AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

イヤンなっちゃう

2020年03月30日 | まったり邦楽
サザエさんやドラえもん同様、いつの世代の子供たちにも愛され続けてる国民的アニメのひとつ、『ゲゲゲの鬼太郎』の第6期の放映が昨日終了したそうで。

1年か2年前のとある日曜の朝にテレビをつけたら、なにやら深夜にやってそうなタッチのアニメーションが放映されていて、朝からなんやねんと思たら・・・



はぁ?こ、これが『ゲゲゲの鬼太郎』!?!?と愕然としたことを覚えている。

ほんま最近の日本の義務教育はどうなっているんだと。


まぁ自分の子供時代の価値観で今の子供たちの流行りの画風を批判したところで老害発言以外のなにものでもないし、それに私が幼少期の頃『ゲゲゲの鬼太郎』(第3期)のアニメをそんなに熱心に観てたわけでもないので文句を言う資格なんぞない。


ところで、私が子供の頃に放映されてた『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を担当していたのは確か吉幾三氏だったと思うが、私がすでに成人してから放映された第4期『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を担当してたのが、なにを隠そう大阪のブルースバンド憂歌団であった。

んで、7年前に憂歌団が15年ぶりに再始動して、その記念としてリリースされたのが上写真のCDである。
水木しげる先生が書き下ろした鬼太郎妖怪軍団と憂歌団メンバーの素敵すぎるコラボ紙ジャケットで、べつに憂歌団がめちゃめちゃ好きなわけでもないくせにこれは買わずにはおれなかった。

このイラストは、実は神戸のライブハウス、チキンジョージにも同じものが飾られてあったのを見ていて、とても気になっていたのだ。




さらに、この記念企画盤には、第4期『ゲゲゲの鬼太郎』の第33話が収録されたDVDが付属している。




なんでこの第33話が収録されてあるのかというと、それはこの話に憂歌団のメンバーが出演してるからに他ならない。
もちろん声も本人ら其々が担当している。



ヒット曲が出ずに悩んでいたブルースバンド憂歌団は、小さなライブハウスで演奏しては酒を飲む毎日を送っていた。
そこへ彼らの歌の巧さを見込んだねずみ男が、妖怪さら小僧の歌を盗み聴きしに行って、それを憂歌団の曲として売り込むという儲け話を彼らに持ちかけるのだ。




そのさら小僧が歌っていた歌が「ぺったら ぺたらこ」という歌で、憂歌団はその歌詞と譜面をねずみ男から手に入れ、それを自分たちの曲としてレコード会社に売り込み、見事に大ヒットを飛ばす。




いいとものテレホンショッキングにも出演するほどの人気ぶり。



だが、自分の歌を盗作されることをことさらに嫌うさら小僧にそのことがバレてしまい、そこからさら小僧の恐ろしい?復讐が始まる。



いったん誘拐され、さら小僧の住処に監禁されながらも鬼太郎やねずみ男の協力で、なんとか命からがら逃げ延びた憂歌団であったが、さら小僧の復讐は執念深かった。

紅白夏の歌合戦に出場した憂歌団は、「ぺったら ぺたらこ」を国民の前で演奏。
しかし、この歌には歌えばこの世の終わりが来ると言われている「禁断の4番」が存在していた。
さら小僧はその4番を憂歌団に歌わせるべく、彼らに忍び寄るのであった!




なお、この憂歌団による恐ろしい「禁断の4番」を聴きたい方は、この憂歌団の企画盤を購入するか、レンタルで第4期シリーズのDVDでもかりて視聴してみて下さい。


憂歌団に関しては、ハスキーなダミ声の木村氏の歌のアクの強さにちょっと苦手意識があって音源を所持してなかったが、本作を聴くとやっぱ彼らは日本ブルースの第一人者たる実力バンドなんだってことを改めて痛感させられる。

大阪特有のドロ臭い哀愁感のあるブルース。
本作では、アコギのスライドやタイトな弦の爪弾き加減で、水木妖怪ワールドの妖気漂うあやかしのムードをうまく自分たちのブルース感で表現している。
特にお気に入りなのは、第4期『ゲゲゲの鬼太郎』の後期エンディングテーマになった「イヤンなっちゃう節」。
近代社会に住む妖怪の哀愁を歌ったもので、木村氏の自由奔放なスキャット、そしてホーンの音色が絶妙。





この度の、悪性ウィルスの世界的蔓延による相次ぐイベント自粛で、ミュージシャンのライブ活動、そしてライブハウス経営などが大打撃を受け死活問題に発展している今の現状に、ほんとうに胸が苦しくなってくる。
私も今月観に行くハズだったライブが2つほどなくなってしまった。
これこそほんま「イヤンなっちゃう!!」ですわ。

憂歌団もライブハウスで演奏してナンボのブルースバンド。
ほんとうにもどかしく口惜しく思っておられることでしょう。




なので、水木先生が点描で描かれた、“疫病退散の神”といわれるこの神々しいアマビエ様の写し絵を貼っておきます。

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寝ても覚めても

2020年01月26日 | まったり邦楽
まぁ芸能界もいろいろ大変ですねぇ。

個人的には、人気イケメン役者が不倫しようが、別居しようが、あまり興味持てない方なんですが。

ただ、現在その渦中にある娘が、昨年からどハマりしてるKIRINJIの最新作の楽曲に関わりある役者さんだと知って、ちょっと心騒がされてる今日この頃です。

KIRINJI - killer tune kills me feat. YonYon


わりとストレートな歌詞の失恋ソングだが、言葉選びのオシャレさや極上のポップサウンド、ギタープレイも定評の弓木英梨乃さんの透明感あふれるシットリとした歌(個人的にドストライク!)に、DJラッパー?YonYonの韓国語ラップが挿入される奇抜なアクセントが絶妙な、「え?これってほんまにキリンジの曲かいな!?」ってなるほど洗練されすぎた至極のポップナンバー。


それにしても・・・・・

昨年から、KIRINJIの最新作に関わった人たちのスキャンダルが続いてしまって、なかなかいわくつきの作品になってしまったなぁ・・・
もうすぐ全国ツアーを控えている堀込氏の心境はいかに?


まぁキリンジに関しては、20年くらい前にその音楽に触れて「(当時の)自分が聴くにはオシャレすぎる音楽性だが、なんかひっかかるなー」みたいな感じでなんとなく聴き始めたんだが、『3』以降の作品は数曲かいつまんで聴く程度になって、ここ十数年間の作品はほとんど聴いてないという有様だった。

キリンジといえば、堀込家の2人が始めた兄弟ユニットだったんだが、7年前に弟の泰行氏が抜けて、その後一変、男女混合の5人編成のバンド体制で兄高樹氏がキリンジを継続運営させているということで、ちょっと興味はあったんだが、なかなか気が向かずで。




本作はバンド体制になってからすでに4作目で、最近車通勤時間に聴くええ塩梅のドライブミュージックでもないかと思って、姉が購入したこのKIRINJIの『cherish』を拝借して車の中でかけたら・・・・・・

もう1曲目「『あの娘は誰?』とか言わせたい」のイントロを聴いた瞬間から「オオっ!」と惹き込まれちゃいましたね。
のっけからボコーダを全開にきかせている高樹氏の変則的な歌メロからしてオシャレ。歌詞内容も相変わらず変だ。

本作を聴く限り、バンド体制の割には宅録感がハンパなく、高樹節が全開のような気がしたが、それもそのはず、全曲高樹氏の作詞作曲らしく、もうほとんどソロ作品に近い作り。
まぁ、個人的にはそこが本作にドハマりしたポイントなのかもしれない。

兄弟ユニットの頃から、「ダンボールの宮殿」、「メスとコスメ」、「切り花」、「都市鉱山」...etc.など、以前から兄高樹氏の楽曲に惹かれる傾向があったので、やはり彼のテイストというものが好きなのだろう。
弟もたいがい屈折した感があったが、それ以上に兄貴の屈折具合が尋常じゃないんだなってのが、弟が抜けてそれが全面に出たように思う。

その屈折具合のヤバさが特に顕著なのが、「善人の反省」だろう。
ジャジーなサウンドに、ジョージ・ベンソンとかが使う手法で知られる(フロイドなら「あなたがここにいてほしい」)ヴォーカルとギターラインのユニゾンが実にクールな雰囲気を醸し出していて「ムードのある曲だなぁ」って聴き入ってしまうのだが、ふと歌詞内容が聞こえてくると、その具体的で辛辣な内容に「何言うてはんの?」と、耳を疑ってしまう。

善人て気に入らないよね アレは酔いしれている 図に乗っているんだよ・・・・

善人の反省は薄い水たまりみたいなもんだね・・・・

みたいなことを延々ブツブツと歌っていて、最後にボソっと「イラつく・・・」と、もう言うてることは全然オシャレじゃないのに、アレンジの渋さで奇跡的にアルバム中最もオシャレな楽曲に仕上がっているという。

やっぱこの辺の屈折した絶妙な巧さは、スティーリー・ダンなどに影響受けてるだけあるなっていうか、おそらくドナルド・フェイゲンと同種のタイプなんだろうな。
従来のキリンジの音楽性に縛られずファンの目線も気にせず、さらにはバンド体制ってのにも関わりなく、ラップミュージシャンをフィーチャーしたりと、自分がいいと思った要素をどんどん取り入れる節操のなさもいい。
そこもやっぱフェイゲンっぽいっていうか、いわゆる“楽曲主義”というやつなんだろう。

昨年大麻でパクられたラッパー鎮座DOPENESSとのコラボは、いろんな意味で従来のキリンジファンの間で物議を醸したことと思う。



本作は全9曲と少ないながら、どれも秀逸曲ばかりで、バラエティに富み、ものすごく楽しめる内容だ。
夢心地なスティール・パンの音色と透き通るような洗練されたコーラス展開の美しさに、卓越したベースワークとタイトル連呼のサビのトリッキーさが絶妙にシンクロする「雑務」、ウケを狙ったというより、テキトーに楽曲のネタにしたとしか思えないおなざりな歌詞内容の「Pizza VS Hamburger」のファンキーテイストなおふざけ感、とにかく楽曲のためのフレーズ選びというか、時には聴いてる者を煙に巻くような歌詞のわけのわからなさ(そこは従来のキリンジらしさが残ってる部分とも言える)、でもそれが全然楽曲のジャマにならない溶け込ませ技というか、ちゃんとポップにオシャレにまとめてしまえてるところが凄い。


前作『愛をあるだけ、すべて』も、本作路線の作りですごくハマっている。
これから高樹氏バンド体制になってからのKIRINJI作品をもっと掘り下げて聴いていこうと思う。


皆さんもネットやTVで垂れ流される下世話な芸能ゴシップネタに、「不潔!」「イケメンでデカいだけの桜島大根役者!」「こぉ~のドロボウ猫がぁ!」「ジャンキー野郎!」ってちくいち反応するなんて全然オシャレじゃないから、そういうのほっといて、KIRINJIのオシャレな音楽でも聴いて、心豊かに過ごされてはいかがと。

とか、その下世話な芸能ゴシップをネタにしてブログなんか書いてる全然オシャレじゃないオッサンが申しております。
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ロボット編(シカシダンナサマ)

