昨日も日課としている「そうだったのか現代思想」を読む。
ジャック・デリダの後半。
てつがくの音声中心主義(書かれているという自覚が薄い)批判。
文字の復権(書くことは言うことより下じゃない)。
ロゴス中心主義(言葉の定義から考える)批判。
などが、割とすらすらと説明されてゆく。
今日はその続きで、ドゥルーズ=ガタリの哲学。
エディプス・コンプレックスは欲望を型にはめるから反発。
その代わり、分裂的行き当たりばったりの勧め。
きちんと枝葉の生えた地上のトゥリーよりも、
くっついたり離れたりを繰り返す地下茎のほうが自由とか。
部分が全体に奉仕しない、器官なき身体というモデル。
そんなあれやこれやがまたすらすらと説明される。
今まで原本や要約は目にしていたが、こんなにすらすらと
説明する人ははじめて見た。
時々例に出す図版が、判りづらいのはご愛嬌。実にいい本。
若き日にこんがらがった糸たちがするするとける読書体験
ジャック・デリダの後半。
てつがくの音声中心主義(書かれているという自覚が薄い)批判。
文字の復権(書くことは言うことより下じゃない)。
ロゴス中心主義(言葉の定義から考える)批判。
などが、割とすらすらと説明されてゆく。
今日はその続きで、ドゥルーズ=ガタリの哲学。
エディプス・コンプレックスは欲望を型にはめるから反発。
その代わり、分裂的行き当たりばったりの勧め。
きちんと枝葉の生えた地上のトゥリーよりも、
くっついたり離れたりを繰り返す地下茎のほうが自由とか。
部分が全体に奉仕しない、器官なき身体というモデル。
そんなあれやこれやがまたすらすらと説明される。
今まで原本や要約は目にしていたが、こんなにすらすらと
説明する人ははじめて見た。
時々例に出す図版が、判りづらいのはご愛嬌。実にいい本。
若き日にこんがらがった糸たちがするするとける読書体験