★ワシントン・ナショナル・ギャラリー展
京都市美術館
印象派とポスト印象派の作品から、日本初公開作品約50点を含む全83点を展示。
観たかったのは。マネとセザンヌ。
会場でよかった、これは《得した!》と思ったんは、シスレー、ピサロ、そしてスーラー。
まず、ポスターに採用されているゴッホの自画像。
ぐるりと回って、一番最後に《おつー》とご対面になる。
この作品、かなり色褪せた印象を受けた。
制作当時は色彩が輝くばかりの激しい絵ではなかったか。
白いバラの絵もあったが、これは完全に《レッド》がはげ落ち、《白いバラ》になっている。
これだけ色彩に損傷があると、《ゴッホの絵は淡白になる》。
ゴッホの名声は情熱な色彩が後世にしっかり残ってこそ継続する。
百年後あたりにも《ゴッホ》の名声は色褪せることなく残るのだろうか。
順を追って。
バジールのプチブル的素直さが好きで、いつもじっと見つめる。
出自が裕福なんで、絵にも気品みたいなものが漂う。
そこがこの人の絵画の魅力。
しかし、そこが後世の人には解ってもらえないところでもある。
中庸にみえてしまうのでしょう。
《中庸が最高の美学》と思うこともあるんですが、、、。
マネの絵画。
彼の絵は、解りやすく、今から振り返ればかなりのアカデミックなスタイルだが、
当時は相当にスキャンダラスな旋風を巻き起こした野心家である。
絵に表現された当時の世相を理解することが《マネの絵画の本質》に迫る唯一の方法。
彼は革新家であろうとしたが、リアリストでもあった。
彼は都会の空気をこよなく愛した。
●エドゥアール・マネ 《オペラ座の仮面舞踏会》1873年
黒の人物集団の不定形の塊と白の柱の直線の対比が美しい。
僕は密かに《マネは白と黒の作家》と決め込んでいる。
場内のざわめき、男と女の駆け引きが聞こえてきそうだ。
マネは人の息づかいみたいなものに関心があったのではないかと思われる。
向かって右端に、ちゃっかり自分自身を書き込んでいる。
●アルフレッド・シスレー《アルジャントゥイユのエロイーズ大通り》1872年
冬景色である。
シスレーとモネは同じ場所にイーゼルをたて、この風景を描いている。
モネは感情の動きが盛んで、シスレーはストイック。
●カミーユ・ピサロ 《カルーゼル広場、パリ》1900年
ピサロは職人である。
彼の才能は堅牢な構成力に表れている。(見逃されているが)
●ジョルジュ・スーラ 《オンフルールの灯台》1886年
大好きな《スーラー》。
彼の描く《静寂な空間》に惹かれる。
大きな面を細やかな点描で埋め尽くす執念。
計算し尽くした色彩。
早くして人生を終えているので、とにかく惜しい。
どんなに美しい作品が生み出されたことか。
彼のストイックな執念に学ぶ。
●ポール・セザンヌ 《赤いチョッキの少年》1888-1890年
今回の展覧会で一番興味があった作品。
自分の人生の中で、まさかこの作品に出会うとは思っても見なかったこと。
感激!
作品の前に立つと、人物画としては、何の情感も湧いてこない作品ではある。
しかし、いろいろ考えさせられる。
腰のひねり、手のポーズ、絵画全体の動き、
無理矢理空間をひねったような、こじ開けたような力技を感じさせる。
しかも、真ん中に《レッド》。
画面全体が《おそるべくタイトな空間》である。
《セザンヌさんは、頑固な人だったんでしょう》
会場を出れば、商魂逞しく、ミュジアムショップが待ち受けている。
あまりの凄さにびっくり。
出口に一番近いところに、なぜか、記念切手販売コーナーあり。
《コナン》の記念切手を1シート購入。
《赤いチョッキの少年》のイメージを引きずったかもしれない。