2019年11月23日 | まったり邦楽
今回の火の鳥コンピレーションアルバム『NEW GENE Inspired from Phoenix』には、ヴァーチャルな存在も参加していて、それがKizuna AIなる自称人工知能(AI)のユーチューバーらしいのだが。
最初「なんのこっちゃい?」とググると、萌えアニメ少女の絵が出てきて、まぁ初音ミクみたいなものなのかなと。

で、手塚るみ子さんとこのAIとの座談会みたいなのも出てきて、その対談を読んでますます謎が深まっていったワケなんだが。
『火の鳥』座談会 “漫画の神”が託す遺伝子



ここまで感情的に流暢に言葉を交わし、しかも『火の鳥』のマンガを読んで、そっからインスパイアされた詞まで綴るAI(人工知能)など、今の技術ではまだ無理だろうと。
おそらくどっかの声優さんか何かが、この萌えアニメ少女を通してネット上で芸能活動をしてはるんであって、このKizuna AIってキャラはゆるキャラの着ぐるみみたいなもので、それがAIっていう設定でエンターテイメントを繰り広げてはるのやと。まぁふなっしーみたいなものだ。
だからこうやってネホリハホリ詮索するのははヤボなことなんだろうな。

楽曲はTeddyLoidっていう新進気鋭のサウンドクリエイターが担当しており、最初想像してたアニソンっぽい曲でも初音ミク風のイタいVoでもなく、capsule系のバッキバキのおしゃれなエレクトロチューンで普通にカッコいい。

Kizuna AI本人が作詞したという、ほぼ英詩で所々火の鳥キーワードが散りばめられてる言葉のセンスはなかなかのもので、とても人工知能が考えたものとは思えない。
あと鳥の鳴き声もミックスされてある。




まぁ『火の鳥』には、人間より優位な存在となって人類のまつりごとを決定する末期的頭脳コンピューター「ハレルヤ」(『未来編』)や、事務ロボット「チヒロ61298号」(『復活編』)などのAIロボットが登場し、中には人を好きになるとう感情を芽生えさせたりもする。
それをイメージしたコラボレーションとして、今回のTeddyLoid氏とKizuna AIとの共演は意味深いものなのかもしれない。

    


事故の後遺症で、生身の人間がガラクタに、ロボット(無機物)が生あるものに見えてしまうという視覚障害を患ったレオナ。
そんな不憫な彼が、ある日偶然見かけた大企業の事務用ロボットであるチヒロに恋をしてしまう。
そして無我夢中でチヒロにマジ告白し猛アタックした結果、チヒロの頭脳回路に変化が生じる。

チヒロの本当の姿↓



個人的に、最初このシーンを彷彿とさせた曲といえば、Perfumeの「コンピューターシティ」。

絶対故障だ ていうかありえない

僕が君の言葉で悩むはずはない♪

という、無機質でどこか切ないフレーズと、アンドロイドっぽいエフェクト声。
近未来テクノポップユニットとして売り出したPerfumeだったが、最初まったくブレイクすることなく、自分たちがやらされてる歌いあげることを許されない無機質な音楽も全然好きになれなかった彼女たちが、この「コンピューターシティ」ではじめて「これ、カッコいい!」と、突如覚醒する。
この変化は、上記の歌詞にも通ずるところがある。
「エレクトロワールド」の破滅的な暗い世界観も手塚マンガに通ずるもんを感じるし、中田氏はひょっとして手塚マンガ読者なんじゃないだろうかと。




あとコンピアルバム『GENE』の中で、AIというか、近未来的な雰囲気を醸し出してるのが、相対性理論のVoやくしまるえつこの語りのみの「Human Is」という曲。
まぁ個人的には、なんか作詞者のオリジナルな世界観が強すぎてけっこう苦手。
言うてることが中二病の戯言というか、なにをウジウジ言うてんのやと。

語っているのは冷凍カプセルで眠りにつこうとするクルーという設定みたいで、カプセルといえば火の鳥の『宇宙編』に出てくる。




この話は、5人の乗組員が宇宙船という密室の中で、一人の美女隊員を巡ってお互い反目し合い疑心暗鬼に陥る、とっても気の滅入る陰湿なストーリーでこれもちょっと苦手。
まぁこういったことは現実の世界でも度々起こることで、これは環境的にも必然的な人間の本能行為で、もうどうしようもないんですよね。イヤだねぇ。
物語は、4人の搭乗員が冷凍カプセルで冬眠している間に、ひとりのクルーが操縦席で干からびて死んでいたところから始まる。

「牧村を殺したのはだれだ!?」

宇宙船が座礁し、それぞれカプセルで脱出した隊員たちの会話のみの回想録を交えた探り合いが繰り広げられる。
そして、彼らのカプセルの後を幽霊のごとく追ってくるもうひとつのカプセルの正体とは!?
ラストはなんか、『2001年宇宙の旅』みたいな感じで、映画媒体を意識した手塚のSF作家としての発想力と構成力が炸裂した傑作ではある。

ただ、コマ回しがヘンタイすぎるんよ!!実験的にもほどがある!



で、この「Human Is」という曲、なにやら惑星浄化システム(AI?)が一瞬人間としての部分を垣間見せるといったふうの内容なので、『復活編』に登場する「ロビタ」をイメージした曲なのかなと。

  


まぁロビタはAIというより、もともと人間であったレオナとチヒロの精神が融合した慣れの果ての姿である。
ドク・ウィークデー博士の術式によって、ノーラン・デュバリ氏液に浸されたレオナの脳髄の記憶を電子頭脳に移し替え、レオナとチヒロは精神的に結ばれるのだ。



ただ、博士の手抜きで、二人の融合体の受け皿にされた媒体が不格好なポンコツロボだった。
残念!!

ロビタ・プロトタイプ。(後に「足なんて飾りです」とばかりに滑車走行型に改良される)
    


といったように、実に複雑な経緯をたどっているロビタという存在は、手塚マンガ好きにとってはアトムよりも重要な位置づけにあるロボットキャラだと思われる。
なにを隠そう、かの手塚るみ子さんが運営する音楽レーベルの名が「MUSIC ROBITA」である。




個人的には、もっと『火の鳥』にふさわしい近未来的、宇宙的、実験的、変態的、狂気的、アヴァンギャルド、プログレッシヴ、サイケデリックなアーティストはいたと思う(GOMAとか)。
まぁでもここでそんなことボヤいても仕方がない。私には何の権限もないのだから。
自分で個人的に『火の鳥』くくりのプレイリストでも作ればよいことだ。




今回の『火の鳥』コンピレーションアルバムを皮切りに、また質の高いアーティストと手塚マンガとのコラボーレーションがどんどん実現されて、若い層たちにももっともっと手塚マンガ(特に68年~72年頃のマイナーな作品)が読まれればなと。


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火の鳥 音楽・自由編

2019年11月17日 | まったり邦楽
もう一年過ぎたというのに、まだまだ進行中の手塚治虫生誕90周年企画。

今回は、話題になっているのか?売れているのか?誰が買うのか?
大いに疑問を感じるこんな大胆な一品が出ちゃいました。


火の鳥コンピレーションアルバム『NEW GENE,Inspirilated from Phoenix』。




まぁ手塚生誕90周年つっても、だいたいがアトム、ジャングル大帝のレオ、ブラック・ジャック、リボンの騎士のサファイア・・・などの割と一般的に知られてる無難な手塚キャラしかフィーチャーされてない画の企画モノが多い中、手塚治虫のライフワークでもあった壮大なテーマとスケールで描かれた超大作『火の鳥』のみにスポットを当てたこのようなコンセプトのコンピレーションアルバムが企画されたのは、手塚ファンとしては大変心騒がされるものだった。
なんつっても各編に登場する個性的で雑多な登場人物、そしてサイケデリックな風景画がコラージュされてるジャケットが秀逸。
もうこれはジャケ買いするしかないでしょ!


『火の鳥』とロックとの相性の良さは、2017年のフジロックコラボTシャツですでに立証済みである。



私がこのコンピCDを、わざわざ大阪のタワーレコードNU茶屋町店まで買いに行ったのは、店舗限定特典の7ページにもおよぶ超小作『火の鳥 NEW GENE 誕生編』(つのがい画)が欲しかったからにほかならない。




参加アーティストは以下の錚々たる面子。



まぁ名前も知らなかったアーティストが約半分もいて、正直どれも私の趣味とはちょっとズレたアーティストばかりで、音的にはそれほど期待はしてなかった。
ギリベンジーくらいだったかな。

さて、アニメのサントラとかではないマンガ作品のイメージアルバムとしては、人間椅子が手掛けた『無限の住人』、そして手塚るみ子さんが20年前発起人として企画したコンピアルバム『ATOM KIDS』とかがある(10年くらい前に手塚プロダクションがAべックスと癒着した黒歴史的コンピ作品に関してはなかったことにさせていただく)。

    


こういったものは、その作品に寄せた歌詞内容と音で攻めるのか、自分なりの解釈であくまで自流の言葉の表現でいくのか、二通りあるかと思う。
前者でいくと「マンガそのままなぞっとるだけやんけ!」みたいなアーティストとしてはちょっと恥ずかしい仕上がりになる危険性もあるし、後者の感覚が過ぎると「この曲のどこが火の鳥やねん!」みたいな手塚ファンから吊るし上げにされる危険性がある。
『火の鳥』なんていう壮大で宇宙的なテーマのマンガを題材にするとなると、それはもう相当難しい作業であるかと。まぁこんなサイケでプログレッシヴなマンガを音像化できるのは、おそらくピンク・フロイドか、日本でならコーネリアスくらいのものだろう。




アーティストさん達も、最初依頼されたときはこの仏師茜丸のように苦悩したことかと思う。



なので、今回参加の各アーティストのほとんどがそれほど気負いせず、けっこう自分流にサラっと作った感じがする。企画側もそれほどプレッシャーをかけず、自分なりの『火の鳥』を自由な発想で作ってくださいって感じで依頼したっぽい。
だから、「あ、これめっさ火の鳥!」って感じれた曲はせいせい3曲くらい。あとは音的にも歌詞的にも(まぁ私歌詞の読解力あまりないからね)コスモゾーンを感じ取ることはできなかった。
一応『火の鳥』あるいは手塚マンガをこよなくリスペクトするアーティストばかりを選出したとは謳っているが、これもいささか疑わしい。

ベンジーなんて45年ぶりに『火の鳥』読み返したって言ってる時点で手塚マンガにたいして思い入れがないんだろうなってことが窺い知れる。
まぁこれはるみ子さんのゴリ押しだろう。

この対談を読んでもそんな感じ。
『浅井健一 火の鳥とロックを語る』

うん、今回収録の「HONESTY GOBLIN」て曲も全然コスモゾーンなんて感じられない。
そもそも『ゴブリン公爵』ていう手塚作品があるってことも知らなかったんじゃねべが?
ただ、普通にカッコいい。いつものベンジーのカッコいい楽曲だ。やっぱギターの音色が秀逸。
まぁ作りかけの曲があって「この歌詞ちょっと火の鳥に通じるんじゃね?」ってなノリで提供したんだと思う。


過去から未来、繰り返される歴史、輪廻転生、一即多/多即一、ニューエイジなど、火の鳥のテーマみたいなのをほんのりと感じさすものとしては、佐藤タイジ氏の「賢者のダンスフロア」、ドレスコーズの「循環進行/逆循環進行」の歌詞なんかがコスモゾーンにわりと近づけた楽曲であったかと。
ドレスコーズのは、なんか子供たち歌わせた曲で、坂本慎太郎っぽくてめっさ好み。





