アメリカ人に富士山は火山かと聞かれて、火山だったけど300年くらい噴火がないので休火山ですよと答えたら、300年なんて火山にとっては3日ぐらいのことだよ、じゃあ活火山なんだと言われて確かにそうだとぎゃふんとなったことがある。
確かに火山史的には300年は数日かもしれないが、300年は地球規模の変化を知るには十分な長さでもあるらしい。前触れや兆しといったものは300年でも掴めるところがある。
人間の歴史は地球規模の気象変動と無縁のようでそうでもなく、どうも太陽の活動がこの二十年ばかりおかしいらしい。黒点が減っているのだ。専門家ではないので科学番組の受け売りなのだが、太陽活動が下がり勾配だという。太陽は殆んど無尽蔵のようでも有限の水素を原料とした核融合反応で熱や圧力を生み出しているので、何十億年先には衰えやがて矮星となる。どうも衰えへの道は平坦ではなく波というか揺らぎがあるようで、何だか一つの揺らぎに遭遇しつつあるらしい。一体その揺らぎがどの程度のものでどの程度の時間幅を持っているのか、まだはっきりとはわからないようだが、そうかやはり人類もその影響を受けて曲がり角に立っているのではないかと、今や爺の私は分かったような気でいる。爺さんも父もよく今は時代の曲がり角だと言っていた。
どうも年々蝉の声が小さくなるような気がする。あの頭が痛くなるような蝉しぐれがなくなった。地球規模の気候変動の前触れのような気がする。尤もそれは耳が遠くなったせいかもしれない。