超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">ストリート・フールの作り方</span>

2009-01-22 11:50:13 | 無題

「超人高山宏のつくりかた」を読んでみた。題からしてヴィリエ・ド・リラダンの「未来のイブ」みたいである。高山氏が自分の歴史を読書歴を中心に書き下ろしたものだ。高山宏氏のヒーローは澁澤龍彦、種村季弘らだという。この世代の読書人は共感するはずだ。高山氏の読書歴のエポック・メイキングな本の数々。そのなかで私がいちばん興味を持ったのはザ・ディクショナリー・オブ・ザ・ヒストリー・オブ・アイディアズ、すなわち観念史事典だ。片っ端から読むととにかくおもしろいと由良君美氏と手を取り合って感涙したというから、私も紀伊国屋書店で中古で4巻本プラス索引巻を注文した。円高のおかげで5千円で買えた。今、手元に届くのを待っている。(インターネットで原文を無料で公開しているという。)今まで観念と名のつくものは避けて暮らしてきた。それなのに、高山氏が1年がかりで読みふけったという、この観念史事典は心に訴えてくるものがあった。初心に帰って読んでみたいと思った。
その他高山氏が訳した本にウィリアム・ウィルフォードの「道化と笏杖」がある。これは、道化とは心の闇の部分を補償する奇特な元型だと、ユング心理学で読みといた本である。道化をユング心理学の元型と位置付けた直観の書である。また高山氏が書いた本に「アリス狩り」という本がある。ヴィクトリア朝の良識はルイス・キャロルがひっくり返すのに格好なちゃぶ台だった。不思議の国の住民が無意味を楽しんで闊歩しているのに、アリスの方は「意味が判らない!」と繰り返す。ビートルズがアップル社の屋上で電撃ライブをやったとき、通りを歩いていた老婦人が「アイ・ジャスト・キャント・メイク・センス!」と叫んでいたのと同じ構図である。ビートルズはある時期不思議の国のフール・オン・ザ・ヒルだったのである。
ルイス・キャロルは大人になっていく少女たちに醒めた視線を向ける。アリスの不思議の国との距離は、ルイス・キャロルの幻想世界への醒めた距離感を反映している。
それから「不思議の国のアリス」の主人公アリス・リデルとは、古典学者には有名な、オックスフォードのリデル&スコットのギリシア語辞典を編んだあのH・G・リデルの娘だということも、高山氏の訳したハドスン著「不思議の国の数学者 ルイス・キャロルの生涯」を読んで初めて知った。高山氏が自らを学魔降臨と言うのも、たんなるストリート・フールのほら吹きではない。



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<span itemprop="headline">秋月龍、精神のルーツ学</span>

2009-01-22 01:45:41 | 無題

このところよく読むのが、禅者の秋月龍氏の本である。ブック・オフで絶版の「般若心経の智慧」を取り寄せて読んだ。いわゆる色即是空、空即是色の話である。この「色即是空」を秋月龍氏は「衆生本来仏なり」と読む。色が衆生の世界で、空が仏の世界だという。秋月龍氏の基づく臨済宗の考えでは、座禅をして、公案を考え続けると、自我がはじけて砕け、仏性が実感できるという。それを秋月龍氏は「自我を転じて空とするとき、ダンマ(法)が露わになる」と言う。それを般若心経に当てはめて、「色即是空」は「衆生本来仏なり」という意味だと読んでいく。
「空即是色」は、仏は生きたこの身において働くという意味だと言う。いわゆる見性体験をした修行者が、そこに黙って留まっているのではなく、日々の所作ふるまいすべての中で仏性を働かすべきだということを指しているという。経典解釈はいろいろあるが、秋月龍の断定的解釈はかなり一般の見方と変わっているようだ。人が目にするこの世界には実体がないんだよ、という意味だと色即是空を捉えるのが普通ではないか。空を仏の世界と読む、そこに秋月ワールドが展開する。
もう一冊ブック・オフで取り寄せた絶版の「正法眼蔵を読む」も似た線で話が進む。道元は「衆生本来仏なり」なのになぜ、改めて法を求めて苦しい修行をしなくてはいけないのか若い頃悩んでいた。その答えを大宋国の禅寺でみつけてきた。衆生が座禅を手段として仏性という目的を得る、と考えてはいけない。他ならぬ「仏が座っている」のが座禅である。衆生は自らの仏性を自覚して(本証)、悟りを汚さぬ修行(妙修)を続けなければならない。
道元は座禅こそが釈迦の本来の修行法だという。古今東西の諸仏は皆座禅で見性したのである。空海も最澄もそこを見落とした、彼らが仏教の真髄は座禅だと知っていれば当時から座禅が広まっていただろう、と道元は手厳しい。道元は座禅している時に身心脱落して悟ったという。諸仏は皆この道を通ってきたのだ、日本の達磨はこの道元だという気概が道元にはある。
秋月龍氏の著作は道を見失っている修行者には貴重な旅の灯燈となるだろう。見性体験も具体的でリアルだ。けれども本格的な座禅をせずに仏教に触れたい人には、飽くまで手厳しい。悟らなくてもいいから、禅宗の原点をズバッと知りたい。多くの読書人はそこに落ち着くだろう。本格的な座禅をしなくて申し訳ないが、秋月龍氏の著作はその世界を垣間見せてくれる。精神のルーツ学である。



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