超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

ろまん亭のケーキで助走する

2019-09-24 20:43:32 | 無題
明日から、通常仕事。
昨日はイヨネスコの「授業」読む。
教授が女学生を小馬鹿にして、歯が痛いと言っているのを
無視してしゃべり続けて無意味にナイフで刺殺する話。
最後に女中がナチスらしき腕章を教授に渡す。
「犀」のほうが不条理劇としてはより高度な出来だった。

「スピノザの世界—神あるいは自然」読む。
すべてが神の必然であると認めると、
他人を許すこと、神さまを許すことができ、
自足するという。ヘルプフルな考えだ。

今日はバスで近郊に行き、ろまん亭という喫茶でチーズケーキと
ストロング珈琲飲んで、スーパーの2階で服を見て、
バスで銭湯まで行き、夏の疲れを芯から抜いて、充実感を感じて帰る。

アンテス盤のパーテルノストロのブルックナー全集が新宿の中古店から
レターパックプラスで来る。1350円。

昨日は寺山関係の小品集を数冊注文した。著作集全5巻の方が手っ取り早いが、
文庫や古本で集める方が寺山に似合っているようにも思う。

夜一時間ぐらい眠ると憂いが軽減する。

アンテス盤のブルックナー、開放的で渋くていいライヴ全集である。
秋からも無事、軟着陸できますように。

永遠の定めの下で世の中を受け入れるとき自足するはず
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人身御供は一般的か

2019-09-22 20:25:45 | 無題
「神、人を喰う―人身御供の民俗学」
という本を読む。
結論としては、神事のために人や巫女を殺す行為は、日本では確認できないし、
おそらくなかった。
けれども、今村仁司や赤坂憲雄の説を引用して、
祭りや神事の起源に人身御供を想定することは、
暴力を定期的に装置として導入するために、
必要とされた。
そこで、神事の起源としての人身御供が採用され、
疑似的に再現されてきた。
というものである。
ただし、著者によれば中国やその他東アジアの国では、
生け贄として場合によって人間が殺されることが「あった」。
ただ、この部分は著者の専門分野ではないので、実際のところは
要検討である。

世界的に見ると神を鎮めるための人身御供は広く「あった」とされる。
ここのところも、不確かな部分が多いように思う。
日本の場合と同じように、すでに伝説化していて、「昔はあった」という
伝承が広く残っているのが実情ではないか。
アステカで太陽神が滅びないように定期的に生け贄の心臓が生きたまま黒曜石の
ナイフで取り出されたという、絵や資料が残っている僅かな例は除き、
世界的に見ても人身御供は一般的に避けられ、事実として確かめられず、
暴力を装置として取り入れるために、「昔はあった」という伝承が残っている場合が
ほとんどだと考えられる。
狂信的な突発的なカルトを除き、人身御供というのは、伝説としてはあっても、
実際は避けられてきたのではないか。
その点、人食い伝承と似て、「昔はあった」という伝承だけが流布していて、事実は
ほぼ、少数の例外を除き、なかったのではないか、というのが私の所感である。
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変わった読書を経験する