逆に火の鳥にめちゃめちゃ寄せてくれてる楽曲も数曲ある。

Shing02 & Sauce81の「藝術編 (The Artist) 」なんかがそうで、これはなかなかの変わり種。
いわゆる手塚治虫を主人公とした新たな火の鳥の物語を綴ったもので、手塚の苦悩と驚異の創作人生を前半で物語っており、後半は火の鳥がその気負いから手塚を解き放ち導くという、感動的な邂逅ストーリーをラップで捲し立てるという、メチャクチャ作りこんでくれたのがわかる楽曲。バックサウンドも秀逸。
まぁただ、後半能書きが過ぎるのがちょっと聞いてて恥ずかしいかな。


あと、七尾旅人、森山直太郎などの、自分の趣味的にまず聴くことはないだろうアーティストの楽曲なんかもかなり原作に寄せていて、なかなか好感が持てた。

最近犬のために音楽をやっているという七尾旅人氏の曲なんて、「火の鳥のうた」というストレートなものですからね。
何編のどの場面とかじゃなく、全体的に火の鳥のことを自分なりの言葉でほっこりと歌ったもので、歌詞うんぬんより歌い方や曲調に場面の風景や郷愁、生き物の儚さみたいなものを感じ取れて、「ああ、この人火の鳥好きなんだな」ってのがなんとなくわかる。
まぁ犬が好きなら『太陽編』のテーマで歌ってくれてもよかったのにとは思ったけど。




どちらかというと苦手な森山直太郎氏の楽曲も案外よかった。
つーか曲が「速魚」っていう、もう『鳳凰編』好きとしてはニヤっとせずにはいられないタイトルやし。
これがもう恥ずかしいくらいにそのまま『鳳凰編』をなぞったような曲で、これはいささか「寄せすぎやろ!」と思ったが、森山氏が我王の気持ちになって、恋人を偲んでもう触れることのできない速魚に捧げた歌っていう設定の曲であることを理解した瞬間、もう涙なしでは聴けない感涙の鎮魂歌となっている。
森山氏も多分『鳳凰編』が一番好きなんやと思う。 いや、いい曲だ。




本作を聴いてひとつ言えるのは、どれも楽曲のクオリティが高いこと。
なんせ普段自分が聴かんようなアーティストばっかやからなぁ、逆に新鮮で楽しめた。
この1週間車でずっと聴いてる。


私の場合、『火の鳥』が好きな故、知らなかったアーティストの楽曲に触れることができたが、この作品の参加アーティストのファンの方は、逆に手塚治虫の超傑作『火の鳥』を読むいいキッカケになればなと。

『火の鳥』は、日本史の勉強にもなるよ!

『NEW GENE, inspired from Phoenix 』Lyric Movie Trailer
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兄ちゃんチケットあまってへんか?

2019年11月03日 | まったり邦楽
昨日はCocco『Live Tour 2019 “Star Shank”』チケット一般発売日だったので、朝から近所のコンビニに赴いたのであるが。

まぁオリックス劇場だし、今のCoccoだったら以前のように瞬殺でソールドアウトになることはないだろうと、余裕をかましていた私はバカだった。


同じだ・・・・20年前と何も変わっちゃいねぇ・・・

本当にCoccoのチケットはとれない。


先月ミュージックステーション3時間SPに出演し、新曲「海辺に咲くばらのお話」をライブ披露したみたいで、私は観損なったんだが、その時間帯TwitterのトレンドにCoccoの文字が踊り出ると同時に、当クソブログの私が昔に書いたクソみたいなCocco記事へのアクセスが殺到し、Coccoは茶の間にまたかなりの反響を与えたんだなということを窺わせた。

確かにこの曲における「焼け野が原」を彷彿とさせる中間のCoccoの「オオオオ~~~~」という魂の底から突き上げるかのような雄叫びは、生歌やとみんな度肝抜かれるやろなっていうのはなんとなく想像できる。




で、先月はじめにリリースされたCoccoの最新作『スターシャンク』。
本作は、初期Coccoのサウンドの要であった根岸宗孝氏の13年ぶりの全面プロデュースということで、それなりに期待はした。
ただ、2006年の復帰作『ザンサイアン』は散漫とした内容で、前作の『アダンバレイ』にいたっては全く曲を思い出せないほど印象が薄い内容だった(てゆーか全然聴いてないんやけど)。
これは、プロデュース云々というより、全面的に作詞作曲をしているCoccoのその時のバイオリズムに因るところが大きいかと。


今回のアルバム制作にあたって、Coccoは20周年も終わって歌手を辞めてジュエリー職人になろうと、とあるジュエリー屋さんに弟子入りして修行を積む日々を送ってたらしく、宝石のパーツとパーツを繋ぐ「シャンク」という作業をしてたら、音が鳴り出して「これは出さないと」と思ってアルバムを作ることになったんだとか。

アルバム『スターシャンク』について語るCocco。(特典DVDより)



で、最初聴いたときは、「今回もダメか・・・・」という感じだったんだが、それは聴く前から「今のCoccoじゃな・・・・」ていう先入観で聴いていた己のニブくなった感性が故の愚鈍すぎる印象だったとすぐに気付かされた。

いやいや、今回の『スターシャンク』はいい!!

本作は言うなれば、20代の頃の音楽活動を辞める前の絶頂期に出した作品に近い感覚がかなり出た充実の内容であるかと。
ただ、そこにはベテランのメタルバンドがよく陥るような、「原点回帰!」と銘打って若い頃に出した最高傑作をただ意識しただけの、「栄光の時代よもう一度」的な悪あがき感は微塵も感じない。

初期の感覚が戻ったと感じたのは、やはり『ザンサイアン』ではあまり噛み合ってるとは言えなかった根岸氏のサウンドプロデュースが、Coccoのこの度のバイオリズムとうまく合致し、見事な相乗効果が生まれた結果かと思われる。
今回の作品は、とにかく復帰以降の作品によくみられた遊び心が過ぎる番外編的悪ノリなナンバーや、慣れ合い感のキツすぎる楽曲がなかったのがよかった。




椎野氏のダイナミックなドラミングに、厳かなストリングスで幕を開ける「花爛」からしてかなりヘヴィだ。
根岸氏のベース音ものっけから歪ませまくっている。
シリアスな雰囲気を纏う2曲目「2.24」もタイトルからしてかなり意味深なナンバー。
ここで、アルバム『エメラルド』で取り入れたCoccoのウチナーグチ節がほんのり加味された歌唱が霊験あらたかさをもって脳髄に響いてくる。
おそらく普天間基地の移設問題の類をテーマとしたナンバーなのであろう、後半にヘリコプターのプロペラ音、銃撃などのSEがピアノの乱れ音と共に迫ってくるこの根岸氏のミックスがカッコよすぎる!
「四月馬鹿」テイストの、鼻歌まじりに作ったかのような曲調でありながらほんのり切なさも感じさす「夕月」も秀逸。Coccoはこういう曲が本当にうまいね。
洗練された英詩ナンバーも相変わらずバランスよく配置されている。


同時録音?(特典DVDより)



今回はダークでヘヴィなナンバーが6~7割くらい占めてて、打ち込みサウンドもかなり多用されている印象がある。
その要素が色濃く出たのが、ライバッハの楽曲でも始まりそうなインダストリアルなイントロが厳つい「極悪マーチ」。これはCoccoの妖艶で流麗なるウラ声歌唱が効果的に機能した、今までにないくらいのテクニカル指向なナンバーで、これが見事にハマっている。

実は「極悪マーチ」は、19年前にすでにCoccoが同タイトルの詩を綴っている。
2000年の『ライブツアー 9ヶ所11公演』の合間を縫ってCoccoが書き上げたと思われる。
当時の心境を丸々転用したのでないのは一目瞭然だが、自虐的な内容であるのは一緒で、自己嫌悪感が当時の方がエグい。




立て続けにダークな曲調である「Come To Me」は、トチ狂ったようなSEといい、Coccoの悍ましい絶叫といい、チトやり過ぎ感が否めない。
ここまで病んだアレンジにしなくても・・・・ホラー過ぎてひくわ。


最初に本作を聴いて一番いい印象を受けた、Coccoのオシャレポップなセンスが炸裂した「願い叶えば」はMVも作成されている。
若い学生に制作を依頼したというこのラブリーなMVでCoccoと共演している中性的な男性は、本人も関係者も明言はしてないので定かではないが、Coccoの息子であることはほぼ間違いないかと。
だってCoccoソックリやん!(親子ツーショット写真はネット上で公式公開されている)



しかし、よくもまぁこれだけ身内をフィーチャーしたMV撮ったなぁ。
観てるこっちが恥ずかしくなるが、まぁCoccoはいまや何をしてもいい存在だからなぁ。


アルバムラストを飾る「フリンジ」は、最初「あなたへの月」系列の昔からよくあるCoccoの曲だなぁ~ってあまり気にもとめてなかったけど、歌詞の内容が頭に入ってくると、Coccoのエモーショナルな歌唱が心に沁み込んできて、とてつもなく情緒不安定な気分にさせられる。

あの頃なんて 戻ってくるわけなくて 

惨めになって でもまだ眩しくて♪

とてもシンプルな言葉なんだが、なぜか心に響く。
こういうのをサラっと書けるCoccoは、ほんま天才としかいいようがない。


今回のアルバムは、気づけばCoccoの通算10作目にあたる節目の作品。
なので、いままでの10枚のジャケットステッカーがついてきた。
こうやってみると、Cocco画伯の絵のアート性もずいぶん変わってしまったなぁ。



もうCoccoの作品に感動することってないのかなって、前作を聴いて思ったけど、ここにきてまたこれほどまでに私の感情を揺さぶってくるとは・・・・


Coccoは、あと10年は戦える。
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あま選平成ベストヒットソングス

2019年04月28日 | まったり邦楽
平成邦楽アルバムベスト30やってたら、仕事中にモラホラと平成TUNEベストも考え出してしまって、こらもう実施するしかないかなと。
で、テキトーにiPodでプレイリストを作成。
これはけっこうすぐ決まった。

このアーティストそんなに好きやないけど、どっかでかかっててこの曲だけはめっさええなっていうのが結構あったりするじゃないですか。
まぁそういう場合、ベストをレンタルするか中古で買ったりすることが多いんですけど。
その曲でビビっときてアルバム買ったら、ホンマにその曲しかええのがなかったりもよくしましたし。

平成のこの10年はスマートフォンの普及により、音楽のデータ化、ネット配信が急速に進んでいき、ダウンロードして曲のみを購入するというシステムに徐々に移行していきました。
それによって、悲しいかな、CDショップもどんどん潰れて逝きました。
最近ではデータすら持ち歩かずに、その場その場で音源を配信して聴くみたいなシステムになってきているんですってねぇ。

私はガラケーユーザーで、音楽をデータで買うということにいまだ抵抗を感じておるんですが、まぁ5年くらい前からCD音源をパソコンに取り込みデータ化し、iPodで聴くというスタイルにはなりました(ディスカウントスーパーやブックオフを徘徊する時のための耳栓がわりに)。
iPodを使い始めて、プレイリストを考える行為がけっこう楽しい。
曲順も人差し指一本で簡単に変えられるし。

媒体が変わっても、お気にメタル編集テープをシコシコ作ってた中学時代(昭和)からやってることはちっとも変わっとらん、令和になっても永遠の13歳です!




