桜井漁港の防波堤を歩きます。
陸を見ます。
正面奥に太平記の舞台の世田山・笠松山連山です。右側の笠松山の麓が「野々瀬口」で、敵味方の死体が折り重なって、山道が見えなくなったと語られています。...もう10年近く前に登りました。300mちょっとの山ですが、もう来ることは無いとの想いで歩きました。
こちらの正面は霊仙山です。長宗我部元親に滅ぼされた河野一族の城が在りました。今は展望広場になっています。
そして、唐子山です。福島正則が城を築き小川裕忠が受け継ぎましたが、彼は関ヶ原の戦いで西軍に付いた為所領を追われました。後を関ヶ原の戦いで功績があった藤堂高虎が、伊予半国20万3千石を与えられて赴任しました。彼は唐子山の城を廃し、城の石垣や柱等を使って現在の今治城を築きました。界隈の今治中心の政治経済の始まりです。今は山頂が再整備されて展望所となっています。
ちなみに、唐子山と名付けたのは藤堂高虎です。山頂と松の姿が、唐人の子供の頭に似ている事からの命名です。それ以前の呼び名は知りません。城が国分城と呼ばれていたので、国分山かも知れません。
故郷の海は有り難きかな。故郷の山は有り難きかな。いつでもそこに在ります。