チッコリーニのクロード・ドビュッシーのピアノ独奏曲全集を聞く。
エリック・サティのピアノ曲全集とセットでお買い得価格で入手した。
チッコリーニのドビュッシーは自然の微細な動きの印象を描き出す。
鳥が飛び立つ瞬間など一瞬の動きを俊敏に音で表現する。
ドビュッシーは光や水面の動きの微細な感覚を縦横無尽に描き出す。
教会旋法を取り入れたが、親しみやすい旋律で人気が高い。
亜麻色の髪の乙女や月の光の表現力は驚嘆に値する。
印象派絵画を思わせるが、山水画的にも思われる。
チッコリーニといえばまずサティが一番で、ドビュッシーは
本領ではないという人もいるが、
私には繊細かつ力強くドビュッシーの全貌をとらえた名全集に思える。
昔、音楽は祝祭だと言っていたらしいが
明朗な響きが祝祭や笑いと繋がるにせよ
私には響きの奥底にある祈りの要素が胸に迫る。
近年の演奏ではチッコリーニはドビュッシーでも
解き放たれた天真爛漫な演奏を聞かせてくれるらしい。
ドビュッシーの幽玄な音の絵画が
スケッチブックにひたむきに風景を粗描する絵描きのように
多彩な顔で聞く者の心を打つ。
サティに続きチッコリーニのドビュッシーを
集中的に聞いているが、その音の巡礼的な要素に
心を奪われている。
最近、ハイティンク・シンフォニー・エディションが
遂に発売を発表したこともあり、
嬉しい毎日が続いている。
俊敏で微細な音の印象が祈りのように部屋に広がる
青澤隆明の現代のピアニスト30を読んで、チッコリーニのCDを聞きたいと思った。
そこでエリック・サティのピアノ曲全集(旧録音、1967-1971録音)を聞いた。(全集とはいえ欠けている曲あり)。
チッコリーニのサティは明朗なサティである。かと思えば時に思い深げに弾く。サティの移り気な人を喰った題のついた奇妙な旋律を淡々と弾きこなす。
薔薇十字会の最初の思想など淡泊でよい。
ナザレ人の前奏曲は祈りに近い。星たちの息子への前奏曲も宗教的な世界を扱っている。
短い曲がごまんとあるが、短い曲も一曲一曲題を追って聞いて行くと、興味津々である。
スケッチとクロッキーの手帖という曲だけ20分あって長い。
スケッチブックをめくっていろいろな過去の絵を眺めるように、曲想が浮かんでは消えて行く。
来し方行く末を思い至らせるような曲である。
エリック・サティの音楽は家具の音楽を自称していて、佇まいを聞かせる背景のような音楽ということで、環境音楽の先駆けとなったし、教会旋法を取り入れた調性の不安定な独自の旋律が現代音楽の先駆けとなった。
けれども通俗性と実験性の絶妙なバランスを持ち、ぶよぶよした犬のための前奏曲とかひからびた胎児のような奇抜な名をつけた小品に事欠かないが、耳を惹きつけるジムノペディやグノシェンヌなどの有名曲のほか、全体として朗らかな祈りの時間を共有した感覚に浸らせる。
聞き終えた感触は、サティは誰の心にもある、祈りのような感覚を音楽で伝えているという実感である。
チッコリーニの弾く明朗な遠い空の色のような演奏がサティ全曲演奏に祈りを響かせているとも言える。
青澤隆明さんが言うにはチッコリーニの演奏には時代を越えた無垢があるという。
晩成してより天真爛漫に解き放たれた演奏は、自在な時間感覚で音楽の喜びを奏でるらしい。
近年の演奏会はようやく長い道のりを経てたどり着いた、見晴らしの良い地平で伸びやかに歌われると聞く。CDで聞いても時間を越えた無垢が一音一音からあふれ出てくるのが聞き取れる。
サティの本質的な祈りに気づかせてくれただけで、このCDは聞く価値があった。チッコリーニの晩成の境地を実際に聞いてみたい。
ナザレ人前奏曲を青空に響かせて弾く永遠の無垢
先日友人から電話で8時に豪徳寺で待ち合わせる。
7時半に着いてしまう。
サンマルクカフェでメモ書きしていたら友人が来て、
早めにパティヤラパレスに行く。