ベストTUNEはキリのいいところで50曲を選曲。
今回もアーティスト名義かぶりなしというルールで。
まぁiPod画面をそのままスクリーンショットで撮って貼り付けることにしたのでめっさ楽でした。

cocco キリンジ bird crazy ken band ゆらゆら帝国 bonnie pink


cibo matto blue beat player the boom drill king tofubeats pushim dry & heavy


capsule shellshock 餓鬼レンジャー きゃりーぱみゅぱみゅ tica baho salyu


bush of ghosts lily chou-chou perfume オーバードーズ blanky jet city


筋肉少女帯 54-71 電気グルーヴ 小島麻由美 baho 中山うり 川上つよし


super junky monkey 倉木麻衣 宇多田ヒカル 矢井田瞳 cro-magnon
gargoyle ego-wrappin' geisha girls サザンオールスターズ


異常、あま選平成邦楽ベストでした。

ひょっとしたら平成邦画ベスト10やるかも。
ひょっとしたらですよ。

とりあえず、よい令和元年を。


今日の1曲:『かわいそうなゾウ』 / ド・ロドロシテル
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さいなら平成 ~あま選平成邦楽名鑑~ その3

2019年04月26日 | まったり邦楽
あま選平成邦楽ベスト30残りの10枚です。
みなさまの予想は的中しましたでしょうか?

ここ10年、やはり齢を重ねるにつれ感性が鈍り、音楽に対する探求心も徐々に減退していきましたね。
突如クトゥルー神話への尋常ならざる探求心に目覚め、それ関連の書物や音楽ばっか漁ってた時期もあったりと。

邦楽くくりのフェスはけっこう行ってて、RUSH BALLやOTODAMAとか、あと最近では東京でのM.D.T.フェスや、ついこないだ神戸での『Q』フェスなど。
外タレフェスと違って邦フェスは、ミュージシャンのMCが理解できていいですよね。
国内最大級の邦楽フェスRISING SUNにもいつかは行ってみたい・・・・
北海道行ったことないんで。



21.『Untitles』 / 54-71 (2002)


英詩で90年代米オルタナからの影響をバリバリ感じさせるバンドなんだが、なぜか実に日本的で不可思議な個性を持ったバンド54-71。
音数を極限まで減らしたシンプルで肉体的なバンドサウンド。病んでいるようで実に気持よさそうに呻く素っ頓狂で奔放なラップ。そしてタメがいちいちカッコいい。
生々しく乾いたギター音が、まるでジャケットの水墨画のような匠の技を思わせる。


22.『Diving into your mind』 / 畠山美由紀(2002)


Port of Notesの畠山さんのソロデビュー作。
楽曲によっては(語弊があるかもしれないが)80年代の懐メロ歌謡に聞こえなくもないが、そこはLITTLE CREATURESの面々がプロデュースしているので決して安っぽくはならず、バックバンドの極上の演奏力とシャレオツなアレンジで、畠山さんのジャジーでエレガントな歌を堪能できる贅沢な一枚に仕上がっている。


23.『From Creation』 / DRY & HEAVY(2002)


ADFやMassive Attackなどの音楽に触れていたときからダブ嗜好は自分の中になんとなくあったが、ここまで本格的でディープな残響音を響かす本格派のダブはドラヘヴィのこのアルバムが最初だったと思う。なんせエンジニアがメンバーの中にいるからな。
Doorsのトリップ感ハンパないカヴァーなども収録されてて、ロック色が強めで楽曲が極めてキャッチーだったこともあって、この手のジャンルには疎い私にとって本作は実に馴染み易かった。
英語発音のハッキリしたリクル・マイさんの突き抜けるような、そして時に妖しいVoがとても痛快。


24.『QUEENDOM』 / PUSHIM(2004)


レゲエに関しては疎いが、聞くところによると、どうやらレゲエというものには大きく分けてダンスホール系とルーツ系との2種類があり、その両者は犬猿の仲ってゆーくらい好みがハッキリ分かれるそうな。
PUSHIMはその因縁深い垣根を取り払ったレゲエアーティストということで、まさにLOVE&PEACEな存在といったところか。
本作はレゲエのみならず、R&B、サンバ、ヒップホップと、雑多な楽曲をPUSHIMの圧倒的パワーヴォーカルでぶちかましているとった攻撃的作品。
平成の音楽業界最大の汚点にして大罪である忌まわしきCCCDの犠牲となった作品でもある。


25.『GAME』 / Perfume(2008)


広島出身の同級生3人組の一介のアイドルユニットが、結成8年目にして日本のJ-POP界に革命をもたらしたテクノポップ史に残る大名盤。
本作に詰め込まれたおしゃれ且つポップなサウンドのハイクオリティな粒揃いの楽曲群・・・この時の中田氏の研ぎ澄まされた創作力はまさに神がかっていたといえる。
敢えてそれぞれの自己主張を抑え、エレクトロサウンドに寄り添うヴォーカル加工の、そんなスマートな音楽が社会現象になったのだ。
それはやはり、Perfumeの楽曲がその辺のヒットメイカーが作るメニーピープルに“ウケる音楽”ではなく、“覚醒させる音楽”だったということである。
その後J-POPやJ-ROCKアーティストのエレクトロ指向が急速した傾向がそれを如実に物語っている。


26.『Johnny Cliche』 / TICA(2009)


美しい旋律のアコギが爪弾かれ、カオリさんの崇高なる麗しのヴォイスがスッと入ってきた瞬間、部屋の空気が一瞬で変わる。そんな音楽は初めてだったかも。
まぁ正直この作品の醍醐味は冒頭のオリジナルダブナンバー2曲まで。
あとは、Ticaのお家芸である2人の研ぎ澄まされたセンスと極上のサウンドアレンジで調理されたスタンダードやロックバンドのカヴァーを(ただ、ヴィレヴァンなどでよく流れてるような安っぽいカヴァー曲とはワケが違う)カフェミュージックよろしく優雅に楽しむといった趣向の作品。
ただ、打ち込み傾向の強いTicaのアルバムの中でも、本作は実にアコースティッキーで生楽器の温かみあるサウンドであるところがいい。


27.『s(o)un(d)beams』 / salyu x salyu(2011)


小山田圭吾氏の立体的でヒーリング効果の絶大な驚異のスタジオワークには以前より関心があったが、コーネリアスの楽曲は自分にはアンビエントすぎるというか、とくに歌の部分が馴染めなかった。
その小山田氏に積極的にアプローチをかけ、自らの声を素材としてここまで難易度の高い音の構築を成し遂げたSalyuの音楽に対する意識の高さには敬服するほかない。
Salyuの様々な歌声が万華鏡のごとく広がり花開き、アンビエントとポップが交差する驚異的な音像が脳内に絶大な恍惚と癒しをもたらしてくれる。
屈辱的で辛い時期に、この作品には随分助けられたもんだ。


28.『photogenic』 / Salyu(2012)


結局オマエはSalyuが一番好きなんじゃねーの?と思われるかもしれませんが、いや、たまたまSalyuがVoをとってる作品のデキが良かっただけです。
Salyuソロ名義になってからの作品は最初、小林武史氏との相性が本当に合っているのか?と思わせるくらいなんかシックリくるものがなかった。
Salyuのあの凄まじい高音域の歌唱は、相当のヴォイストレーニングを想像させるもので、それが時には痛々しかったり聴き苦しかったりもした。
で、本作でようやくSalyuの歌声が楽曲にうまくフィットしてる感じになり、優雅な歌いまわしも見せ、楽曲によっては達観、あるいは余裕すらも感じられるようになった。
キャッチーとは言い難いが、弾むようでSalyuのしなやかな歌がフィーチャーされた素敵にポップな作品。


29.『なんだこれくしょん』 / きゃりーぱみゅぱみゅ(2013)


中田氏はPerfumeとはまた違った方法論で(歌に感情を込めさせないのは一緒だが)、きゃりーの奇抜なキャラクターをさらに音楽によって拡張させることに見事成功している。
本作はとにかくおもちゃ箱をひっくり返したような、楽しい音で溢れかえっている。
「にんじゃりばんばん」やら「きゅーきゅきゅーきゅきゅきゅ」といった意味不明の擬音や造語だらけのまさに「なんだこれ?」といったフレーズ群は、奇をてらったというより、すべては耳心地の良いポップな楽曲の素材なのであって、歌詞の意味などもうどうでもよくて、音を楽しむとはそういうことなんだってこと。
きゃりーの音楽が海外でも人気があるのはそのためだ。


30.『ナマで踊ろう』 / 坂本慎太郎(2014)


人類滅亡後のBGMというコンセプトのもとに制作された坂本慎太郎くんソロ第二弾。
ポップセンス抜群の楽曲群、スティールギター、サックス、バンジョー、そして様々な種類のパーカスの音色が作品を楽しく彩っている。
でも哀愁と虚無感の入り混じる坂本君の歌を聴いていると、なんだか怖くなったりもする。
この坂本君の終末思想的アルバムを聴きながら、平成最後の夜を迎えるのも悪くはないかと。


てかここ5年間からの作品皆無ですね。
全然ダメですね。


平成22年11月@静岡



今日の1曲:『森のこびと』/ うたううあ
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さいなら平成 ~あま選平成邦楽名鑑~ その2

2019年04月23日 | まったり邦楽
あま選平成邦楽ベスト30第二弾を発表します。

大学を卒業してからくらいから、ケーブルテレビでSSTVに加入していたこともあって、民放では映らない良質のアーティストに触れる機会が多くなって、ここらへんからグッと邦楽に対する興味が急増しました。
一方メタル、洋楽に対する興味は激減。

そして邦楽の曲を知ることによって、あれだけ忌み嫌っていたカラオケにも積極的に参加するようになった。
やっぱ日本語で歌を歌うのは気持ちがいい。だってちゃんと歌えるから。

あの頃は、世の中的にも邦楽がすごく盛り上がっていたような気がする。



11.『ブーゲンビリア』 / Cocco(1997)


バレリーナになるために単身上京した沖縄の女が、突如歌手デビュー。きっかけは復讐。
音楽的な教養皆無であったCoccoの才能を見出し、音の通訳となってアレンジを担当した根岸宗孝氏によるヘヴィロック的アプローチが功を奏した衝撃のデビュー作。
復讐に燃える女の生々しい歌は、残酷にしてエロティック、そしてこのCocco描くジャケ画のようにしなやかでアーティスティックな美しさをも内包している。
小手先の技術ではなく、Coccoの歌は彼女の内面から溢れ出る原始的な魂の叫び。共感とかじゃなく、その凄まじい感情の表現力にただただ圧倒されるばかりなのだ。
こんな恐ろしい音楽が大ヒットしたのだから、ようやく日本の音楽シーンがおもしろくなってきたなと思った。


12.『3×3×3』 / ゆらゆら帝国(1998)


ミッシェル、ブランキーは意識の高い実力あるバンドとして一目置いていたがハマることはなく「なんかカッコつけてんな」って感じだったのに対し、ゆらゆら帝国を初めて目の当たりにしたときは一瞬で心を奪われ、心底「カッコいい!!」と思った。
なにか体内のどこかから溢れだすイケナイ分泌物が、ギターのシールドを通ってアンプから発散されるような、そんな危険な香りのする彼らの轟音に脳天をブチ抜かれる思いがした。
悲哀、虚無感、エロティシズムといったものがグニャグニャと入り混じる坂本君のサイケな歌といい、日本にも凄いバンドがいたんだなって思った。


13.『勝訴ストリップ』 / 椎名林檎(2000)


デビュー当時から林檎の歌声はあまり好きじゃなかった。どうも神経に触るというか。サディスティックで倒錯的な歌詞、奇をてらったタイトル、巻き舌、サブカル演出、メンヘル、コスプレ、胸の谷間の強調・・・・と、まぁハッキリいってキワモノの部類だろう。テレビに映ってるときはやけにとりすましてるけど、かなりのナルシスト感が否めない。とにかく全てが打算的。ホンモノだったら殺人未遂か自殺未遂くらいしなくちゃ。
まぁでもそういうのひっくるめて、このアルバムはよくできている。


14.『Mind Travel』 / bird(2000)


ジャズ、ソウル、ヒップホップ、ボサノヴァなどの要素をほどよくブレンドさせた大沢伸一(モンドグロッソ)による卓越したサウンドプロダクション、そこに水を得た魚のように軽快に歌うbirdのソウルフルな歌が織りなす極上の一枚。
基本的に女々しいバラードソングは好きではないが、birdの諦めと未練がましい感情が入り混じる切ない歌の「4PM」には胸を締めつけられずにはおれない。
とにかくバラエティに富み、捨て曲というものが見当たらない完璧な作品。
ひとつ苦言を呈するなら、このジャケットなんやねん!!


