何度かトイレを使っただけで、中まで入った事はありません。今日の目的地です。坂の上に老人ホームが在ったりして、広大な公園は有事の際の避難場所でもあります。
これは、幾つか有る災害時対応施設の一部です。「防災パーゴラ」です。災害時に、屋根にテントを張ります。「パーゴラ」との名称を初めて知りました。そして、このような施設とアイデアを初めて知りました。
「まちのうつりかわり」の説明です。ここにも下瀬氏が開発した火薬の説明が有りました。日露戦争に使われて、世界の注目を集めた、との記載も有ります(司馬遼太郎氏は小説を書くに当たって念入りに調査した、と聞いています。「坂の上の雲」でもその行動に裏付けられた描写になっています)。
また、海軍火薬製造所が移転した後、昭和19年に東京外語大学が一橋から移転して来て、平成12年に府中市に移転した旨も記載されています。更に、東京外語大学の府中市移転に際して、キャンパス跡地を「防災公園」とした旨も記載されています。
ちょっと変わったベンチです。これは時々各所の公園で見ます。
名残りの紅葉です。真ん中は、今は枯れていますが、谷川です。上の公園と繋がっています。
広大な公園です。ここと上と、全てが東京外語大学の敷地だったのでしょうか?
周辺は、私がよく行く下町です。
もう商店街の名残りしかありません。
角を曲がると、これが商店街のメイン通りの端っこです。ソメイヨシノ発祥の地の「染井商店街」に続きます。
「西ヶ原銀座商栄会」です。
その角っこに、「西谷戸新道」の表示があります。
栄えた商店街を彷彿とさせます。昭和は遠くなりにけり、です。