駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

外気温11度

2013年11月25日 | 

                      

 連休に富士山へ行ってきた、と言っても登るのではなく周辺をうろうろとドライブするだけだったのだが、富士五湖マラソン?とかに巻き込まれ目的のレストランへ辿りつけず、行き当たりばったりの店に入るはめになった。運よくメニューに噂の鹿カレーがあり食べてみた。カツドン950円より高い1100円、サラダがついている。高いのか安いのかよくわからない。味は何の変哲もないカレーで鹿肉は脂身がなく、私的にはカレー向きではない印象だった。居合わせた外人家族、北欧か東欧、は店のテラスでうどん(ほうとう)を食べていた。陽射しがあるので外気温11度くらいは彼らには外の方が気持ち良いらしい。

 遠出をすると外気温だけでなく世の中の景気も感じる。人出には僅かに回復の兆しがあるようだ。しかし景気回復は、控え目なもので恐る恐るのおぼつかない足取りに感じられる。なんとか僅かでいいから堅調な回復になればいいと願っている。医療界の収入は九割方、政府の匙加減で決まるので、景気そのものの影響を諸に受けるわけではないが、景気は良い方がいい。景気が良いと気のせいか患者さんの表情も明るくなるからだ。

 来週から師走とは恐れ入る時の流れの速さ、色々とだんだん追い付いていけなくなった。おいおい、もう少しゆっくりと時間の神様に頼みたくなる。

 鹿カレー、星は付かない。誰か、洒落たジビエ料理ではない安くてうまい鹿肉の調理法を開発してくれないものか。

 

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逃げる言葉には追う言葉で

2013年11月24日 | 町医者診言

                      

 直樹お前もか、猪瀬東京都知事。 突発性健忘症及び部分刻銘記憶症に罹患。 頭記疾患のため今期限りとする。 えっ、有権者も七十五日の健忘症だから大丈夫だと。

 五十年前の昔、いつも現金、笑う現金の**屋という宣伝を聞いたことがある。いまだに、いつも現金、内緒の現金は政治屋らしい。五千万円は封筒に入らない。まして背広のポケットにも入らない。そんな嵩張る物を頂いた記憶は朧で、頂戴と言わなかったことは刻銘に記憶している。

 これは稀有な症状ではないか、先輩、症例報告できますね。いいや、よくあることだ。

 残念ながら真相は闇の中であるが、万一に備え、そうなるように仕組まれていた。ということはやはり後ろめたいからだと申し上げる。

 六十年といえば二世代。唐様で売り家と書かないように、密約に騙されたと臍を噛まないように孫達に語り継がねばなるまい。六十年、それは当事者はもう居ない時の長さということ、つまり幽明に逃れる算段のように思われる。世界遺産になった高嶺を仰ぎ見ながら、語り継ぎ言い継ぎゆかん、よしなしごとの増えたことよと思う

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早期がんの矛盾

2013年11月23日 | 医療

                        

 最近は医療広告も多少表現が緩和され、医学博士だとか専門医だとかの表示が許されるようになった。それに乗じたわけでもないと思うが、「早期がん発見に努めています。某内科消化器科」。などという紛らわしい看板を見かけるようになった。

 まるで早期がんを見付けるのが得意のように読めるではないか、ひょっとして読ませようというのかな。臨床医は誰しも早期がんを発見したいと思っているのは確かだが、そう簡単には問屋が卸さない。**先生は大胆無謀の人らしい。

 素人には分かりにくいかもしれないが、早期がんというのは無症状なのだ。今朝も朝飯が旨い、駅の階段を駆け上って息も切れないギンギラギンのおじさんにも潜んでいる可能性がある。つまり早期がん発見は保険診療の対象にはなり得ない。人間ドックの宣伝とすれば納得なのだが、見逃しやすい早期がんを発見しますなどとドックは宣伝しない。ドックで見逃されている早期がんは五万とある。尤も、専門医でも六-七割の発見率の病変は見逃しとは言わないというのが医療側の見解で、私もそう思う。中には早期癌、そんなもの殆どががんもどきだと託宣する、医者の鑑?じゃなかった敵?のような某近藤先生も居られる。