15.『3』 / キリンジ(2000)


近年シティ・ポップへのリバイバルな動きが音楽業界で巻き起こってるような気がするが、まぁその手のジャンルにはあんまり関心が持てない自分なんだが、なぜかキリンジの音楽に惹かれるのは、そのオシャレなポップ感の中に、スティーリー・ダンからの影響を感じさすヒネリや、70年代プログレッシヴロックのエッセンスが感じられるからだと思われる。
そして、マジなのかふざけてるのか測りかねる不可思議な感覚を持ったアンティークなリリックがひっかかってしゃーない。


16.『FIVE』 / RIP SLYME(2001)


悪そうなヤツはだいたい友達であることを自慢し、この平和ボケした国でぬくぬく育っておきながらスラム街育ちのチンピラを気どる邦ヒップホップグループにはほとんど興味なかったが、シモネタ混じりの快楽主義的なノーテンキライムをまくしたてるリップスのヒップホップ感には不思議と抵抗がなかった。
フミヤのつむぐユニークかつオシャレなインストが耳心地よく、バカボンのママがフィーチャーされた「Talk to me」とか最高。


17.『満ち汐のロマンス』 / EGO-WRAPPIN' (2001)


埃っぽい場末のキャバレーのステージで生演奏してるような、戦後間もない荒んだ街のシアターで上映してるコジャレた映画のBGMで流れてるような、そういう自分の生まれる前の時代の風景を思い浮かばせるのがエゴラッピンの音楽かもしれない。
ただ、当時昭和歌謡とか、レトロミュージックとか言われてたみたいな単純なものではなく、今聴いても色褪せない普遍性があり、音の質感も実に洗練されていて、これ以降の作品の試行錯誤、紆余曲折ぶりが痛ましいほどに完成度の高い作品。


18.『Buddhists Tracks』 / BUSH OF GHOSTS(2001)


DETERMINATIONSの市原夫妻を中心に、関西のダブ系ミュージシャンがワイワイ集まった、まぁ関西限定のお遊び感覚のインディーダブプロジェクトなんであるが、これがムチャクチャかっこいい。
ループするぶっ太いベースの重低音に、徐々に迫りくるダブのとてつもない高揚感。とにかくこのバンドはライブが凄かった。
京都の情緒あるライブハウス拾得で憑き物がついたかのような異常な盛り上がりを見せた、あの夜のライブは忘れられない思い出となっている。
なので後にリリースされたスタジオ作品がとても物足りなく感じた。


19.『呼吸』 / Lily Chou-Chou(2001)


リリイ・シュシュは、インターネット小説上の、あるいは映画の中でのみ浮遊するエーテルのような架空の存在。
岩井俊二×小林武史×Salyuの奇跡の三位一体が、その音像だけでリリイ・シュシュという実態のない存在に命を与えた。
映画『リリイ・シュシュのすべて』は、これまでにないくらいに感情を揺さぶられた衝撃の内容だった。それからしばらく私はリリイの亡霊にとり憑かれることになる。
あの憂いのこもった浮遊するかのようなくぐもった歌声・・・・それを後に正式ソロデビューを果たすことになったSalyuに求めたりもしたが、やはり違っていた。
Salyuは今でもちょくちょくリリイの楽曲をライブで歌うが、全く別物である。まぁ仕方ない。Salyuはリリイではないからな。


20.『Chat Chat Determination』 / DETERMINATIONS(2002)


なんの迷いや他意のないゴキゲンにスカしたスカミュージックをマイペースで演奏するその堂々たる佇まいが、彼らが育った大阪の下町の(知らんけど)情緒深さを感じさせる。
乾いた音色のギターといい、抜けのいいドラムといい、音の質感も渋すぎる。
これからって時だったのになぜか突然解散してしまった。


あと残り10枚!
平成の世も残りわずか!はよせな


BUSH OF GHOSTS@拾得



今日の1曲:『DEVIL』/ JUDE
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さいなら平成 ~あま選平成邦楽名鑑~ その1

2019年04月21日 | まったり邦楽
もういくつ寝ると、平成も終わっちゃいますね。
そこで先々月くらいにふとメチャクチャ面倒くさくしんどい企画を思いついちゃったんですけど。

自分的平成邦楽ベスト30選とかいうの。

新譜を全然購入しなくなって、5枚すら選ぶことにも無理が生じて毎年やってた『AMASHINレコード大賞』もやめてしまって、こういう企画は楽しいけど面倒くさくって全然やってなかったので、元号が変わる節目としてやってみるのもおもしろいんじゃないかと。つかもうこれは義務感ですね。

まぁ大半が本ブログで紹介したことのある作品になってしまうと思われるので、文章の方は同じこと言うてるやんけってなるかもしれませんが、まぁ今に始まったことじゃないので。

平成の30年の間にリリースされたアルバムということで30枚選出しようかと思います。
日本の元号くくりなので邦楽のみで。
何位とかは付けてません。一応リリース年代順で。
上原ひろみとかKUNIなどの、半分以上外人のミュージシャンが混じってるような国際的なアーティストの作品は断腸の思いで外させていただきました。

まぁ、私が邦楽をよく聴きだしたのは20世紀も末期の頃で、90年代のはじめの頃は、まだまだ洋楽至上主義のクソメタル野郎だったので、邦楽というものをほとんど聴いてなかったんですよね。
バンドブームでうじゃうじゃ出てきた日本のバンドなんかも全然聴いてなかったし。

そんな私の選ぶ30選なものだから、時代によってだいぶ偏りがありますし、一応同じ名義のアーティストの作品を選ばないというルールで選出したものだから、絞り出すのにけっこう苦戦いたしました。
まぁこの30年間邦楽全然聴けてなかったんやなぁと痛感させられたしだいであります。

90年代初頭にも自分が知らないだけでまだ出会ってない素晴らしい邦楽アルバムがたくさんあるかと思われます。
でも全てのアルバムを聴くなんてことはまぁ誰だって不可能なことだと思うんで、「あの名作が入ってないなんて、コイツ全然音楽を知らないなぁ」って思いつつもどうか許してやってくださいマンモス。


1.『Incompetent...』 / DOOM(1989)


アヴァンギャルドにして粘着質な曲展開・・・
DOOMサウンドのこの異質なる陶酔感は、人間の心の奥底に潜むヌラヌラとした変態嗜好を呼び覚ましてやまない。
「I Can't Go Back To Myself」の間奏における諸田コウ氏(RIP)の驚異的なフレットレスベースワークは、平成史に残る(まぁ平成史どころじゃないけど)至極の名演。


2. 『MOTAL DAYS』/ SHELLSHOCK(1989)


演奏、サウンド共にとてもチープだが、各楽曲がとてもシッカリしていてデキがよく、AKIRA氏のトンがっていてドスのきいたVoが素晴らしい。
ピュアなスラッシュサウンドを奏でた良質なスラッシュメタルアルバムとして、OUTRAGEの初期作品と並び称賛されるべき一枚。
まぁこの作品以降のバンドのブレまくりぶりは残念というほかないが。


3.『禊』 / GARGOYLE(1989)


見た目は様子のおかしいヴィジュアル系だが、和性色の強いまぁ変わったメタルバンド。
屍忌蛇のメロウで流麗なギターワークは絶品。そしてザ・クロマニョンズのドラマーとして出世した抜けのいい音を叩き出すKatsujiのドラミングといい、演奏面での実力のほどはこのインディーズの頃から顕著。
そこに和太鼓やらストリングスやらサックスやら女性コーラスなどを挿入するといった1stにしてとても創作性に溢れた作品。
変な歌詞を含め、全てにおいてクセが強すぎるが非常におもしろい。


4.『猫のテブクロ』 / 筋肉少女帯(1989)


筋少は鬼才三柴江戸蔵が在籍していた昭和期の作品が断然好きだが、私が最初筋少に衝撃を受けたのは、三柴の入れ替わりで加入した元AROUGEのギタリスト橘高の色が全面に出たメタル体制になってから。
ただ、いくらメタル好きでも、プログレ好きでも、筋少の音楽にハマるハマらないかは、その人の持つ素養に関係しているかと。
筋少の作品は、大槻ケンヂの物語るカルト的で文学的な詩世界、そのコンセプトが大きく音楽に反映しており、その世界観を汲み取り、卓越した演奏者たちが演出、アレンジを加えて見事な物語を紡ぎだしている。
橘高がもし筋少に加入せず、普通のジャパメタバンドをやっていたら(最初誘われた時は「なんで俺が筋少に入らなきゃならないんだ!」と思ったらしい)、おそらく彼はここまでアレンジャーとして大成しなかったと思う。


5. 『人間失格』 / 人間椅子(1990)


元来ジャパメタというものにほとんど惹かれたためしがなくて、メタルを日本語で歌うことのダサさ、オリジナル性や音の弱さ、洋メタルに追いつこうとしてる空しいあがきと劣等感・・・・
それをすべて払拭してくれたのが、まさかのイカ天出身バンドの人間椅子だった。
まぁこれは青森県出身という彼らの生まれそだった環境、サバス、ツェッペリン、クリムゾンなどの70年代HR嗜好、そして和嶋氏の文学への造詣の深さが絶妙な化学反応をきたした特異な産物。
それにしても、平成の時代に1stにおけるこの古々しさとこもりサウンドは、故意とはいえ常軌を逸していた。


6.『What's The Truth?』 / SxOxB(1990)


約4年前に、世の中を震撼させた元兵庫県議会の某議員による笑撃の号泣記者会見を覚えていらっしゃる方も多いかと思います。
あの某議員の盲滅法わめき散らす異常な記者会見は、不快というよりむしろ痛快さを覚えた方がほとんどだったのではないだろうか。
約30年前にすでにそのスタイルを打ち出し、世界中を震撼させたのが、グラインド・コアというジャンルを確立させた日本のSxOxBだった。
このSxOxBの極限まで突き詰めた音楽性とTOTTSUAN(RIP)のVoスタイルは、Napalm Death、Brutal Truth、Carcass、ジョン・ゾーンらに多大なる影響を及ぼした。


