あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

リンゴ狩りに出かけて

2011-11-20 20:48:51 | インポート

今日は、リンゴ狩りに出かけてきました。かっての教え子のお父さんがリンゴ園を拓き、木のオーナーになりませんかと声をかけてくれたことが縁でした。

以来約20年ほど、オーナーとして毎年この時期にリンゴ狩りをすることが、我が家の行事となりました。

たわわに実ったリンゴたちが、秋のシンボルのように青い空を背景に迎えてくれました。管理人のUさんの笑顔と重なり、一つ一つが愛しい存在に思えてきました。妻と二番目の娘と私の3人で、手の届く所から収穫しました。高い所にある実は、脚立を借りて獲りました。

高いところにあるものほど、太陽の光をいっぱいに浴びるので実も大きめでした。やっとつかめるぐらいの実をもぎとる時には、まるで秋を手にしているような感じがしました。寿と祝の文字が、浮き出るようにしてある実もありました。Uさんの粋な心遣いです。

今年の秋が行ってしまう前に、つかむことができた秋のひとときでした。

Uさんには、これからも毎年お世話になりますとあいさつをして、今年の行事も無事終えることができました。教え子の娘のMさんには女の子が生まれたとのこと。そのことを聞きながら、Uさんの増えたしわの一つが、「幸せしわ」なのだろうなあなどと思ったりしました。

お互いしわは増えても、そのしわは元気しわであり、幸せしわでありたいものですねと、心の中で言いました。

来年も再来年も、Uさんとは元気に言葉を交わす間柄でありたいものだと思いました。

オーナーとなったリンゴの木とのかかわりは、木が立ち続ける限り、我が娘たちにも受け継いでいけたらとも思いました。

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まどみちお詩集から

2011-11-18 09:05:30 | インポート

       橋

                 まど みちお

  川は空を見あげて 流れています

  空はひろいなあ と思って流れています

  川は空を流れたくて 流れています

      橋を渡るときに わたしたちの体が

      なんとなく 

      すきとおってくるような気がするのは

      きっと わたしたちが

      川の憧れの中を 通るからでしょうね

          そして 川の憧れの中には

          昔の人たちの憧れも

          まじっているからでしょうね

                川のあちらがわへ 渡りたいなあ

                どうしても渡りたいなあ と考えて

                とうとう橋をかけてしまった

                昔の人たちの憧れも

川の憧れは、空を流れること。決まった道筋ではなく、左右の幅も限定されず、自由にのびのびと思う方向へ流れていくことなのでしょうか。やがてたどりつく海が、もしかすると憧れを形にしたものなのかもしれません。海と空が広くて青いのも、その境界がわからなくなってしまうのも、そんな理由からなのでしょうか。

昔の人たちの憧れは、行きたくても行けない川の向こうに在る世界への憧れであると共に、隔てるものを越えていこうとする憧れでもあるのでしょうか。

橋はこちら側と向こう側に見えている憧れとをつなぐものであり、人は橋をつくり、それを渡ることで、憧れの思いを確かめているのかもしれません。

川の憧れと人の憧れが交差する場所が、橋。

憧れは、虹のようなものなのかもしれません。橋をつくり、そこを渡っていっても、憧れへの遠さは変わらないのかもしれません。つかもうとしても、さわろうとしても、さらに遠くに輝くものとして。

虹は、水のあるところにたちます。川の空への憧れをよく知っているので、空に橋をかけてくれているのかもしれません。

時には橋の上に立ち、自らの憧れを確かめてみたいと思います。すきとおってくるような気がしたら、その思いを忘れてはいないということなのかもしれません。

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カウンセリングについて

2011-11-15 10:34:10 | インポート

昨日は、カウンセリングについての研修会に参加してきました。2回予定されている理論研修の1回目の研修でした。大学の先生の講義を久しぶりに聴講し、学生に戻ったような新鮮な気持ちで学んできました。

特に印象的だったのは、『カウンセリングとは何もしないことです』という言葉でした。

人は誰でもその人なりの考えで生きている。悩みを相談したとしても、どんなにその答えや助言が正しくても、他の人から押しつけられたり、指示されたり、教えられたりしたのでは満足できない。むしろその説教や助言が、かえって相談者の自主性や主体性を阻害し、悩みを深刻化させてしまう場合がある。相談者の不安を軽くするようにと かけた 「大丈夫だ」 「心配するな」 という言葉さえも、かえって不安や心配を増大させる場合がある。

具体例として提示されたのが、自分が病院で患者のカウンセラーとして対応した例です。

手術を受けた患者が、手術は無事終わり大丈夫だと医者が何度も語っても、手術は失敗しもうすぐ自分は死ぬのだという恐怖感にとらわれていました。その患者との対話が例として取り上げられていました。以前のブログでも紹介した対応と同じように、ひたすら患者の深刻な悩みを確かめ、受け止め、共感するばかりで、助言や「大丈夫だ」のような言葉のない対応に終始していました。しかしこういった対話を2日続けることで、患者の顔色は変わり態度は一変して素直になってしまったとのこと。医者もどんな魔術をつかったのかと驚いたそうです。

