超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">コダーイの蝋管から聞こえてくるもの</span>

2009-01-09 02:32:52 | 無題

フィッシャー兄弟の「コダーイ管弦楽集」は古い旋律を新鮮な作風で聞く喜びに満ちている。
コダーイ・ゾルターンがフォノグラフ(蓄音器)で民謡を録音する方法をヴィカール・ベーラから学び、幼い頃育ったガランタ地方の生きた民謡を最初に記録しに行ったのは、一九〇五年のことだった。
それ以降、通りで人を呼びとめて、一杯飲もうと誘って歌ってもらったり、女の人が刈り入れの時に歌う歌を採譜したりした。農民たちはいぶかしそうにコダーイを遠巻きに見ていた。蓄音器を運んで乗り物で訪れると、一体何の取引に来たのかね、と不審そうに尋ねられた。
本当は古い民謡をよく知っている老人に歌ってもらいたいのだが、老人は人前で歌わないという習慣を大目に見てもらうのは容易ではなかった。女の人が人前で外で歌うのもはしたないこととされていた。しらふの女性は皆の前では歌わない習わしなのだ。コダーイはこっそり部屋の奥で蝋管を取り付けて民謡を録音させてもらった。
皆が集団で歌うのは主にいっせいにとうもろこしの皮むきや鶏の羽根むしりの仕事をする時だった。コダーイは親友バルトークとともに、最も純粋な民族音楽が残存するのは土地の辺境だと考えて、集中的に歌を集めて行った。コダーイはセーケイ地方に多く残っている五音音階の民謡こそが、最もマジャール(ハンガリー)的な民族音楽だと確信した。
コダーイはみずから掘り起こした旋律を用いて、ハンガリー独自の現代音楽を多数作曲した。オーケストレーションを施した歌曲「ハンガリー詩篇」は堂々たる管弦歌曲で、ブタペスト市統合50周年を記念して一九二三年に書かれた。
また、トランシルヴァニアの民謡の旋律をふんだんに用いて「マロッセーク舞曲」をオーケストラ曲として完成させた。さらにマジャール人の兵士の古い踊りの旋律を用いて「ガランタ舞曲」を書き上げた。
ファシズムに抗して盟友バルトークがアメリカに亡命した後も、コダーイは「内なる亡命」を選んで留まり、民謡に基づいた「孔雀の主題による変奏曲」でハンガリーの心を訴えた。彼は民謡を音楽教育に積極的に取り入れ、自国にふさわしい合唱曲を書いて教育の生きた教材とした。民族音楽学者である彼は合唱運動に力を入れた。そんな彼の口癖は、「音楽はみんなのもの」であった(ラースロー・エウセ参照)。



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