 ちょっと脱線したが、早期がんは無症状なので、ドックで運良くあるいは他の病気の検査中に偶然運良く見つかることが殆どなのだ。但し、希に早期がんを狙って検査することもないではない。というのはある特定のがんができやすい一群の人達が居り、その人達の場合は最初から早期がんを狙って検査することがある。その場合は背景の疾患病名で保険診療としている。もうひとつ非常に鋭敏な腫瘍マーカーがあるがん、例えば前立腺がん、の場合には例外的に無症状でも疑い病名で保険診療が可能だ。

 実はここには医療のコペルニクス的転回点が現れている。いつ頃から医療と呼べるものがあったか定かではないが、数千年の昔から病気は症状を出発点として診断治療されてきた。ところが20世紀の末から症状ではなく、検査異常を出発点とする診断治療が始まり、健康診断や人間ドックの普及している日本ではそうして始まる医療がかなりの部分を占めるようになっている。このあたりは保険医療の絡みもあり微妙で大きな問題なので、これ以上立ち入らない。

 早期がんは無症状ということを申し上げたかった。

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老医の発見?、呟き

2013年11月22日 | 町医者診言

       

 人生という街にはまさかという坂が数多くあるようだ。六十も半ばを過ぎて、時間が後ろ向きに流れることもあるのを知った。物理学者や歴史家には周知のことかも知れないが、毎日病人の診療に追われてきた老医には思いもよらぬ発見だ。

 節を屈して獲物の分け前に預かろうとする人と10日後の御馳走よりも今のにぎり飯に食らい付くのが生き延びる道と感じる人が過半数を占めるのが世の中らしい。民主主義という理想は民衆によってしっぺ返しを食らうなどとわかったようなことを口走りたくなる。

 悪ふざけのように響くなぞなぞだが、どちらかと言えば恵まれている者が恵まれていないように感じ考え、正直なところあまり恵まれていない者が恵まれているように感じ考える国はどこだ。尤も、本当に恵まれている者はどこかで悠々と暮らし、本当に恵まれていない者は秘かに喘ぎ苦しんでいる。

 それでいいのか思ってきたのだが、仕事人間という選択もあるのかなと考えてしまう。勿論、社会の外には出られないのだけれども。

 

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はらはら、いらいら

2013年11月21日 | 身辺記

              

  朝夕は秋を通り越して冬的寒さになった。駅の階段で、私の横から70台と思われる背中が少し曲がった背広の紳士が、階段を駆け上がっていったのには驚いた。普段鍛えているのだろうか、それにしても転んだら大怪我をすると人ごとながらはらはらする。前を三十代の中々スタイルの良い婦人が踵巾が2センチもなさそうなハイヒールで階段を登ってゆかれる。数cmで踏み外しそうでこれにもはらはらする。

 医院に付くとファックスが数枚届いていた。総合病院糖尿病外来から予約のAさんが来院しませんがどうかされたのでしょうか?

 ご紹介いただいたBさんに追加で利尿剤が出ていますが、患者さんに聞いても要領を得ません、投与の理由をお知らせください。

 訪問看護ステーションから、寝たきりのCさん(90歳)介護をしているお嬢さん(66歳)が昼間から酔って看護師に仕事をきちんとやらないじゃないかと絡んで来られます、もう伺わなくてもいいですかと返答すると、それは困る週一回の訪問を二回に増やせとわけのわからないことを言われます。先生説明と御判断をお願いします。

 今日は胃透視の検査があって、時間がないのにと返事を書く、いらいら。

 11月も20日を過ぎると気ぜわしくなる。嫌いな季節ではないのだが、心穏やかに行きたいなあ。

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