7.『VITAMIN』 / 電気グルーヴ(1993)


マトモとオフザケをゴチャマゼにした捉えどころのない極上の倒錯的音遊び。それが電気グルーヴの魅力だと思う。
彼らは間違っていない。音を思いっきり楽しんでいる。聴き手もそれを楽しんでいる。
いろんな意味でオモシロイことをやるのが彼らのスタイルで、そういう意味では彼らはブレているようでブレてない。
で、本作はマトモじゃないようでけっこうマトモだったりする。


8. 『セシルのブルース』/ 小島麻由美(1995)


ある日訪れた大阪のヴィレヴァンの音楽コーナーのBGMで流れてて一瞬で小島さんのガーリーな歌声に魅了されたのを今でも覚えている。
やっているのはレトロでオシャレなガールズロック、でもどこかぶっとんでいて異常、それでいてとってもピュア。
当時の退屈な日本の音楽シーンにおけるフラストレーションが一気に爆発したような小島さんの突き抜けたスキャットが絶品。


9. 『地球寄生人』/ SUPER JUNKY MONKEY(1996)


男優勢の当時の日本ハードコアシーンにおいて、唯一ハマったのがこの女性のみによって編成されたSUPER JUNKY MONKEY。
スラップバキバキのファンキーさや、ディレイがかったサイケ感溢れるギターワークなど、当時のクロスオーヴァーの時流にうまくのっかった一工夫も二工夫もある粒揃いの楽曲と、ガールズバンドならではのウキャウキャしたノリが、ただドス声かましてトンがってるだけの男のハードコアバンドとは一線を画していた。
睦(RIP)のVoスタイルは林檎とかにも影響を与えていたのではないだろうか。


10. 『Viva! La Woman』/ CIBO MATTO(1996)


バイリンガルなミホ&ユカによるガールズオルタナユニットCIBO MATTOによるサイケデリック、ヒップホップ、パンクと、雑食系のふたりの食いしん坊ぶりが炸裂したデビュー作。
非常にゴッタ煮感の強い混沌とした作品だが、それを彼女らのセンスと遊び心でオシャレにまとめている。
とにかくミホちゃんのキュートでぶっとんだラップが最高。


という感じで、とりあえず10枚まで。
なので3回に分けて発表していきますんで、乞うご期待。

ボツ画像



今日の1曲:『ツルっとフランス子守歌』/ ペダル踏弥
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停電

2019年03月17日 | まったり邦楽
30周年の節目の年に、なにしとんねん・・・・


ピエール瀧、コカイン使用で逮捕。


このニュースは深夜にまぁまぁのリアルタイムで入ってきて、「まさか!!」の出来事に、やはり動揺を禁じ得なかった。
正直先日のProdigyのフロントマン、キース・フリントの突然の訃報よりも衝撃だった。

だってピエール瀧といえば、もう音楽ファンだけのものではなく(大規模なツアーやフェスも控えてたのに・・・)、今じゃドラマや映画にひっぱりダコの大物俳優としても広く世間に知られる存在となっており、今年のNHK大河ドラマ『いだてん』にも、なかなかの重要役として出演してる真っ最中だった。
その業界における混乱と経済的ダメージのことを考えると、どエライことになったなぁと。


で、ソニーの対応も迅速かつ冷酷。



当然、電気グルーヴの音源の出荷停止・在庫回収・配信停止を受けて、全国から猛反対運動が展開している。
今回のソニーの措置に対して、坂本龍一氏までもが「なんのための自粛ですか?」「聴きたくない人は聴かなければいいだけ。音楽に罪はない」と、苦言を呈す動きをとっており、日本音楽界における電グルの重要さがわかろうというものだ。
まぁ過去に数々のミュージシャンや役者の覚醒剤使用発覚により、その人物が携わった諸作品が販売停止、回収される騒ぎは今までに何度も見てきた。
でもファン以外の人はだいたい「自分には関係ないから別にどうでもいいや」っていうスタンスだったと思う。

私自身電気グルーヴの作品はけっこう所持してる方だと思うが、実はそれほど熱心なファンというわけではない。
新作出たら毎回チェックしてるわけでもないし、電グルのライブを見たのは今まで3回程度。
今年の30周年ツアーにも行く予定はなかったし(たしか先週の日曜の大阪公演が最後となったんだっけ?)
ピエール瀧個人にしても、最近のライブを間近で見て(2017年のPerfume FES!!の時)それほど存在意義は感じられなかったし、ドラマ、映画に関しては基本あまり興味がないので、たまにドラマ見てて瀧の姿を見たら「あ、出てはんな」くらいのもんだった。

なので、今回のソニーの措置に対して個人的には行動を起こす気にはなれないし、賛同もしない。
ファンの人はだいたい音源持ってるだろうし、瀧の早期復帰を祈るしかないかと。
まぁまだ電気グルーヴの音楽に触れられてない方とか、聴きたい!って方はレンタル屋いったらたぶん音源手に入ると思う。


ただ、ネットで無料動画がなんぼでも見られるこの時代に、電気グルーヴの映像作品が見られないのはなんとももったいない話だと思う。
すでにYOU TUBEにたくさんあった電グルのPVはことごとく削除されたようだ。

そこで私が数ある電気グルーヴ作品の中で、中古屋かなんかで良心的な値段の内に見つけたらすかさずゲットしていただきたいのが、電グルのPV集『ゴールデン・クリップス~Stocktaking~』である。



本作は、たしか電グル結成20周年のときにリリースされたもので、1990年から2009年にかけての28曲にも渡る電グルの珠玉のPV映像が詰めに詰め込まれているテンコ盛りDVD。

にわかの私から言わしてもらうと、電グルのあのつかみどころのない狂った魅力が一番よく表れているのは、実はPVなんではないかと。
音を切り貼りサンプリングしてなんぼの世界で躍動している電気グルーヴだからこその、そういう音楽の特性を活かした編集遊びのおふざけ感満開の、実にセンスのいいクリエイティヴな映像世界が展開している。
まぁこれは、電気グルーヴの20年間の歴史を辿る意味としてもよくデキた作品だと思う。時代も感じられるし。
今回の悲しいニュースを受けて暗い気持ちになっている人も、これ見たらきっと気分が晴れるんじゃないかと。

ということで、動画は貼り付けることはできないが、その中からいくつか抜粋して紹介していこうかと思う。


「WE ARE」


高校の時、このPVで初めて電グルを見て衝撃を受けたのを今でも覚えている。
「テクノか~、趣味やないけどこいつらなんかおもろいな」と。
バブル末期の90年。破廉恥でアホっぽいその時代の空気を逆手にとったアホっぽさがいい。


「誰だ!」


ハンディカムで撮ったアホなライブシーンやプライベート映像を編集しただけのチープな作りも電グルPVの手法のひとつ。
ドリルキングでの活動も伴って、一番電気らしいケミストリーが生まれてた時代ではないだろうか。


「FLASHBACK DISCO」


これは金かかってそうなサイケデリックなPV。「シャングリラ」で儲かった後やからな。
気つけばめっちゃスタイリッシュな音楽になってた電グル。このあたりから音源を買いあさるようになる。


「VOLCANO DRUMBEATS」


これも編集遊びがハンパない。すっかり定着した電グルキャラに「アボジー!」


「Mr. Empty」


電グルはアニメーションPVもけっこうあるが、どれもこれも秀逸作ぞろい。
昭和感に満ち溢れたネタが満載で、それでいてすごくアートフルでもある。


「Cafe de 鬼(顔と科学)」


アニメの終わりの歌風PV。
ダフト・パンクの「One More Time」の百万倍センスを感じる。


「少年ヤング」


セーラー服にスケバン。とにかく80年代アイドルのカッコした女の子がいっぱいのノスタルジックなPV。
これ、ファンに扮装させてるんやろか?


「モノノケダンス」


世界初?紙人形劇PV。天久聖一はやっぱ天才。
このPVは確かSSTVで「BEST VIDEO OF THE YEAR」に輝いた。
ひとつひとつの妖怪の人形を見てるだけでも楽しい。オチがサイコー。


「Fake It!」


CG動画のいきすぎた例。はっきりいって狂ってる。
瀧というより、この映像つくったやつの方がヤクやっているとしか思えない。


「電気グルーヴ20周年のうた」


不二子不二雄風コミックスPV。
アルミ伯爵画の『前髪タラちゃん』のマンガ本、欲しい。


「Upside Down」


二十歳前後くらいの素人っぽいねーちゃんたちが自室(あるいはホテル?)にて我流ダンスをいっぱい踊りたくってるだけという、シンプルかつクラブっぽいオシャレさが出たPV。
男性はけっこう目の保養になるかと。これって募集映像もん?


このPV集を見てると、電グルの音楽ってほんと懐が深くて、持ってないカッコいい音源もあったりして、自分まだまだ追求できてないなぁと。


これらの傑作動画を本ログでお届けできないのがほんと残念でならない。
ネット上で映像くらいは残しといてあげてもいいのに・・・
どっかのしょーもないユーチューバーのバカ映像よりはよっぽど健全だと思うんだけどね。


なお、瀧の一切関わってないこのCM映像は「続ける方向で協議中」とのこと。
よかった・・・・
(まぁそれゆうたら電グルの曲でもいっぱいあると思うんやけどね)



今日の1曲:『力医師』/ 鳥゛留噛男
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ポリリズム

2019年03月10日 | まったり邦楽
ついに入手した!(去年やけど)

『ポリリズム』初回目ぇつむってしもたヴァージョン。

Perfumeの他の初回限定シングルはけっこう出回っているのに、このPerfumeの代表曲ともいえる『ポリリズム』の初回限定盤は、以前より入手困難でいまだなかなかのプレミア価格で取引されている。
リリース当時、東京ではアッという言う間に売り切れて、Perfume本人たちですら買うことができなかったとか。
地元広島とか地方にはけっこう余ってたらしいけど。

基本シングルは買わない主義なので、当時この曲にひっかかったのにも関わらず購入しようなどとは露程にも思わなかったんだが、でもこのジャケット、実にスタイリッシュでこのリサイクル識別表示マークをイメージした三位一体のポーズといい、ほんとよくできていてコレクターの性から徐々に手に入れたい願望が強くなったのは必然であったかと。


まぁPerfumeにそれほど関心のない方でも「チョコレイト・ディスコ」と、この「ポリリズム」くらいはご存知の方も多いだろう。
「ポリリズム」は、まだアイドルという存在が低迷していた2007年に満を持してリリースされ、その楽曲の持つクオリティとキャッチーさだけで多くの人間を一瞬で振り向かせた神曲と言って差し支えないPerfume躍進劇の転機ともなった重要ナンバー。
「チョコレイト・ディスコ」は実はそのちょっと前に発表された曲で、リリース当時はそれほど売れてなくて(木村カエラなどの一部の人間には認知されていた)「ポリリズム」の大ヒットにより再認識された曲だ。


私自身、12年前この「ポリリズム」の曲が起用されたNHK公共広告機構ACリサイクルキャンペーンのCMを見て、「なにこの曲?!」とビビっときてPerfumeにハマった口である。
その時はこれを歌ってるのがアイドルなのか何なのかもわからないことだらけだった。

