駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

名医とは誰のこと

2015年03月21日 | 医者

            

 三寒四温とはよく言ったものだ。暖かくなったり寒くなったりしながら、少しずつ暖かくなってきた。一週間もすれば桜がほころびそうだ。春分の日の連休でちょっと遠出をした。

 医者というのは、改めて言うまでもないことだが、大変な仕事なのだと今更ながら書いておきたい。何が大変と言えば、やはり人の命に関わる仕事だからだ。

 よく名医と言われるが、世に言われる名医はどこまで頼れるか怪しい?気がしている。名が売れていても手を下さない医師は名医とは言い難い。それに大体、我々は名医と言うことは少ない。勿論、褒めて言うこともあるが多少揶揄を含んでいることもある。よく出来る、力がある、信頼できる、手術が上手い、・・は大丈夫、・・は駄目・・はやめた方がいいなどと評価することの方が多い。

 病気というのは重篤で難しいものからほおっておいても治るものまで色々で、これは素人には中々分からない。そして、病気はありふれていても、向き合うのが難しい患者さんがいる。医者が医者を見ていると難しい重くなる病気や難しい患者を上手に避けておられる先生がいる。口は達者でもこういう先生は名医とは言わないだろう。重い病気や難しい病気病人でも、矢面に立って手を下せる医師を我々は・・・なら大丈夫と言っている。

 

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隣は何をする人ぞ

2015年03月20日 | 身辺記

                  

 電車通勤といっても乗車時間はたかだか十四、五分、二つの駅を挟むだけだ。最初から座れるのは五回に一回くらいあるかどうか。途中で座れるのを入れれば二回に一回は座れる。勿論、嗅覚を働かせ、降りそうな人の前に立つようにしている、高校生の校章を見分けるのだから、我ながら少々やりすぎかなとも思う。

 ご存じのように座っていて目の開いている人は八割方携帯を弄くっている。若い人だけでなく白髪から禿頭まで例外なしだ。あとは所在なげに周りを見ているか、雑誌や折りたたんだ新聞を読んでいる。座っている人の一二割がうたた寝をしている。不思議なのは、寝ている人は必ず降りる駅になると目を覚ましさっと降りてゆくことだ。何で着いたと分かるノだろうか。車掌のアナウンスが聞こえる?、電車の揺れや動きで気が付く?それとも眠った時間の長さで分かるのだろうか。

 今朝は運良くというか滑り込んで座ったのだが、隣の席の五十代と思しきおっさんはぐっすり眠っていた。地味な背広を着たいかにも会社員風の人で私の様なこの人何者といった感じではない。それでもふと一体何をする人だろうと思った。課長か部長か事務か営業か、ひょっとしてお役人かな。車掌の次の停車駅のアナウンスがあり、電車が速度を落とすと、ぱっと目を覚まし何の逡巡もなく立ち上がりドアの方へ移動していった。

 電車に乗る時並ぶ人は半数以上いつも見る人なのだが、乗り合わせる人は見覚えのない方が多い。今日は出掛けるため、鞄を持っておらず、読む本がなく、周りを見るともなく見て勝手な想像を巡らした。

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医院はトヨタ日産とは参らず

2015年03月19日 | 医療

             

 今朝は雨、雨がよく降る。冷たい雨ではないが本降りなので、歩くのが遅くなり、いつもの電車を逃してしまった。たかだか十一分だが遅れて到着した。

 今年のベースアップは大手軒並みに昨年を上回るものらしい。どうして収益で劣る日産の方がトヨタよりも高いかよく分からないところもあるが、概ね業績に比例した賃上げのようである。果たして中小零細企業ではどうなのだろうか、従業員が八人の我が医院は零細企業ということになると思うが、4月が来るとベースアップをすることになり、頭が痛い。

 驚くべき事なのかどうか分からないが、過去二十数年毎年大体一定の金額でベースアップをしてきた。だから開院時の倍近い給与になっている。これは院長の私が昭和四、五十年代の感覚を持っていて、給与は毎年上げるものだと思っていたせいかもしれない。患者数はこの十年はほぼ横ばい、収益はこの数年横ばいである。今年は遺憾ながら数百万円の減収になっている。おそらく、医療費抑制が財政再建の本丸と位置づけられているので、これからも長期低落傾向が続くだろう。そうした医院にもベースアップの圧力は掛かってくる。追い詰められれば、院長の給与を減らし、それを従業員に回さざるを得ないだろう。

