駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

眠れぬ夜のために

2009年07月03日 | 小考
 眠れないという患者さんはとても多い。特に中年以降の女性に多い。
 不眠症はいくつかの型に分けられ、型によって対応が異なるので、問診で鑑別を試みる。しかしながら、何だか眠れない、どうしても眠れない、精神科を受診しても駄目だ・・と結局不満と不平に収束する患者さんが七、八人に一人くらいおられる。 実はこういう訴えの患者さんは、家族は寝ていると証言され、睡眠時間は確保されている。要するに眠った気がしないというのが本態なのだ。
 こうした患者さんは自分の考えと感覚に囚われ、その上に理解力が低い方が多く、なかなか説得が難しい。結局、毎回同じ訴えを聞かされることになる。訴えればある程度気分が安まるようで、そこそこ満足して帰られる。忙しい時はどうして精神科へ戻ってくれないのだろうかと思うこともあるが、まあ、それが町医者の仕事の一部なのだと自らに言い聞かせている。
 私は精神科医ではないが、こうした訴えの背景には不安というか不全というか、何か安心立命を妨げるものがあって、ぐっすり眠れないという感覚訴えになっている場合が多いと診ている。ヒルティの著書を読もうとするような方はおられず、狭い小さな視界不良の世界に留まっているため、解決の光明が見えず、やがて家族からも疎んじられるという経過を辿ることも多い。高齢者の場合は、呆けに進展してゆくことも少なからずある。
 どうすればよいかというと、難しいことだが自立というか自助というか、広い視野の中で客観的な病識と自発性を持てれば解決の糸口が見つかると思う。
 女性に多いと言うと身構える人が居て困るのだが、やはり彼女達の生活史(世界の狭さや依存性)が関与していると思う。
 仕事が大変とか、介護が大変とかこぼされる方が多い。確かに大変なのだが、実はそうしたやることがあるという生活がその人の精神を支えているという側面があり、なんとも微妙なバランスの上に我々は生きているのだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 受験戦争の残滓 | トップ | 歴史的理解を »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

小考」カテゴリの最新記事