ルナです。
今日は、朝からどうしたの・・・・って言うくらい涼しいよ。
おひさまの姿も見えないけれど、夏の峠が過ぎてってことなんだろうね。
全国的に秋の風が吹いているんだね。
昨日は、突然、石巻に行くことになって、ちょっと重い記事になってしまったけれど、
今日は、少しだけ戻っても良い?
松島からの帰りに寄った、多賀城廃寺の話しをするね。
多賀城には、8世紀前半から10世紀にかけて陸奥国の国府が置かれ、
奈良時代には鎮守府も併置されるなど東北地方の中枢的な役割を果たしていたそうだよ
多賀城跡の南東約1kmの高崎地区
「廃寺」という言葉は、廃れてしまって本来の名称がわからなくなった寺院を指すもの。
「廃寺」の前に「多賀城」を付けるのは、
この寺院が多賀城と密接に関わっていたと考えられているかららしい。
発掘された廃寺の土台の部分が解るでしょ。
奈良時代だなんて・・・・・すごい昔、むかしだよね。
実は、ここにはもう一つの昔話があるんだよ。
ルナも、初めて聞いたんだけど、とっても笑える話だよ。
ここは、多賀城廃寺の入口なんだけど、今は、新しい電話ボックスになっていたけどね。
昔も、ここに同じように電話ボックスがあったんだって。。。
パパさんの通っていた大学は、このすぐ隣にあるんだよ。
パパさんの下宿に帰るには、この中を通ってゆくと近道だったらしい。
ある日のこと、パパさんは、
ふと、ママさんに電話をしようとこの電話ボックスに入ったんだって。
アルバイトの帰りだったと思うけど、かなり遅い時間だったことは間違いない。
「こんな遅い時間に何をしているんだ?」
警察官に職務質問されて、
「友人に電話をかけていました・・・・」
それを証明するために、電話を代わって、
「もう遅い時間だから、切りなさい・・・・」
ママさんは、そんなことを言われたような記憶があるんだって
携帯電話もパソコンも無かった時代。
電話ボックスは夜になると学生で並んだものらしいよ。
30年以上の時が過ぎて、ここへも寄り道してみたよ。
パパさんとママさん、お友達だったの?(笑)
その頃、前の宮城県沖大地震があったんだよね。
パパさんが住んでいた下宿も今もそこにあったよ。
でも、環境があまりにも変わっていて、パパさんは良く解らなかったけど、
ママさんが・・・「あれじゃない?」
二人で記憶をたしてちょうど良いって
懐かしい、多賀城の思い出も拾って帰って来たよ。