当時からダフト・パンクとの類似性が指摘されていたが、確かにこのPVは「Around The World」っぽいな。



「ポリリズム」は、リサイクルキャンペーンソングであることにもちなんでポリエチレンテレフタラートの「ポリ」(重合体)からヒントを得た楽曲であるということもあるが、間奏部に複数のリズムを同時進行させるという音楽の技法である“ポリリズム”を導入するという、中田ヤスタカ氏の天才的で常識ハズレなアイデアが見事に功を奏した革新的J-POPナンバーであるといって言いだろう。

ただ、この中田氏の奇抜な楽曲のアイデアに対して、発表前事務所サイドからはかなりの抵抗があったらしい。
一介のアイドルユニットの曲に、そんなワケのわからない難解な音楽技法を盛り込んでリスナーがついていけるのかと。

この時の、異端児中田氏の武勇伝がカッコよすぎる。
まぁ最近でいういと、ロングヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』で印象深かった、クイーンのメンバーとレコード会社の社長が、今までにない奇抜な発想の名曲「Bohemian Rapsody」をシングルとして出すか出さないかと真っ向から対立する、あのシーンを彷彿とさせるエピソードだ。

当時のPerfumeのマネージャーもっさんの証言。


そして、シングル『ポリリズム』はオリコンチャート7位にランクインするという、結成7年目にしてこれまでにない大快挙を成し遂げる。


この「ポリリズム」の突飛な音楽技法の妙に関しては、かつてインテレクチュアル・スラッシュメタル・バンドの始祖MEGADETHのメンバーで黄金時代を築き、今ではすっかりお馴染みの日本在住外人タレントになってしまったJ-POP好きで有名なマーティー・フリードマンが、昨年アーバンギャルドの松永天馬氏とのラジオ対談で熱く語っている音源があるので、ここに紹介しておく。

181013-20【Perfume考察 2週まとめ】


最初にPerfumeのサウンドを聴いて「小室哲哉?」と思ってしまうその感性が理解に苦しむし、「Perfumeを今頃知るなんて遅いんだよ」って、オマエも常に邦楽チェックしてた割に「Baby cruising Love」が初めてって気づくの遅いやろ!ってつっこみたくなったが、マーティーがここまでPerfume好きとは知らなかった。
やはり彼もJ-POPの曲にこんな変拍子を駆使した複雑でプログレッシヴな音楽技法を取り入れるなんてヘンタイだ!みたいな、ミュージシャンならではの視点でこの楽曲を評価している。

私自身、まぁキング・クリムゾン好きってのもあって“ポリリズム”という技法はアルバム『Discipline』などで学生の頃から馴染みはあった。
だからそういうプログレッシヴな観点でPerfumeのことを好きなんだと思われがちかもしれない(自意識過剰?)。
ただ、私が最初Perfumeの「ポリリズム」にビビっときたのはACのCMでだったというのはさっきも言った通りで、CMではあのポリってる部分はハショられている。
つまり「ポリリズム」は、サビメロの部分だけでもリスナーを一瞬で振り向かせられる十分な魅力を持った、二重にも三重にも優れた名ポップナンバーなんだということ。

“ポリリズム”を導入し、「肉体的な鍛錬をした者しか演奏できないような高度な音楽でありながら踊れる音楽にもなる」というコンセプトの元に、80年に再びメンバーを招集して制作されたフリップの勤勉で変態的な人間性が爆発した異色作『Discipline』。



ちなみに私の周りにもプログレ好きは何人かいるが、歌い上げない軽めな歌唱の女の子3人によるダンスユニットという形態、生楽器で演奏しない打ち込みで作られた電子サウンドに対して寛容でない彼らがPerfumeの楽曲を受けいれることは、まずない。


Perfumeの楽曲の魅力はいろいろあるけど、やはり中田氏の紡ぎ出す軽やかで良質なポップサウンドに、彼女たちの決して前に出すぎない声音が乗っかるという絶妙なバランスの耳心地の良さにあるかと。
マーティーは自身のギターアルバムで「ポリリズム」をカヴァーしていて、この複雑構成な楽曲を己のギターテクで弾きこなすという挑戦の意味でもあったらしいけど、ハッキリいってこの曲をギンギンにメタリックに表現しようなんてのはナンセンスにもほどがあるし聴く耳が持てない。
Perfumeの大ブレイクをキッカケに、メタルとかハードコアとかをアイドルにやらせるという「型破りでしょ!」っていう鼻息の荒いユニットが、それこそゴミみたいに世の中に溢れだしたし、今じゃアイドルがプログレッシヴな楽曲をやることなんて珍しくもクソもなくなった。


Perfumeの、現在の他とは次元の違う確固たる地位があるのは、その他大勢みたいに時代に寄せるのではなく、中田ヤスタカ氏の「自分がカッコいいと思えるもの」「単純にいい曲を作りたい!」という、天然ともいえる音楽に対しての実直さと熱意、そして、アイドルとかテクノポップとかの前に、事務所の仕掛けとか選抜ではなく、自らが結成し小学生の頃から築き上げてきた(これはかなり稀なケースであるが)この3人でPerfumeをやり続けるという彼女たちの固い絆と強い意志とが、見事に合わさったからではないかと。
(だから他のユニットみたいに誰かが抜けるなんてことがない)

それをあたかもこの『ポリリズム』のジャケットが示しているようではないか。





今日の1曲:『ポリリズム』/ Perfume
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カミューラ・ランバン・アタック

2018年08月28日 | まったり邦楽
新作出たら必ず購入する数少なきアーティストのひとつPerfumeのフルレンス作品も今回で7作目。
1stが出た当初は存在すら知らなかった(というか知られてなかった)が、あの革新的大ヒットナンバー『ポリリズム』から私もPerfumeの音楽にハマって10年目にあたる。
私もあれから歳とったけど、彼女たちも今年で三十路。


今回のアルバム『Future Pop』。

おとぎの国の森を軽やかに散歩してるかのようなメルヘンチックなイントロダクションからして「ん?ヤスタカ氏また意表を突いてきたな」と思ったが、アルバム一周したときは「え?もう終わり?」と、スレイヤーの『Reign In Blood』のA面を初めて聴いた時のような呆気なさを感じた。
で、そのままやけど「なるほど、確かに未来的でポップな作風やな」と。




今回は3分台のラジオエディットばりのコンパクトな楽曲がほとんどで、いつもの5分超えのナンバーは皆無。トータルタイム42分という、46分カセットテープにも余裕で収まるコンパクトさ。
シングル曲にカップリング曲、CMソング、映画、ドラマの主題歌など、既出の楽曲が大半を占めているが、不思議といつものような詰め込み感はなく、バラエティに富みながらももの凄くバランスの良さが感じられるスッキリとした仕上がり。

いままでで最もおしゃれポップで言葉の羅列遊びが楽しい「Tiny Baby」、なんかのコンクールの出品用に作られたかのような、硬質なデジタルサウンドと和のテイストが融合した格調高いアーティスティックなナンバー「FUSION」、3人のまっすぐな歌とポップなサウンドが痛快な「宝石の雨」など、ヤスタカ氏の相変わらずのおしゃれ感覚が十二分に発揮された楽曲を聴くと安心する。

「FUSION」は映像実験を前提としたdocomoとのコラボ企画用に作られた楽曲。
やはりかしゆかの重低音ヴォイスが耳をひく。




ただ、今回は全体的にズベベベとしたバッキバキ感がかなり抑えられ、音数も以前より少なくなったように思う。
ハジけるというよりハズむリズム。そして今回は音色ひとつひとつがとても美しい。
2曲目の表題曲が一番いつものテクノポップな楽曲かと思われるが、冒頭の美しい旋律のアコギギターのイントロにのっかるかしゆかのしなやかなヴォーカリゼーションからして今までとは違う、歳相応なアダルトさというか、なにか崇高な雰囲気が感じられる。

そして、今回はやけに歌をフィーチャーした楽曲が印象深い。
Perfumeのテクノポップな魅力はかしゆかの天然倍音の声に因るところが大きいと思われるが、今回一番まっすぐな歌い方で加工されがちなのっちの生っぽい歌声にハッとさせられる瞬間が何回かあった。
のっちのソロ歌が冒頭を飾る「Everyday」、そして映画『ちはやふる -結び-』のテーマ曲である「無限未来」がそうである。

特に崇高でウットリするような美しさのイントロ(これ映画のエンディングで流れたら、もの凄く効果的だろうなぁ)からスっと入ってくる「無限未来」の神々しいのっちのVoは秀逸。
いつの間にこんな包容力身につけたん!?




いやいや、ヤスタカ氏は、彼女たちをまた一つ上のレベルに上げた感がある。


んで、今月発売された『Sound & Recording 10月号』の表紙が、この雑誌だからこそ実現したPerfume×中田ヤスタカ氏の初4ショットということで、全く縁のない雑誌だったが思わず購入してしまった。



今回の雑誌での4者初対談。やはりこの両者の関係性は興味深い。
ヤスタカ氏独特の曲作りの考え方、3人との共同作業としてのレコーディングの姿勢。
彼は方向性を決められるのを嫌って、デモをあらかじめレコード会社に聴かせないというスタンスを貫いているそうだ。
やはり業界の常識や慣習にとらわれない人だからこそ、いい作品が作れるのだと。
そして、そういうヤスタカ氏のやり方を受け止め理解している3人の順応性もいい。

特にあ~ちゃんのこの発言には意識の高さを感じないではいられなかった。
「私は一番最初にコレーディングさせてもらているんです。あまり曲を聴き過ぎるとその歌が好きになって、歌い込んじゃうんですよ。そうなると歌心ばっかりのボーカルになってしまう。そうなると怖い・・・・・だから最初に先入観が無い状態で歌わせてもらうようにしているんです」

まぁEDM系の音楽はちょいちょい聴くんだけど、この手のジャンルに関してはかなり疎い方なので、今回の作品に2015年頃から流行り出したという“フューチャー・ベース”なるサウンド形式の要素がフンダンに取り入れてあると言うのだが、それがどんなものなのかネットで調べたり音源を聴いてみたりしたがイマイチよくわからん。
「If you wanna」がそのフューチャー・ベースなる形式の典型らしいが。あるサイトでは「簡単に言うと、スタイリッシュな図太いベース音のデジタルサウンドに女の子のキラキラとしたヴォーカルがのっかったもの」みたいな解説だった。それって、今までのPerfumeとどう違うんや?

ヤスタカ氏が構築したプライベートスタジオ。こういう写真が掲載されるのもサンレコならでは。


伝説の電話ボックス(写真右)。つか今はもうこの中で歌入れしてへんのや。
テーブル型のレトロゲーム機が置いてある。Perfumeが高校生くらいの時にスタジオにレコーディングに来てずっと遊んでたというのはこれか。


ところで、今回のジャケットデサインを見て、真っ先に伝説巨神イデオンを思い浮かべたのは私だけだろうか?




