桜井漁港の作業小屋です。
港の北端に来ました。振り返る漁港です。
防波堤を往きます。
静かな海の向こうは四国山脈です。雲が掛かっています。
真正面に世田山・笠松山が見えます。昔の伊予国経営の拠点でした。南朝後村上天皇は劣勢を四国から挽回すべく、脇屋義助を甥の大舘氏明が守る世田山に派遣したものの、直ぐに国分寺で病死し、「世田山合戦」という悲惨な戦闘となった「太平記」の舞台です。界隈の住民は、今でも尊称して「お世田山」と呼びます。
北を見ると唐子山です。村上水軍が陸上経営の為に建てた城が在りました。福島正則が統治した時代は、あの麓に「お屋敷」が在り、今でも地名として残っています。やがて、藤堂高虎の治世になった時、現在の今治城建設の資材として、石垣を含めて撤去されました。
山頂の木がスッキリと刈られています。展望所として復活整備されたようです。右の小さな山に今治藩主の墓が在って、尾根で繋がっています。唐子山の向こうは国分寺です。
そんな歴史を思いながら、大きく息を吸います。
貴重な梅雨の晴れ間です。さあ、散策を続けます。
脇屋義助廟はこちら。