人間の本当の不安や心配は、他の人がそんな不安をなくしてやろうと働きかけてもなくなるものではない。かえって「大丈夫」ということは「そんな心配必要なし」ということになり、抑圧されて、不安の感情は強まりこそすれ、なくなることはない のだそうです。

以前いただいた研修資料の中に、次のような一節が書かれているのを思い出しました。

 ~ 暗い穴の中に落ち込んだ人に、穴の上から「どうしてそんなところにいるの。そんなところで 上をながめているからくらくなるのよ。」と声をかける人がいたとします。下の人は、今の自分の状態を分かって、助けてくれる人が上にいると思えるでしょうか。

 ~ もしその人が下りてきて自分のそばに座り、一緒に周囲を見上げて、「ここから見ると、このように見えるんだね」と言ったとするとどうでしょうか。

講義を担当した先生が、娘さんにカウンセリングの本質を教わったと語っていました。

娘さんが小さかった頃、大工仕事をしていたそばにいて、ハンマーで指をたたいてしまったことがあったそうです。先生は、それを見て娘さんに「どうして指をたたいたの?」と言ったところ、「どうして、痛くないのって聞いてくれないの」と言い返されたそうです。相手の痛みを知るということに、カウンセリングの本質があるということを、娘さんは教えてくれたのだそうです。

次回の講義では、カウンセリングを進める上での具体的な対応<態度>について学ぶことになっています。また、その内容について紹介していけたらと思っています。

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紅葉の美しい秋ですね!

2011-11-13 17:31:37 | インポート

昨日、近くの厳美渓に出かけ、秋の景色を味わってきました。桜などはすっかり葉を落としていましたが、もみじの紅葉が陽光を浴び鮮やかに輝く美しさでした。背景の青空が前景の紅葉を浮かびあがらせ、秋の輝きがそこだけに集まっているような感じがし、見とれてしまいました。一枚一枚の葉が紡ぎ合い、秋の織物を仕上げているような印象がありました。今年も美しい秋に出会うことができたという喜びを実感しました。

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我が家の秋とも言える柿の木も、実がさらに赤みを帯び、風情ある立ち姿です。毎日のように我が友である愛犬:クウタと共に、その実を味わってはいるのですが、一向に数は減らないような気がしています。

冬が訪れる前に、たくさんの今年の秋に出会っておきたいものです。

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絵本で 娘に プロポーズ

2011-11-12 19:09:36 | インポート

『絵本で 娘に プロポーズ』という新聞のタイトルを見て、思わず記事を読むことにしました。朝日新聞のニッポン・人・脈・記というシリーズに掲載された記事でした。<親になる 子になる>という里親や養子縁組をした親子の関係を特集したシリーズもので、連載6回目の記事でした。

プロポーズは、絵本作家のあいだひささんが、養子として育ててきた我が子に、血がつながった親子でないことを告知する際の 愛を込めた思いでもありました。娘さんが3歳の誕生日を迎えた時に、あいださんは手づくりの絵本をつくって贈り、その中で「ずっとずっといっしょ」というプロポーズの言葉を伝えました。

実の子ではないことを告知するのは、本当の親になるためにいつかはくぐりぬけなければならない、とても苦しく心が痛む行為なのではないかと思います。

あいださんは、40年以上、里親や養親を支援してきた岩﨑美枝子さんの、「真実告知はプロポーズと同じ。『あなたは私たちの宝物なんだよ』と肯定的に言わなければ」という言葉が印象に残っていて、絵本にして伝えることを考えたとのこと。

プロポーズは、相手のすべてを受け入れ、生涯に渡って人生を共にすることを約束する言葉でもあります。『ずっとずっといっしょ』という言葉から、宝物である我が子への愛と いつまでも共に生きていくことを約束する 親としての思いが、ストレートに伝わってきます。

娘さんの心にも、このプロポーズは 温かく そして しっかり とどいたことと思います。

4歳になった時に、娘さんは(出版された絵本の中では、なつかという名前の女の子)ぽつりと「私もママのおなかから生まれてきたかったな」と言ったそうです。あいださんは、岩﨑さんの助言を思い出し、ワンピースの中に娘の頭をもぐりこませ、おなかから生まれるまねをさせました。娘さんは「おっぎゃあ」とはしゃいだそうです。

このことから、あいださんは年齢に応じて繰り返しつたえることが必要なのだと身にしみて感じ、毎年のように誕生日に手づくりの絵本を贈っているそうです。

血がつながっていない親子だからこそ、血がつながっている親子以上に乗り越えなければならない辛く苦しいことがこれからもたくさんあるのではないかと思います。でも、こんなに娘さんのことを愛し、細やかな心遣いのできるお母さんですから、ずっとずっと幸せですてきな親子関係をつくっていくことと思います。

もしかすると、血がつながっていることだけがよりどころとなり、日々の親子関係が冷たく希薄な家庭もあるのではないでしょうか。実の親が我が子を虐待して死なせたり、餓死させたりする悲しい事件もありました。

親子のありかたについて、深く考えさせられた記事でした。

子どもが幸せな時は、親も幸せな時。子どもが幸せな時は、みんなが幸せな時。

家庭でも、社会でも、未来の主人公となる子どもたちが大切にされる日々でありたいものてず。

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