庭で蝉の声がしている。子供の頃蝉の声がすると一体どこに居るのだろうと探したが中々見つからないことがよくあった。今は別にどこに居ようが気にならず探しもしないが、なんだそこに居たのかと目に入ることはある。
うっすらと顔は見え声はすれども意味不明、旧式ステルス戦闘機のような首相が居られる。振りをするのが政治のコツと役者だった元首相と違うようでもやろうとされていることは似ている。振りをする必要などない印象の薄さでそれはいかん、改善に努力する・・と実は何も言っていないと同じ音声ですり抜けて行く、姿は見えても実態が感じられず黒子の芝居を見せられているようだ。実感を与えず嫌われにくく印象操作でなく印象薄さでいつの間にか旋回させられては敵わない。原爆資料館を見せたのは評価したのだが、何の反響報道もなく見直したのは錯覚だったようだ。確かに世界を見渡せばまだまし野党を見渡せば断然ましと思わせられる状況だが、相対値ではなく絶対値で優れていなければ、手詰まりになって行く21世紀を乗り切ることは出来ない。蟷螂の斧であっても塵であっても、優れたものことひとを見出し応援したい、それが八月十五日を迎える国民の義務だと申し上げたい。