今日の1曲:『無限未来』/ Perfume
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犬獣戯画

2017年11月12日 | まったり邦楽
前々回より『鳥獣戯画』のこと書いてたら、ふとあるバンドのことを思い出して、ほんま久々にCDを棚から取り出して観賞していた。

そう、日本のオルタナバンド、54-71のメジャーデビュー作『enClorox』である。

結成は1995年ぐらいらしいが、遅咲きで2002年にメジャーデビュー。
その頃はうちもまだケーブルテレビに加入していて、SSTVなどの音楽番組で洋邦の新人バンドをよくチェックしていた。
ある日SSTVだかM on TVだかで『鳥獣戯画』をパロった54-71のユニークなMV(ここではブルドッグが主役だが)が流れたのを目撃した時は、ちょっとした衝撃があった。
一筋縄ではいかない、なかなかおもしろいサウンド作りをしているなと。

結成年代的には、レッチリ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、べック、ビースティ・ボーイズ、ロリンズ・バンドなどが台頭していたオルタネイティヴ・ロック全盛期。
なので最初聴いた時はその辺の影響下の匂いがプンプンした。
ただ、それらのできあがった外タレバンドより、54-71の音楽性にはなにか実験的であらゆる可能性を秘めてる、のびしろのある得体の知れない雰囲気があった。
日本でもその辺の外タレの真似ごとのような、やたらチョッパーをかましてるだけのいちびったバンドが持てはやされていたが、54-71はそういう時代の影響下の中でも、それらとは明らかに一線を画す独創性と知性を秘めているような気がした。




まぁポップ性、大衆性は皆無。
贅肉を極限までそぎ落とした彼らの生々しくもドライなサウンドは、最初かなり難解な印象を受ける。
しかし、これが脳髄にグリグリと響くとてつもない独特の空間を作り出してるように思う。
キック、スネア、ハイハットのみのシンプルなセットのタイトなドラムに、無機質な音のベース。
佐藤Bingoの肉体的でエモーショナルなヴォーカリゼーションは、ヘタな日本語英語っぽさが否めないが、これが逆に独特の個性となってて、まぁレッチリとか聴いてる女子には理解しがたいだろうが、レイジやロリンズ・バンドなどを愛聴する“男気”を求めてやまない男子にとっては感じ得るものがあるのではないかと。
そしてクセ者なのが、“Scum Grinder”という異名を持つ高田憲明の生々しいひしゃげたようなギター。
彼の奏でるどこか情緒不安定な旋律は、聴き手に眩惑的な陶酔感をもたらすと同時に、楽曲全体にとてつもない緊張感をも与えている。

などと、デビュー当時から彼らの良さをわかってたようなことを書いているが、実は当時はそんなにこの作品聴いてなかった。
その時の私には楽曲がなんかシンプル過ぎたというか、難解だった。
だからこのアルバム以降のは持ってないし、以前のインディーズの頃のも持ってない。
で、今回改めてジックリと聴いてみて「やっぱカッコええやん!!」となってこれから作品集める気になった。

当時の日本の音楽シーンでもそれほどもてはやされていたという記憶はない。やっぱりアヴァンギャルドすぎたんだと思う。まぁ女子には人気ないだろうねぇ。
おそらくミュージシャン間や、いわゆる通なリスナーの間だけで支持されていたかと。まぁそういところもカッコいいね。
現在は活動休止してるみたいだが、一度でいいからライブを拝みたいなと思った。


そんな54-71の魅力に再び気づかせてくれたのも『鳥獣戯画』のおかげといってよいかも。
私が先週高山寺くんだりまでのこのこ出かけたのも、あながちムダではなかったかと。

明雲先生ありがとう。




今日の1曲:『Life』/ 54-71
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ったく。

2017年07月24日 | まったり邦楽
先週のCocco20周年を記念した武道館2Daysライブ、行きたかった・・・・。
退院したばっかだったし、繁忙期のド平日は無理すぎるっちゅーの!ったく。
でも初期のメンバーで最強のリフナンバー「走る体」やっったって?
クッソー、仕事辞めて行けばよかった・・・
まぁ初日は一般発売日、瞬殺でソールドアウトらしかったけど。


で、今週末にはフジロックフェスティバル(Green Stage)に初出演が決定しているCocco。

20年目にしてやっと・・・・・

お・そ・い・ん・だ・よ!

ったく、Smashのトロさ加減にはあきれ果てるばかりである。

私はいわゆるフジロッカーという類の人間ではないが(キャンプとかアウトドア大嫌い)、フジロックは格調高く、敷居や意識の高いロックフェスと一目置くところがあった。
ただ、洋楽至上主義なんはいいとして、最近の出演アーティスト(特に邦楽)を見てると、フジロックもよほど集客が大事なのか、随分と落ちぶれたもんだなぁと。まぁ運営していくのも大変なんだろ。スタッフもだいぶ入れ替わっていると思うし。


Coccoは活動中止前、米テキサス州でのSXSW以外、フェスには出演したことがなかったように思われるが、復帰後はROCK IN JAPAN FESをはじめ、頻繁にフェスに出るようになった。それは以前と比べて人間が開けてきたからだろう。

確かに彼女はフェス映えのするアーティストである。
Coccoのライブにおける歌の凄味や響きというものは、体感した者ならばわかると思うが、今でも絶大だと思う。
そして、大地を揺るがすようなしなやかで始原的なパフォーマンス。
Cocco大ファンのマツコ・デラックスも彼女のことを「憑依系アーティスト」と表現している。
観たことない、聴いたことないっていうフジロッカーの方は、是非今週の土曜それを体感してみてほしい。




それにしても、Smashは活動中止以前に、なぜCoccoをフジロックに召喚しなかったのかと、その愚鈍さに返す返すあきれ果てるのである。
時代が21世紀に移り変わる直前、あの頃のCoccoのライブは本当に凄まじかった!
レイジ(against the machine)と肩を並べるくらいは凄かった。レッチリなんて目じゃなかった。

まぁその凄まじさというのは、先々月くらいに発売された『20周年リクエストベスト+レアトラックス』初回限定盤A、Bに付いてくる、まさに伝説となった活動中止前最後のライブ、2000年10月6日に行われた「ライブツアー9ヶ所11公演」の日本武道館でのライブDVDの映像を確認してくれればわかると思うが、最近のCoccoは、この映像の時のように一心不乱にヘッドバンギンとか、もうやってくれないよ(最近のCoccoは、とにかく舞うよね)。




当時のCoccoは、とにかくライブに集中してて客に手を振るなんてことはなかったし、メンバーとの馴れ合いもそんななかった。そう、ムダというものが全然なかったのだ。ライブ終わったら、無理に感動をひっぱるような演出もなく、バレリーナ式お辞儀をして何も言わずマイクを置いてステージを去るという(大阪公演での話)、もうそれが本当にシビれるくらいカッコよかった。
無論アンコールとか、予定調和な余興もない。彼女は「今日で最期」みたいな覚悟でいつもライブに臨んでいたからだ。
よく命を削ってライブをやっているみたいなことを聞くが、私は3月のデイヴ・メニケッティとCoccoのライブでぐらいしかそれを感じたことがない。
プロらしいとか、型にハマったそれではなく、まさに生粋のロックシンガー、それがCoccoなのだ。

2000年の武道館ラストライブは、当時SSTVで放映されたのをVHS録画して繰り返し観賞したもんだが、この16年間ずっとDVD化を待ち望んでいてようやく念願が叶ったんだが、実はまだ購入してない。

リクエストベストがいらないんだよ!!(ファンに迎合してるみたいでなんかイヤ)
普通にライブDVDとして独立した形で売ってくれ!!

ったく。


この頃のCoccoのステージ見たら、リチャード・D・ジェームスもビビるだろう。


今日の1曲:『走る体』/ Cocco
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できればいい曲を

2016年08月17日 | まったり邦楽
最近お気にのアーティストの新譜を聴いてもなかなかピンとくるものがない。
まぁこれは歳とってだんだん感性が鈍っているのが大きな要因かと思われるが。
昔ほど音楽に対する探求心も薄らいだので新しいアーティストの音楽にもなかなか興味が湧かない。
だから毎年発表していたAMASHINレコード大賞も2015年はベスト5枚選出できずついに途絶えてしまった(まぁこの企画は数年前からすでに無理があった)。
ここ数年、昔から好きだったバンドがやっと人気が出て売れだしたりもしたけど、出す新譜はちっともおもしろくない。20数年ぶりに復活して気合のはいった新作をリリースしたバンドなんかもあったけど、どうにもつまらない(クリエイターをテキトーに指名してテキトーに作らせたジャケットもショボい)。もうレビューすら書く気がおこりませんよ。
それを「最高傑作だ!!」なんて息巻いてるライターの評価を読むと、「いつまでも感性若くっていいねぇ」なんて思ってしまう。
まぁもっと繰り返し聴けばよくなってくる可能性はあるんだが、ダメなものはダメだし、最近では3回くらい聴いたら気持ちが萎えてしまい「音楽を楽しむのにそこまでせんといかんか?」とも思ってしまう。


そんな折、坂本慎太郎くんは本当にいい作品を作って出してくれるなぁって、ほんとありがたく思ってしまう。
この絶妙なユルさ加減、不可思議ながら頭にスッと入ってくるポップでセンス・オブ・ユーモア溢れる歌、気持ちいいことを信条とするサウンドへのこだわり。
もう完璧すぎるほど完璧。
前作は全体的にストーリー性のある一貫した見事なコンセプトアルバムであったのに対し、今回のは「とりあえず10曲できたんで出しました」的なユルい感じ。
一応「顕微鏡でのぞいたLOVE」をテーマとしているようであるが、ゆらゆら帝国時代から人間の性や行動を動物的に、あるいは物質的に喩えてシンプルな形容詞で表現するといった感じ。

DU特典も顕微鏡のイラストのトートバッグ。



今回も坂本くん奏でるスティールギターがとてつもない効果を発揮している。
楽曲それぞれに独特のポップ感があり、M3「べつの星」であれば後ろの素朴なフルートの音色が、M5「動物らしく」であればループする無表情なベース音がその楽曲の雰囲気を決定づけている。
そういった楽曲のアレンジも実に洗練されていて、坂本くんって本当にセンスの人だなって。
個人的にはM7「他人」のなんともいえない悩ましい歌の雰囲気と、後半のサックスソロがツボ。


本作を聴いていると、坂本くんは本当に無理なく自分のペースでアルバムを作っているなぁということがわかる。
それもそのはず、ゆらゆら帝国解散後、坂本くんは自身のレーベルZelone Recordsを立ち上げる。
そこで自分の思い描くままの歌詞、音像をゆ~るくマイペースで丁寧に練り上げていき、作品の音に見合ったプレイヤーを召喚し、必要な音をつけ足したり引いたりして理想の楽曲を完成させていく。
そこにはレコード会社側からの制約も決まったメンバー編成でのバンド間のエゴや気遣いや限界もない。
あと「以前のよりもっといい作品を作ってやる!」なんていう気負いや力み、ファンへの意識なんかもない。
だから坂本くんの持つ研ぎ澄まされたポップセンスがありのままトータル的に際限なくこの作品で発揮されているのだ。


もちろんジャケットや歌詞カード内のイラストも坂本くん画。
今回はアナログ盤はもちろん、なんとテープ盤も発売されている。自由だなぁ。



もちろん坂本くんみたいな境遇のアーティストは例外中の例外で、誰もが坂本くんみたいな立場になれるわけじゃないし、これほど自由な環境を与えられたからといっていい作品が作れるわけじゃない。
だからアーティストにとって、坂本くんはほんと羨ましい存在なんじゃないかな。




今日の1曲:『できれば愛を』/ 坂本慎太郎
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