近松門左衛門は芸術の真実は虚構と事実の間にあると虚実皮膜と唱えたと言われる。成る程だが、実はもっと広く世間(世界)は虚実皮膜の間にあると敷衍できると思う。事実は顕微鏡でも望遠鏡でも究極には捉えきれないし、人間は虚構無くして事実を語ることが出来ない。有り体に言えば、人間の能力には個人差と偏りがあるので、誰もが同じように理解することはできない。しかるに人類は誰の命も等しく大切という原理に辿り着いたので、引き返すことは出来ず差別を認めることが許されなくなった。
そうした世界では差別排除から区別妥協そして受容調和と様々なグラデーションが出現し虚実皮膜の間に極薄い層が形成されて流れている。こうした世界観は当たらずとも遠からずと思う。しかし現実には人間は霞を食べて生きているわけではないし、林檎を囓り限りある命と知ってしまったので、蠢いて波風が立ち争いが起きてくる。