超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

おみくじ短歌とゲーテ

2020-03-25 06:09:24 | 無題
昨日は、八幡宮に行って、諸事祈願して参拝し、
おみくじを引く。
「たどりゆく道遠けれどさやかなる月の光は行くてを照らす」
という託宣短歌が書いてある、中吉。
ここのおみくじの短歌は似たのが多いけど
縁起がいいのが特徴。
そのうち光が見えてくる、という趣旨の歌が多い。
いろいろ書いてあったが、願い事 遠からず叶うでしょう
というのが印象的。
雪深い階段を上って川への道へ出て、雪解け水の速く流れるのを
見て歩いて帰る。
「人と思想・ゲーテ」の前半を読む。
ゲーテの詩集「神と世界」で「煩悩を離れ、個体を離れ、
捨身・放下せよ」と書いてあると言う。
著者は仏教的だと言っているが、ここだけ取るとそうかも
知れないが、題からして「神と世界」だから、必ずしも
仏教的とは言い切れない気がする。
トーマス・マンは頑迷なドイツ人とコスモポリタンなドイツ人がいて、
ゲーテは視野が広く、万人共通のものを求める世界市民だと言ったようだ。
詩的ひらめきを得るとは、オルフェウス的霊感が今ここで花開くことだという。
後半、自然観、宗教観、倫理観などを読むのが楽しみだ。

長いこと重荷を背負い歩いたらやがて出口の灯り差すはず
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日々の兆しが浮上する

2020-03-24 07:37:00 | 無題
凄い粉雪が降っている。
路上の撒き砂も撤去されたのに
冬に逆戻りだ。
昨日読んだ本で気になった所。
①施すべき無欲な修業者とは内なる自己である。
②仏陀が得た無上正覚も自己=心の本体である。
③自己は時間・空間の中にあり、それを越えている。
④ヤコブ・ベーメの言う神の無底とは自己の深淵。
⑤心の本体とは分別を越えて、今・ここで働いている。

お坊さんでもないのでひとまず、これくらいにして、
今日は他の本でも読もうか。
今、ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタ
聞いている。クラウディオ・アラウのデジタル録音。
静謐な音楽が部屋を満たす。

現実には、伏蔵態と、非・伏蔵態がある。
今は知らない出来事がどこかで起こっていて、
いずれ私の暮らしの中に顔を出す。
幸せの兆しを感じて過ごしたい。

今見えぬ隠れた明日がいろいろな形を取って暗号を示す
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管弦楽と心の湧き水

2020-03-22 23:25:53 | 無題
今日は近所の雪解け水が流れる月寒川を見て、カフェラテ飲んで帰宅した。
帰って、デンオンのドヴォルザーク・コレクションを聞いて、
鈴木禅師の「禅八講」の本文を読む。
固有名詞は知らない人物ばかりだが、訳文が判り易い。
「禅は不可得という仕方で、自己に目覚めさせる」という
題が、「禅八講」の連続講義の頭についている。
不可得というのは聞き慣れない言葉だが、要は
論理法則を越えたところで、という意味である。
禅というのは、論理法則を越えたところで、
本来の自己に目覚めさせることだ、というのである。
論理法則を越えたところで、というのが西洋人や現代人には
分かりにくいかも知れないが、日本に住む人には
納得の行く話だと思われる。
思慮分別を離れたところに湧き水のような心の本体が働いている。
それは仏性と別物ではないが、言い当てようとすると逃れてしまう。
鈴木禅師の最終講義がこれだと言うことで、よほどの要諦だと察せられる。


三月に町を流れるせせらぎは心の綾と無縁ではない
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禅の本を読む

2020-03-22 05:54:57 | 無題
昨日は快晴のなか、結構寒かったが、専門店街に行き
スープを飲んで、春服を見て、雪解け水の流れる月寒川を
橋から見て、伸びをして歩いて帰る。
そのあと、デンオンのドヴォルザーク・コレクションの
管弦楽・協奏曲編を2枚ほど聞く。チェコのボヘミアの
ひなびた趣きが存分に味わえる、佳曲ぞろいの名盤集。
ドヴォルザークを聞きながら、鈴木禅師の「禅学入門」を読んだ。
用語も内容も難解で、ことばも古く読みにくい。
あとで分かったが、これは和訳者の癖なのだ。
書いてあることは、禅とは、あれではない、これではないなど
否定神学のような書き方だ。
それでも肯定的な例をいくつか挙げる。
「禅とは心の本体をつかむことである。
 禅とは、心の主となることである。
 禅には組織的な修行法がある。
 禅は東洋の東の精髄である。
 断定すべきものを取り去ったとき、仏陀が自ずと顕れる。」
夜は、送られてきた作文を穴の空くほど、読む。
今朝、「禅学入門」を閉じて、「禅八講」を読み始めたら、
驚くほど読みやすい。これは、和訳者に当たり外れがあるのだ。
持っているのには目を通すが、なるべく当たりのを読みたい。
今日も流水を眺めに行こう。

魚や木や鳥は迷妄などしない ただそのように無心に帰る
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地上に一つの場所を

2020-03-21 10:32:42 | 無題
清水書院の人と思想・ゲーテ1100円注文する。
これは若い頃持っていたのだが、
久しぶりにめくってみると、若気の至りの
線引きや書き込みが無数にあって、気になって
とても読む気がしない。
若い頃の自分には後年後悔するから、
感動したところにやたらと書き込みする癖は
何とかしろと言いたい(笑)。

数年後は、暗雲…。

今日は札幌は快晴。
午後は専門店街まで散歩に出かけ、
気分をチェインジして帰ってドヴォルザークを
きいて禅学入門でも読むつもり。
健診で数値が高いと言われた項目を
病院で電話で相談したら心配するほど高くないと言われた。
得意の作文を生かして後半生も楽しく乗り切ろう。

地上に一つの場所を、とゴダールの「右側に気をつけろ」で映写された。
地上に、一つの、場所を。

快晴の北の空気を吸い込んで気分を変えて一つの場所を
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