明日の葉っぱ(8×8)=69

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岡本おさみ 歌コトバ ⑳花嫁になる君に よしだたくろう

2020-02-11 20:27:00 | 岡本おさみ歌コトバ
最初のタイトルは
「花嫁になるルミに」だったそうな…


よしだたくろうファンになって
初めてギターのコピーが完璧にできたスリーフィンガー演奏の曲。

完コピができると
友達のまえで披露したくなるし、
歌いたくなる。

これぞフォーク!
スリーフィンガーの綺麗な演奏曲
拓郎さんも
初期のステージでは
よくこの歌をレパートリーに入れて
ステージで演奏してました。

♪指がふれたら
ポツンと落ちてしまった。
椿の花みたいに
おそらく観念したんだね

ん?
椿の花は観念するとポツンと落ちる
感じなのか?
例えが小難しいなぁ…

お嫁に行くことが決まった
女との関係。微妙な空気が流れる
大人の世界
中学生のガキには
到底理解できない深い詩の世界。

♪君はいつものように
電話に僕を呼び出し
僕を笑わせた後で
その宣言をしたのだった

と、まあ、日常の出来事のあとの
いわゆる青天の霹靂ってやつ。

♪お料理を習うのも
まんざら捨てたもんじゃないよ


結婚することを聞かされた男
の精一杯の同調、理解の中に
気持ちがひどく揺さぶられている
のがわかる。


♪そちらから電話を切ったから
君はもっと 他のことも
言おうとしてたんだろう……


口に出して言わなくても
分かり合えるところにいた二人。

当然、そこは察するに余りある。

どう、取り繕っていいのか
わからないまま
電話を切ってしまった彼女。


「本当はね…」


というコトバが続いたのかもしれない。

2番の歌詞がその余韻からつづく
やるせなき
悲しみが押し寄せてくる感じを歌っている。


♪受話器を置いたら
終わってから初めて気づく
運命みたいに
僕にも悲しみが湧いてきた

君は これから僕に
気軽に電話をしなくなり
僕の退屈さを
救ってくれる
君はいなくなったのだ

お料理を習うのも
まんざら捨てたもんじゃないよ


突然 
とても確かになったのは
取り残されたのは

僕だったということなんだ…

状況を理解したくても
理解したくない
その狭間に揺れる
過酷な現実。
当たり前だったことが
一変する男女の中


あの時代
女性は
いつまでも進展しない
男女の中におかれては
しばしば
こんな風に
お嫁に行くとして
停滞してる男女関係に
終止符を打つことはよくあった。

業を煮やして
事態を動かすのは
やはり女性の方。

一緒に歩んでいくつもりだった関係も
一緒に二人の距離も変わらなく
真っ直ぐに進んでいくのだろうと
思ってた関係も

女性の方がサッサと前へ
進んで行き、その先の曲がり角を
サッサと曲がって行くとゆう
そんな感じなのだ。


だから
取り残されたのは
僕…
なんだと

しんみり気づいたときには
もう、遅い。

当たり前の中にあった
大切なものを
失った
喪失感で

自分の引き止めたい気持ちよりも
ありきたりな
同意する
褒め言葉を本意とは裏腹に
言う始末。

「お料理を習うのも、まんざら捨てたもんじゃないよ」

本当はそんな事言うつもりなど
なかった癖に、
そんな褒め言葉くらいしか
気の利いた事がいえないくらい
動揺していたのでしょう…


強がりでプライド高く
かといって

機転が効かない不器用な男が
あの頃
政治闘争の季節の終わりには
多かったのだろうと思う。

花嫁になる
ルミに…
というタイトルでの歌は

その後よしだたくろうによって
「花嫁になる君に」と変更した。

岡本おさみさんの歌コトバには
時代の空気がながれてる

あの頃1971年あたりの
政治闘争の終わりの季節
戦い疲れた男女は
次の燃えるものを見つける
旅の準備の時期だったのかも
しれない。

女は先に旅立ち
男は
旅立たてずに
グズグズ
しているだけだった。











野村克也さん逝く

2020-02-11 19:22:00 | 雑記


野球をわかりやすく
頭で見る事を
教えてくれた
功労者
野村克也さん


昭和の良き時代
南海ホークスでの
プレイングマネージャーという
初めてのケースで南海を優勝に導き

頭でやる野球
弱者の戦略
という
巨人一局のプロ野球に
一石投じた
素晴らしいかたでした。


巨人ファンの僕からすれば
小憎らしいくらい
嫌な事をやってくる監督だった
ヤクルト時代
現場とフロントが噛み合わなくて
実力が発揮できなかった
阪神時代

終わり方がまた、雑な扱いで
辞められた楽天時代

そう考えると
栄光の南海ホークス時代と
ヤクルト時代が野村克也さんが
一番輝いていた時だったような気がする。

小難しい理論で
反発してた時もあったが
よくよく野村さんの話や
本などで考え方を知るにつけ

理にかなった
原理原則の考え方に基づいた
合理的かつ普遍的な
いわゆるセオリーにそったものが多かった。
バッター心理など配給での妙は
唸るものがあった。
ある意味将棋のような感覚だったし、
打ち取るための仕掛け
はさすがキャッチャーだけあって
心理を掴んで臨む
勝負事に一部の無駄がないことを
僕たちに教えてくれた。

もう、こんな名将 知将は
出てこないのかもしれない。

とにかく野村ヤクルトは強かった
野村ヤクルトのもとで
選手は覚醒し、輝いていた。
南海ホークスの野村さんは
長嶋、王選手への
対抗心剥き出しのプレイが野球ファンを惹きつけた。


もっともっと
野球を面白く楽しく解説して欲しかった。
最近では…
落合、野村両氏の野球に関する考え方には共感するところが大きい。
よく、好きで
お二人の出ている番組を見ている。


野村理論。

それは
ビジネスの世界にも
通ずるものがあるし、大変参考になる。

あのぼやきも もう聞けなくなってしまった。

また、一人昭和の時代のヒーローが
いなくなってしまった。

安らかに…
合掌。