価値観や考え方の
足元をすくわれる
あの時
こんな風に思ってた
あんな風に思ってた
そんな事が
本当はそれが正解だと
思い込んでたりした事が
色々生きていくと
立ち止まる事のなかで
知ること
考える事
気づく事
教えられる事
まるで
全部嘘だったように
正解を突然知らされるように
そんな事が多々あることに
気づく。
それを世間は…
人は…
「丸くなった」とか
「歳を取った証拠」
とか言う。
確かに身体は丸くなったけど…
気持ち、考え方は
尖ったままだと
ばかり思ってた。
小さい子に物を与えて
おもちゃとか物で豊かにし満足を与える事が最善だと思えた事も
本当は
物やおもちゃなどではなく
一緒に貧しくとも
時間を使って遊んであげる事こそ、
子供に時間を使ってあげ、思い出を作ってあげることの方が
大切だったんじゃないかとか…
友人にしても
どんな風に言われようが
ただひたすら
僕が最後まで
悪者で同調者でさえいれば
何事もなく
過ぎたのかもしれない
とか
やりがいとか
四角四面の正攻法な考え方を優先
するのではなく
老獪にズルく
最後までしがみついていた方が良かったんじゃないか?
とか
あの日
あの時
その時の判断、考え方
それがあるから今があると思えば
過去も評価される
でも
やっぱり
自分も覆すこともないと
考えに偏りができたまま
幅ももてずに
カタワのような
みすぼらしい
人生を送ってしまいそうだ…
価値観は日々変化していっていい
良くも悪くも
柔軟に
しなやかに
考えも、柔らかく