
三多摩の幼年時代
私は三鷹のクリスチャン系の幼稚園に通っていた。
ある時、幼稚園にお泊りの日があった。
就寝前、子ども全員が内側を向いて輪になってお祈りする時間があった。
けれども、私ひとり、輪から離れて部屋の隅で天に向けて祈っていた。
いいことをする前に、喇叭を吹いてから施してはいけない。
とか、祈るときは人に見られないところで祈りなさい、という話を知っていたからだ。
子どものころ、三鷹市のアメリカンスクールに、サマーキャンプや水泳で通っていた。
向こうの先生は、Tシャツ、ジーパンに裸足で床に座って子どもたちと話していた。
日本の学校と、だいぶ様子が違って、自由だな、と感じられた。
たまたま学園祭に行くと、ポップコーンの屋台や、ギターの弾き語りの雑踏で、
カーペンターズが流れていた。1970年代で、若者は皆、カーペンターズがお気に入りだった。
兄の高校の学園祭にさ迷ったのも印象的だった。各部屋で、自由な自作アートを展示していた。
高校の頃、たまに学校をさぼって、野川公園で弁当を食べたり、三鷹の書店で谷川俊太郎さんの詩集を買って、喫茶店で「20億光年の孤独」を読んで、珈琲を飲んで解放感を味わっていた。
少年の夢の中の大人文化は、虹色に輝いていた。
三多摩の幼年時代折に触れ若者文化を呼吸する照れ
私は三鷹のクリスチャン系の幼稚園に通っていた。
ある時、幼稚園にお泊りの日があった。
就寝前、子ども全員が内側を向いて輪になってお祈りする時間があった。
けれども、私ひとり、輪から離れて部屋の隅で天に向けて祈っていた。
いいことをする前に、喇叭を吹いてから施してはいけない。
とか、祈るときは人に見られないところで祈りなさい、という話を知っていたからだ。
子どものころ、三鷹市のアメリカンスクールに、サマーキャンプや水泳で通っていた。
向こうの先生は、Tシャツ、ジーパンに裸足で床に座って子どもたちと話していた。
日本の学校と、だいぶ様子が違って、自由だな、と感じられた。
たまたま学園祭に行くと、ポップコーンの屋台や、ギターの弾き語りの雑踏で、
カーペンターズが流れていた。1970年代で、若者は皆、カーペンターズがお気に入りだった。
兄の高校の学園祭にさ迷ったのも印象的だった。各部屋で、自由な自作アートを展示していた。
高校の頃、たまに学校をさぼって、野川公園で弁当を食べたり、三鷹の書店で谷川俊太郎さんの詩集を買って、喫茶店で「20億光年の孤独」を読んで、珈琲を飲んで解放感を味わっていた。
少年の夢の中の大人文化は、虹色に輝いていた。
三多摩の幼年時代折に触れ若者文化を呼吸する照れ
「20億光年の孤独」・・谷川さんの若いころの詩集なのですね💡100年の孤独どころじゃないですね⚠そんなにさびしかったのかなかわいそう・・🐻(※でも宇宙の果てはその7倍くらいはあるはずですから、孤独の度合いもまだまだっちゃまだまだで、救いがありますね🍀🍀✨✨)
まぁ、村上春樹さんまで連想して頂いて、嬉しいです。
言われてみると、ちょっと洋風な回想記でしたね。野川公園で弁当食べたり、三鷹の喫茶で学校サボって二十億光年の孤独読んだり、結構わるい子ですね。でも、今になると、皆懐かしい記憶の断片です。クリンちゃんの琴線に触れてよかったです。
超人日記