生になってやっと告白した次第だ。
彼女からは返事も貰えた。
結果は・・「いいお友達でいましょう」だったが。

20歳になったとき、クラス会を開いた。
彼女も来た。
さりげなく、「手紙あげたの覚えてる?」と聞いたら、
「大事に取ってあるよ」と言われた。
嬉しかったなぁ・・。

ラブレターは、今や死語に近い。
キスも、なんだか軽々しく扱われている。
人を好きになること。
それを、ときめきながら形として表わすこと。
少しずつ、大事なものが失われている今。

でも、記念日だからといって、
ラブレターやキスを楽しめる、というものでもない。
相手あっての、今日はきわめて特殊な記念日だ。

宴会旅行

2006-05-22 10:30:48 | 旅・町歩き
地域活動の仲間と、旅行に行った。

目的地は、茨城県の取手市。
利根川の河川敷で開かれている、
災害に関連する視察研修。

しかし、そのあとはナゼか福島へ。
宿泊先は、「いわき湯本温泉」。

バスの中で酒を飲んで、
夕方早い時間に旅館に着き、
風呂に入って、あとは宴会。
二次会は、ホテルのラウンジでカラオケ。
そのあとは、個人行動で、
私は5人の仲間とラーメンを食べに街へ・・。

翌日は、これもナゼか福島をそのままあとにして、
茨城に戻って、大洗を観光。
帰路のバスは、ひたすら寝て、
夕方、陽の明るい時間には、我が家へ・・。

という、
日本の典型的な団体旅行に「付き合わされて」しまった二日間。
私は正直、酒が好きなわけでもないし、
どこか行くのなら、しっかり見て回りたいほうなので、
団体旅行は、正直「キライ」。

でも、大勢だから楽しめることもあるし、
酒を飲む人と一緒だと、
迷わずいろいろな料理を注文するので、
おいしい郷土食にありつけることもある。

いわき湯本温泉は、今回が3回目だった。
常磐炭鉱の採掘で、豊富な湯が湧き出したという温泉。
まあ、この2~3ヶ月は、色々と忙しかったので、
いい休養になったと思う。

写真が、宿泊した旅館。
これも、典型的な「ニッポンの宿」だったが、
前回、いわき湯本温泉で泊まった某有名リゾートホテルよりは、
はるかに落ち着いた、良い旅館だった。

帰ったら、妻は部屋掃除。子供達は、中間テストの勉強中。
一人で楽しんで来た私に、皆 無言だった・・。

小学校の同級生

2006-05-19 10:54:06 | 人とのつながり
先日、地域活動での懇親会があった。

男性ばかりの会である。
当然?というか、恒例のごとく
女性のコンパニオンさんが来る。

この、「コンパニオン」という言葉、
なんとも、ちょっとHな感じで私はあまり好きではないが、
昔の「芸者さん」よりはいいだろう。
正式には「パーティーコンパニオン」と呼ぶのだが、
ともかく華やかで、若い女性にも人気があるようだ。

宴会の幹事になると、彼女らを「職人さん」と呼ぶ。
「職人さんは何人呼ぼうか」という具合に。
あからさまに、「コンパニオン」と呼べない時は、
便利な言葉である。

その懇親会でやってきたコンパニオンの代表、
つまり、世間で言われる「ママ」(リーダー)さんは、
私の小学校時代からの同級生。
家も近く、幼なじみと言っても良い。
しかし、今まで一度も、彼女を呼んだことがなかった。
近所ということもあるが、
たまたま幹事のツテで、別の会社に頼んでいたからだ。

彼女自体は、普段でも顔を合わせているが、
宴会の席で一緒になったのは初めてだった。
この日、来ることはわかっていたし、
彼女も、私のいる席ということは知っていたようだが、
やはり顔を合わせたら、なんだか照れくさかった。

彼女は、けっこう男性から人気があるママさんだった。
皆、私が同級生だと知って驚いていたが、
昔を知る私は、頑張っている彼女にエールを送るだけだ。

「小学生の時、机を並べてたんですよ」
「その消しゴム欲しいって言ったら、くれたんですよ」
彼女は、皆を前に昔話を始めた。
ずいぶん詳しく覚えていた。

私のことも、「くん」付け。
年配の役員さんから、
「今でも、くん付けで呼ばれるなんて、幼なじみはいいね」
などと言われたが、そうかもしれない。

彼女は、大学生の娘さんのいるお母さん。
「身体、こわさないように頑張れよ」と言ったら、
「大丈夫よ。まだ30代前半(?)だから」と、屈託なく笑っていたが、
その笑顔は、子供時代の彼女そのままだった。

金井直 「木琴」

2006-05-18 17:27:05 | 音楽を聴く

妹よ
今夜は雨が降っていて
おまえの木琴が聞けない

おまえはいつも
大事に木琴を抱えて 学校へ通っていたね
暗い家の中でも おまえは木琴と一緒に歌っていたね

そしてよくこう言ったね
早く町に 赤や青や黄色の電灯がつくといいな

あんなにいやがっていた戦争が
おまえと木琴を 焼いてしまった

妹よ
おまえが地上で木琴を鳴らさなくなり
星の中で鳴らし始めてから まもなく
町は明るくなったのだよ

私のほかに 誰も知らないけれど
妹よ
今夜は雨が降っていて
おまえの木琴が聞けない



中学生の時、国語の時間で読んだ詩だ。
この詩は、合唱曲にもなっている。
詩の内容に、解説はいるまい。
綴られているそのままだ。

国語のテストでこの詩が出され、
いくつもの設問があった。
「なぜ雨の日に木琴が聞けないのか」
「早く電灯がつくといいな、と言う妹の言葉は、どういう意味か」
「私のほかに誰も知らない、とはどういう意味か」

この詩は、ストレートだ。
戦争で、妹を失った兄の詩である。
どういう意味もなにもない。
この詩で、問題は作ってほしくなかった。
中学生の時の思いである。

合唱曲の「木琴」は、
妹を想う静かなもの悲しさと、
戦争への怒りをうたう激しさで構成される。
この曲を聴けば、
国語の問題のナンセンスさの、解答が出てくる。

昨日、久しぶりにこの曲を聴いた。
今日の記事にしようと思い、
「金井直」という、この詩人を検索したが、
とにかく、これといった情報がない。
写真もなかった。

でも、この詩は胸を打つ。