 果たしてそうしたことが出来るだろうか?。その頃には引退している可能性が多くあまり切実ではないが、どうなることかと思う。世間にはやっかみという正義があるから、儲けすぎ?の開業医には当然の結果という声が上がりそうだ。

 いずれにしても、景気回復は歪んでおり、猫も杓子もとは参らず、トリクルダウンの恩恵にはあずかれそうにない。

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お礼の不思議

2015年03月18日 | 世の中

              

 先日、三十年前に働いていた病院の看護師から手紙が来た。確か結婚式に出席した子だよなあと思い出しながら何だろうと読むと、息子が医者になったので一度ご挨拶に伺いたいということだった、

 それはお目出度いとは思ったが、何で私に挨拶と驚いてしまった。何でも流産した後落ち込んでいる時に私が励ましたのが力になって息子が産めた。息子もその話を聞いて医者を志したという、全く記憶にない理由が書いてあった。そんなことがあったっけと、お会いし、三十年前にタイムスリップして十五分ばかり懐かしい話に花を咲かせた。三十年経っても面影が残っているというより、殆ど変わっておらず、息子さん弟みたいじゃないかとからかったことだ。

 これほどではないが思いがけぬお礼を言われることがよくある。難しい病気や重症な病態は病院に紹介するのだが 紹介されたことに対して厚くお礼を言われることがある。しばしば菓子折が付いてくる。紹介というのはたかだか三四行の紹介状を付けて、この病気はあの先生がいいなと送るだけのことで、お茶の子さいさい、何の苦労もしていない。ひょっとしたら口うるさい先生からと特別丁寧に扱われているのかも知れないが。

 お礼というのは、どうも受け取る側の感性というか心根が大きく関与しているようだ。何かした私は憶えていないことの方が多い。

 まあ直裁に物を言って生きていると、逆のこともある。単に疑問に思ったから聞いているのに非難されたと根に持つ御仁もいるようで、妙な仕返し?のような扱いを受けることもある。これも受け取る側の感覚が大きいような気がする。こうした質問も報告や講演が終わってから内輪で下手に聞けば問題がないようなのだが、みんなの聞いているところで「・・・はどういうことですか」などと聞くのが良くないらしい。勿論、冷や汗を掻かされてもご質問ありがとうございましたと言われる方も多い。

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羊を数える

2015年03月17日 | 人生

         

 今朝は雨上がりの気持ちの良い朝で、駅までの歩きを楽しんだ。梅は散って桜がもうすぐの気配がある。空気が楽しい。

 カルテには生年月日が書いてある。長年通っている患者さんでも生年月日までは憶えていないので時々見る。五十半ばを過ぎると暦年齢と見かけの年齢に大きな差が出てくるので要注意なのだ。年が変わって三月ぐらいまでは60才72才84才96才の人を見つけて、「おや、未年ですね」と声を掛ける。「ええ、年男あるいは年女なんです」と答えられる。干支よりも動物のイメージの方が強いのか、ウサギ男とか猿女はあんんまりにっこりされない人が多い気がする。

 羊もあんまり嬉しそうではない印象だ。誕生日はもういいという気持ちもあるのかも知れない。ほぼ十二人に一人だから毎日二三人おられるはずで、もう五六十人に声を掛けただろう。三月半ばで止めないと、患者さんの方はこの前も言われたと憶えているだろうから、今が潮時だ。

 誰が考えたか六十を一巡りの還暦としたのは妙案だと思う。昔の人も運良く成人できれば六十くらいまで生きた人もそこそこ居たのではないか。そうとしても還暦を祝う感慨は大きかっただろう。そうして六十才になって初めて見えてくること分かることがあると気付いて六十を還暦としたのではないだろうか。今の還暦は老け込む年ではなく、第二の人生という意味合いも出てきているが、還暦の意味は生きていると思う。還暦まで生きてわかってくることは多いと思う。逆に還暦まで生きれば、分かることは分かるのだろうと思う 

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