今日は一日中、雨だった。
私はシンドいな、と思いつつ、テレワーク。
その後、リアルワークの準備に追われ、
それから、聖ベルナルドの原文を訳文と照らし合わせて読む。
私が学生の頃、照明のテレビ広告で
薄暗い灯りのなか、中世ラテン語の朗読が流れるのを見て、
心惹かれた思い出がある。
自分もいつかそういう世界に近づきたいと思った。
流暢なラテン語の朗読は叶わないが、
聖ベルナルドの中世の説教を訳文と照らし合わせて読む
ところまできた。
最近、「はじめての鈴木大拙」という
名言集を注文した。
大拙記念館に行くと、「それは、それとして。」
という書が額に掛けてあるという。
人の悩みをじっくり聞いたあと、「それは、それとして」と
言ってから、何気なくヒントになる話をして終わるという。
それは、それとして。なるようになる。あるべきようは。
ちょっと投げ出してみるのも、いい手かもしれない。
私はシンドいな、と思いつつ、テレワーク。
その後、リアルワークの準備に追われ、
それから、聖ベルナルドの原文を訳文と照らし合わせて読む。
私が学生の頃、照明のテレビ広告で
薄暗い灯りのなか、中世ラテン語の朗読が流れるのを見て、
心惹かれた思い出がある。
自分もいつかそういう世界に近づきたいと思った。
流暢なラテン語の朗読は叶わないが、
聖ベルナルドの中世の説教を訳文と照らし合わせて読む
ところまできた。
最近、「はじめての鈴木大拙」という
名言集を注文した。
大拙記念館に行くと、「それは、それとして。」
という書が額に掛けてあるという。
人の悩みをじっくり聞いたあと、「それは、それとして」と
言ってから、何気なくヒントになる話をして終わるという。
それは、それとして。なるようになる。あるべきようは。
ちょっと投げ出してみるのも、いい手かもしれない。