明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

空飛ぶマジンガーZ 水木一郎

2019-04-10 18:16:49 | 僕の音楽日記


マジンガーZもアニメソングとして
マイナー調で始まった。
♪空にそびえる鉄の城
スーパーロボット
マジンガーZ

ヒーローものは明るくない
暗さを残した挿入歌だ。

当時マジンガーZもアニメでのロボットを
動かす人と機械の一体化のロボットアニメの先駆けとして
僕らが熱狂した漫画だった。
週刊少年ジャンプでの連載から
毎週楽しみで
学校にジャンプを持って行って
回し読みし、デビルマンと並んで人気の漫画だった。
デビルマンは少し前に終わり
変わるように始まったマジンガーZ
人気は爆発的で
テレビアニメになり
さらに楽しみがテレビに釘付けになることとなった。

戦いは進み 空を飛べないロボットの弱点

ジェットスクランダーという新しい羽を用いてマジンガーZは空を飛べることに…

その時にバックで流れる
空飛ぶマジンガーZの歌

これは希望に満ち溢れた
明るい歌として
記憶する。

空飛ぶスーパーロボット
マジンガーZ
と歌われた。

水木一郎さんの力強い希望に満ちた
思いのこもった
カッコいい歌
「空飛ぶマジンガーZ」

無敵な力を更に手にしたマジンガーZは
ドクターヘルの機械獣軍団を壊滅すべく
さらに戦いは続いていった。


1/2の神話 中森明菜

2019-04-10 07:40:08 | 僕の音楽日記
1983年ヒットチャート一位を
前作 「セカンドラブ」で獲得し、
ツッパリ路線 少女Aの流れも組んでの
「1/2の神話」
大沢誉志幸さんの作曲

これで中森明菜さんもひとつ抜きに出た
作品として
記憶する。

半分少女
半分大人
まだ幼さの残る表情と
少しぽっちゃりしていた
中森明菜さん。
この頃が僕は一番好きだった。




1/2 2分の1
ひとつを半分に…

距離を半分ずつ
近づいても
半分の半分は
そのまた半分で永遠に近づかない

計算式があると言う。

半分の半分の半分は
永遠に続いていき
決して交わることは
ないという。

ひとつを分ける
引き裂く
1/2

想いも
距離も
分けてしまったものは
ひとつにならないのか?


だから神話とする?

大人のフリで
わかったフリで
物分かりのいい子を演じても

その半分は
子供で
分からず屋で
わがままなのかもしれない

半分ではないのかもしれない
そのほとんどが
後の方で
それをほんの少し
二割くらいの
いい面で取り繕ってるのが
僕たち人間の
悲しい性なのかも
しれない。


ホームランブギ 笠置シヅ子

2019-04-10 06:45:09 | 僕の音楽日記
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今年もペナントレース開幕
巨人が順調に滑り出した。
ホームランがよく出ている
野球の華はホームラン!




緑色とオレンジ色の戦慄。

僕の中で記憶に残ってる球団

1974年から77年まで大洋ホエールズ
がユニホームカラーに採用していた。

僕は巨人ファン

大っ嫌いだった大洋ホエールズ
だけど
気になって気になって
大っ嫌いだったけどよく覚える。

今年もペナント開幕。
大洋ホエールズも
横浜大洋ホエールズになり
横浜ベイスターズになり
今のDNA横浜ベイスターズと
そのチーム名も変わってしまった。

とにかく巨人の前では強かったし、
個性のある選手が多かった
中塚
長崎
山下大輔
松原
シピン
ボイヤー
江尻
福島
平松
と当時のスターティングオーダーまで
覚えてる始末。


松原
シピンが
いいところで打つんだ
それもホームラン


この2人は
後年巨人へ移籍する


巨人からすれば
やられた選手だったから
自軍に引き入れたいと思ったのだろう。

巨人の伝統的補強の仕組みに
大洋ホエールズの看板選手もご多分に漏れず。

平松も巨人キラーといわれ巨人戦からよく勝ち星を挙げてた。


一番 レフト中塚もいやらしいバッターで
大っ嫌いだった。

捕手の福島選手は
あのプロゴルファーの福嶋晃子さんのお父さん。


ライト江尻選手もいぶし銀で送ってよし
打ってよしの三拍子揃った名手

松原さんの後の4番に座った
オバQ事
田代富雄選手のホームランの飛距離は
凄かった。

川崎球場
狭い球場ながら特大ホームランをかっ飛ばす
ホームランバッターが多かった
大洋ホエールズ。
松原
田代
シピン
ボイヤー
巨人の堀内も
高橋一もよく打たれていた。

ラジオを聴きながら
悔しい思いもしていた。

あの夢中にさせてくれた
プロ野球。

あの大洋ホエールズ
憎っくき大洋ホエールズ
ひょうひょうとした選手が多いのに
巨人キラーの大洋ホエールズ
最下位をヤクルトと争うくらい弱いのに
巨人キラーな大洋ホエールズ

嫌い嫌いも好きなうち。

僕は本当は
大洋ホエールズが好きだったのかもしれない。

中塚も
江尻も
長崎も
山下も
松原も
シピンも
ボイヤーも
福島も
平松も
田代も
秋山監督も
1974年からの大洋ホエールズが
大好きだったのかもしれない。



♪ひとつカンと打ちゃあ
ホームランブギ


ホームランブギの歌にあわせて
大洋ホエールズを応援していた
もう1人の自分に
今気がついた。