友人は得三で見た酒井俊さんのライブが良かった、ジャズシンガーだが、大衆から前衛まで、金毘羅さんや寿限無からオーネット・コールマンまで振り幅が凄い、フルートとベースのサポートがまた絶妙だった、一つのライブの理想の形だと思ったと話す。
友人はまた私からシシカバブなどのことばがすらすら出てこないのは空恐ろしい、
とか、恐怖劇場「アンバランス」のオープニングの猫の叫びのような
富田勲さんの使ったサックスの音は戦慄が走るぞ、
文芸春秋のあまちゃん本を買った、
前回サブカルおやじと言われたのは気に掛かるとも喋っていた。
オクラとジャガイモのカレー、バターチキン、シシカバブ、ナンで計4309円。
私はベルナルド・ハイティンクの
マーラー、ブラームス、ブルックナー全集23枚組はフィリップスの黒箱で持っているので
安くても買わないと言い張る。ハイティンク・シンフォニー・エディション36枚組が1月か2月出ると言う。
帰って吉祥寺から届いた「27/03/03」を聞く。
渡さんは何とも言えない味がある。
「生活の柄」はラジオの沖縄熱中倶楽部で
藤木勇人さんが掛けていたのを思い出した。
別の友人がお勧めの青澤隆明著
「現代のピアニスト30」を注文する。
これを読むと分析や記録調べも大事だが音楽評には
共感や演奏への思い入れが大事だと分かると友人が言っていた。
最近アルフォートの小箱を食べて珈琲を同時に飲むのが気に入っている。
今日はハイティンク&ロンドン・フィルのベートーヴェン交響曲全集を聞き、調べ物をして過ごした。
チョコレート小箱を食べて珈琲を少し飲みつつ調べ物する
最近、ヘルマン・ヘッセの「わが心の故郷 アルプス南麓の村」を読んでいる。
ヘッセは野道でたき火をして暗誦している歌を歌い、いつかこの世を去る日の苦さを思い、甘い感傷を味わって、弁当を父親に届けに来た見知らぬ少女と話し、また山道を踏みしめて歩くようすを描写している。田舎暮らしの淡い交流が微笑ましい。
ヘッセは田舎暮らしの感興を描写してからよく詩を読む。世間では作家として名高いヘルマン・ヘッセであるが、本人の感覚ではまず第一に詩人なのである。
今日は映像詩のような夢を見る。芸術的な場面の断片、芸術的な言葉の断片が生まれては消えてゆく。
パラジャーノフとかタルコフスキーとかそういう雰囲気の世界。朝起きて田中泯、フランシス・ベーコンを踊る、の録画をする。
珈琲を飲みグーテ・デ・ロワのラスクを食べる。
最近、連日、ベルナルド・ハイティンクのロンドン・フィルとの珍しいベートーヴェン交響曲全集を繰り返し聞いている。
程よい音の質感があり、左右のステレオの加減もよく、軽い高揚感のある演奏だ。最近聞いたCDはカール・シューリヒトのメモリーズの珍しいブラームス全集がある。交響曲3番もいいが1番もかなり飛ばす猛ダッシュの演奏だがこれも解釈である。
今日は隣町に行きサンドウィッチを買い、串団子を買い、夕飯のおかずを買って家に帰る。
おとといは近郊で友人と会い談笑する。友人は南直哉の本が面白い、欲しいものが気が付くと手に入る、気になることを頭の隅に寝かせて置けばやがて解決することが多い、ニコラウス・クザーヌスの「学識ある無知について」は自分も興味があると喋っていた。
この前の月曜は別の友人と門前仲町の魚三で飲み食いした。まぐろの刺身が400円で量が多くて旨い。
この友人は円谷プロの恐怖劇場「アンバランス」の粗筋を勢いよく喋っていた。「緊急指令…」もそうだが、70年代の特撮にはこだわりがあるという。
今日は午後、ヘルマン・ヘッセの「わが心の故郷 アルプス南麓の村」を読み、クラシックの演奏会で曲も聞かずにうら若き娘の横顔をずっと見つめていた話を日記に書き留め、エミール・タバコフのマーラー全集を聞いて過ごした。最近聞いた中ではウラジミール・フェドセーエフのグラズノフ全集とともに印象的なCDだった。
山里の郷愁を綴る老詩人交響曲も聞かず亜麻色の髪追う