ジョージ・ハリスンに「不思議な壁の音楽」と言うアルバムがあって、インド音楽混じりのインスト・アルバムで結構ご機嫌な作品だ。
壁の向こうに何があるか、という問いはロシア・アヴァンギャルドでも問題にされていて、ウスペンスキーという神秘哲学者が提唱した四次元論が、前衛芸術を大いに触発した。コリン・ウィルソンの「20世紀の神秘家ウスペンスキー」や桑野隆の「夢みる権利、ロシア・アヴァンギャルド再考」などにウスペンスキーの四次元論が触れられている。
「零の形態」に思想がまとめられた、ロシア・アヴァンギャルドの画家マレーヴィチが、この四次元論に強く影響されている。マレーヴィチは黒く塗りつぶされた四角や、白地に白の四角を盛んに描いた画家だが、現象すべてが無として感じられるという話の流れでこう言っている。
「ぼくは自分のまわりに、砂漠しか感じないんだ。ジャングルのなかにまぎれてしまったぼくは、跳躍への道をみつけるしかなかったんだ。そしてそれこそ、きみが今ここでみて、ほめているもの、白い地の上の白というわけだ。これらは最新作だし、ぼくの理想なんだ(本江邦夫訳)。」
彼が見ていたものは何なのか。「スプレマチズムの鏡」のなかでマレーヴィチは言う。「変化してゆくすべての現象のなかで、自然の本質とは不変である。そしていろいろな形をとって現れる現象の本質は、それ自体形がない、無対象としての世界である」と(私の要約)。
マレーヴィチは自分の描いた白や黒の正方形を見て、すべてを生み出す無の空間を感じ取ってほしい、と言っているのだ。
私は美大でその話を書いたので、この辺はよく調べた。全てを生み出す無の空間と言ってマレーヴィチの念頭にあったのは、ウスペンスキーの四次元である。私はブルガーコフの「全ての活動はソフィアに発していて、ソフィアの本質は『生む自然』なのだ」というソフィア論もここに繋がってくると思う。
不思議の壁の向こうにあるもの、それを全てを生み出す無の空間だと感じてみたり、四次元だと言ってみたり、「生む自然」だと言ってみたり、人それぞれである。
けれども壁の向こうに何かがある、現実の背後に働く何かがあるという予感は多くのものを生み出してきた。私は調布の深大寺に行って、絵馬を買って来て壁に掛けてあるが、絵馬の裏には願い事が何も書いてない。マレーヴィチの白い地の上の白、無対象としての万物といっしょである。何か書いたら願い事は一つになってしまう。何も書かなければ、何でもあてはまる。Everything is nothing、Nothing is everythingである。