2019-09-22 07:15:19 | 無題
 昨日はイヨネスコの「戯曲集2」とホルクハイマー&アドルノの「啓蒙の弁証法」と
白石征「母恋地獄・さんせう太夫 しんとく丸」来る。
イヨネスコの戯曲集2は不条理劇「犀」を読みたくて買った。1200円+送料。
「啓蒙の弁証法」は、以前アドルノの「否定弁証法講義」を読んだので、文庫で安くなったため
購入。
 「母恋地獄」は、寺山関係の中世の説教節が原作なので入手。
だが、昼はこの夏の疲れがドッと出てヘブラーのモツソナ聞いて寝そうになっていた。
3時に京都彩菓の生八つ橋(あんなし)やフェットチーネ・グミ(グレープ味)
食べ、図書館で「神、人を喰う」という人身御供の民俗学の本を借りてくる。
ヘブラーのモーツァルトソナタ全集はスローテンポで素晴らしいが、つい眠ってしまう。
 晩ご飯にササミのラタトゥユを食べ、グスタフ・クーンの英雄聞いて持ち直し、
イヨネスコ戯曲集2の「犀」150ページを一挙に読む。
 主人公は怠惰な酒飲みのベランシェ。脇役は前向きな現代人の友人ジャン。
ベランシェが憧れる会社の女性デイジー、その他。
 カフェでベランシェとジャンが話していると眼の前に野生の犀が通り過ぎる。
余りのことの驚いて、そのことを議論する。
些細なことでベランシェとジャンは口論して別れる。
 翌日は、ジャンの家に行くと、ジャンが眼の前で角が生え、皮膚が固くなり、
犀に変容してゆくのをベランシェは見る。
だがジャンは、今の窮屈な生活を捨てて野生の犀になることをむしろ悦んでいる。
 次の日、ベランシェも体調に異変があり、会社の同僚とデイジーが見舞いに来る。
会社では上司や同僚が犀になってしまった、と聞く。
外は犀になった市民の群集で一杯だ。
同僚も犀の群れに加わる。
残された人間は、ベランシェとデイジーだけ。
ベランシェとデイジーは孤独と愛を語る。
デイジーもまた最後に部屋を出て犀の群れに加わる。
 自分も犀になれたら!哀れな醜い人間よ。ベランシェの心は揺れる。
だが、自分は飽くまで人間として生きるのだ!とベランシェは言い聞かせて完。

珍しく不条理劇を熟読した。犀は何の比喩なのかまるで分らない。ファシストか、自然人か?
時間ができたのでようやく、芸術に触れる余裕が生まれた。こういう時間もいいな。

不可解な群衆にみな飛び込んで残されたとき人はどうする

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水源池で作文を祝う

2019-09-20 11:17:14 | 無題
早朝、決めたように、遅い夏の終わりに水源池公園に行ってきた。
胸がすっとする、別天地の至福の景色である。

見晴らし台から池を見て、小学生の行列が来たので移動して、
橋を渡って絶景を眺め、貯水池に映る雲を見て、正面に恵庭岳を望み、

橋を渡り切って、木彫りの不動明王の祠で手を合わせ、
ご加護を祈り、橋を戻って、また見晴らし台でゆっくりと

取水塔を見て、マーラーの作曲小屋を思い、初夏に来た時に願った
自由作文の達成を祝い、行く季節に別れを告げて、

心置きなく北の避暑地の冷気を満喫して、
悲喜こもごもが清められて、満足して帰宅した。

この夏ほとんど外に出ないで仕事に明け暮れていたが、
最後のこの別天地巡りがあるから、この季節も報われる。

今年もこの時を迎えてよかった。秋以降もライフサイクルが
助け舟を出してくれますように。

眼の前に広がる北の別天地いのちを洗いまた生き直す
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貯水池に今日行こうかな

2019-09-20 05:33:26 | 無題
昨日は、気持ちよく仕事ができた。
ただ、別件で、同僚に、「その仕事は苦手」とメールしたのが、
多少余計だった。気心の知れた人だが、本音を言っても仕方がない。
晩ご飯はハウスのカレーを食べる。

グスタフ・クーンのブラームス交響曲全集を聞く。
いい演奏だが、実況中継ではないところが、惜しい。
イヨネスコ戯曲集1も、古書店で注文する。
代表作「授業」が入っているせいか、アマゾンでは高くて買えない。
古書店の確認メール待ちだが、今日は早めに
水源池公園に行って、この夏の思いを置いてこようか、と考えている。

毎年、夏の総決算に、水源池公園の広い池と取水塔をみて、
帰る習慣にしている。今年はほとんど出歩かなかったので
たまにいい景色を見ると、気分も変わるだろう。
ここのところ、通販が多かったので、今日あたり届くものも多いが
帰宅してから対応しよう。

「水辺に連れてってよ、ねぇ兄貴、気分を戻したいんだ(悲しい知らせ)」
通常仕事に軟着陸して、無事クリスマスを迎えることを祈る。

万事が首尾よく着地しますように。

この夏の悲喜こもごもを貯水池の開けた場所で洗い清める
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