超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">グルダと切り株の聖夜</span>

2009-12-24 18:17:33 | 無題

今朝、うとうとしながら、リペア(修繕する)こそ人の課題であり、自分の仕事であり、イエスの贖いだと思うに至って目が覚めた。睡眠思考である。何か意味があるのか、寝ぼけていただけなのか微妙である。最近、眠る前にポータブルCDを聞きながら、ラッセルの西洋哲学史を読んで眠ることにしている。余り本業の役には立たないのだが、説教節みたいでテンポよくうんちくが披露されていて面白い。近頃、大きな見通しと雑学を組み合わせないと学成り難しと思うに至った。そこで、レヴィ=ストロースやバートランド・ラッセルを読んで脳の中に大きな流れを作ろうと心がけている。
今日は親の見舞いで病院に行った。最近両親とも入院中である。途中良く寄る喫茶店で森の切り株ロールという菓子を二つ買い、病院で食べた。私の過去に深い縁のある母の友達と三人で食べた。
母はブロムシュテットの第九を貸してあげているのでそれを聞いているという。第九と言えば明日はマズアの第九を聞きに行く予定である。私の青二才の頃の思い出をいくつか聞かされたので、当時聞いていたAnd I love herが脳裏に浮かぶ。
帰ってギリシア語英語対訳新約聖書を読む。今日読んだ所は、弟子が僅かなパンと魚しかありません、と言ったのに、イエスが天に祈って、パンと魚を手渡すと大群衆が腹一杯食べてまだ余りがたくさんあった、というくだりである。自分には与えるものは僅かしかないと焦ってもそれは思い込みで、実はアウトプットできるものは無尽蔵に眠っているということだろうか。示唆に富む話である。
聖書を読みながら、グルダのコンプリート・モーツァルト・テープスを聞く。誰かがグルダのベートーヴェンを評してへらへら笑って弾いているようだと言っていたが、その天真爛漫さがモーツァルトには良く合う。天使の戯れの笑い声が聞こえてきそうな、イヴにぴったりなモーツァルトである。アラウの瞑想的なピアノソナタも最高だが、グルダの天使的な軽快さも楽しい。一年を振り返って、色々思い出しながら、グルダの天使の戯れに一時心を委ねている。来年の今頃は笑顔でクリスマスを迎えられるか。シビアな思いが交錯する。
天上の響きも軽く木霊して全てを忘れ祝う聖夜を、という短歌を書く。



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