駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

江戸前釣り師

2010年03月22日 | 
 テレビ放送が始まった頃、先代の三遊亭金馬を見て大笑いをした。小学三、四年だったと思う。なんというか仕草や顔付きが可笑しく、近所の遊び仲間の子供達と一緒に笑い転げた。話の内容は良く憶えていないが、なんだか蒸かし芋を食べて放り投げるような話だった。
 長じて金馬はやや異端とされ名人扱いしない世間の評価を知ったが、私は声顔に親しみが沸いてなんだか可笑しい金馬こそ、第一等の噺家だと思っている。明るく楽しい、これに如く落語はあるまい。
 その金馬が大の釣り好きで、「江戸前釣り師」という本を書いている。十五六の頃だったと思う。たぶん新聞広告を見て?、親に頼んで買って貰ったのだろう。少年釣り師だった私には実に面白く何度も読んだ。
 大切な愛読書だったのに、引っ越しを繰り返すうちなくしてしまった。もう十年近く、古本市の目録を見て出ていないか捜していたのだが、見当たらず諦めていた。
 先日そうだこの手があったと思い付き、ネットで捜したら直ぐヒットした。もっと早くネット検索を思い付けば良かったのに迂闊だった。購入できたのは文庫本で、小振りなのは物足りないが、懐かしい文章に感激している。
 何というか、金馬の人となりと生きた時代が渾然一体となった明朗闊達な文章で、世事歴史に関わる蘊蓄もあり味わい深い。面白さは記憶以上で銘菓を頂くようにゆっくり読み返している。開高健の釣り紀行も好きだが、金馬の文章はプロの作家に引けを取らない。
 二人の対談が残っていれば最高だが、おそらく開高健が釣りにのめり込んだ頃には金馬は居らず、出会いはなかったろう、残念だ。もし実現していれば深更まで酒杯を傾けての法螺の吹き合い、おそらく開高健が参ったと弟子知りしたのではないか。
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さいなら地上波 さらば 田原よ

2010年03月22日 | 町医者診言
 ほとんど地上波テレビは見ないのだが、NHK教育の将棋を見ようとチャンネルを変えた際、数十秒サンデープロジェクトが目に入った。相変わらず田原総一郎が「はいか、いいえか」と声を張り上げていた。勿論、功罪はあるのだろうが、私には罪が大きく感じられ「国民を馬鹿だと云うのか」。と国民を馬鹿にしてきた張本人が声を張り上げるのには違和感を覚える。
 みのもんたを始め田原総一郎などテレビの申し子達の役割は終わったと思う。結局彼等は、迎合して結果として国民を愚弄してきたのではないか。
 政治経済の物事が「はいか、いいえか」。で済むほど単純だと思っているのだろうか。「政治と金」の問題が何を意味しているのか十分に意味内容を吟味せずに、「政治と金」を悪者という意味で使っては、メヂアリテラシーが身に付いていない人達は騙されてしまう。
 政治活動が些少な資金でできるとは思えない。人件費文書印刷郵便費だけでもかなりの額になるはずだ。検証を省いて、ただ単に逮捕されたのだから即悪有罪と紐付きメディアが雰囲気裁判をしていたら、どんなに恐ろしいことが起きるか分からないのだろうか。勿論承知と田原さんは言いそうだが、裏で権謀術数を認めながら表で品行方正を説いて煽るやり方は視聴者を翻弄するだけだと申し上げたい。
 世論調査には単純化と誘導があり、その結果にさほどの意味はない。今行われている世論調査はマスコミが自らの存在価値を高めるための自作自演の芝居の側面がある。回答者になぜそう判断するのか、四百字詰め原稿用紙に2、3枚書いてもらって始めて、ある程度意味が出てくる。勿論、田原さんがそう示唆しているとか、みのさんがそう言っていたなどという回答は差し戻しだ。
 百歩譲って「はいか、いいえか」で物事を考えたとして、それで良いことか悪いことかに辿り着くには少なくとも二十回くらいの「はいか、いいえか」のステップを踏まなければならない。それに視聴者は気付いてほしい。気付けば、経緯脈絡を全て端折った「はいか、いいえか」という問いが極めていかがわしいものであることかがわかる。
 田原氏は必要?。「はいか、いいえか」。
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