夜の七時半待ち合わせだったのに、6時45分頃豪徳寺に着いてしまい、駅併設のサンマルクでココアと珈琲を飲んでメモを読んで友人を待つ。実は私はメモ魔で、欲しいもの、書きたいこと、話したいことを何でもメモして会話や日記に備える。
七時半に友人が来て一緒にマックの横のパティヤラパレスに行く。インドカレー店。
キングフィッシャービールとシシカバブとバターチキンカレーとナンとサラダを食べ、談笑する。
竹橋の近代美術館の岡本太郎展、太郎が撮った日本再発見の写真が展示してあるなら行きたい、無印良品のシシカバブの素は本格派で良いぞ、alexander krein のCDをなぜ通販で探そうとするんだ、オリジナル曲は幼少の頃イランに住んで、今ゴスペルを歌っている微妙な心境を歌った、イランのゾロアスター教の寺院からみた夕陽の美しさで締めくくった、巡回ロボット衛星クローラーがネットの情報を管理しているとは怖くないか、中東はこれから政情が複雑だ、などと話していた。
他日、別の友人と会食。待ち合わせた喫茶店が工事で5時閉店だった。待ち合わせは6時半だったので、中古CD店を探索。テンシュテット指揮の大地の歌を買う。EMIのマーラー交響曲全集にこの曲は入っていないので貴重。6時半に友人と会って百貨店のレストラン街でかぶとそぼろのトマト味のスパゲッティを食べる。お土産にもらった秋月龍氏の「禅を読む」を見ながら、十牛図の説明を聞く。スマナサーラの上座仏教は日本人には新鮮だ、上田閑照氏の十牛図の説明はだいぶ自説でつっ走っている、巡り合わせの偶然は無限に起こっていて日常茶飯事だ、過去の出来事が伏線で繋がっている、などと話していた。
帰ってテンシュテットの大地の歌を聞き、秋月龍氏の「禅の読み方」を読む。龍節全開である。禅とは自我を空じて本来の自己に目覚めることだ、真の自己は血の通った肉の人間に出たり入ったり自在である、本来の自己は他者と切っても切り離せない、などと書いてある。
スイトナーのベートーヴェン交響曲全集、ポーセリンのピアノ伴奏つきのベートーヴェン交響曲全集、スヴェトラーノフのマーラー交響曲全集などを聞いて心を静める。それから本業に入る。今欲しいのはローマン・コフマンのショスタコーヴィチ交響曲全集である。稀有な巡り合わせの偶然が日常茶飯事に起きているとは楽しそうだ。私も談笑を自動筆記のように文章に書いていると無意識が活性化して現実界に浸食してくるかもしれない。
談笑を書きとめておき羅列して自動筆記で夢が目覚める