吉田のうどんの25番目と26番目のお店を紹介します。
この2軒、お互いの距離は近いです。
と、その前に、装いも新たな「店舗マップ」が出来ていましたので、頂いてきました。
広げると新聞紙1ページの大きさとなり、大きい地図は見やすいのですが、持ち運ぶにはちょっと大変です。
ここでは4つに折りたたんだ表紙と、「吉田のうどん」に関する記事部分を紹介します。

下記地図は、以前からのものです。



「源氏」マップ番号7(C-5)
オーダーしたのは「肉天麩羅うどん大盛り」

定番のキャベツの他に、ワカメと刻みネギが乗っていました。
うどんは手打ち・手切りで歯ごたえ宜しく、スープも美味しかったです。
お客さんも大勢で、繁盛しているようでした。(通路の左側が混んでいました)
看板には「居酒屋」の名前もありましたので、昼は「うどん」、夜は「呑み屋」さんなのでしょう。
「東屋」マップ番号8(C-5)
オーダーしたのは「肉うどん大盛り」

お肉はわざわざ「桜肉」と拘ってメニューに書かれていました。
「豚肉」を使ったメニューもあったので、区別するためなのでしょう。
その「桜肉」、写真の様に少し大きめで、しかも独特の味付けとなっていました。
この味は好みが分かれるところかも知れません。
肝心の「うどん」は、看板にもあるように「シルクパウダー(食べる絹)」を練りこんでいるとのことで、のど越しは良かったです。
スープは醤油ベースで、油揚げも入っていましたが、これも少し変わった味付けでした。
ここは暫らく前まで「カレ吉」でしたので、今度のお店のメニューにも「カレーうどん」がありました。
但し、「豚シャブカレーうどん」となっていました。
平日はコーヒーの無料サービスがありましたが、、昼時なのにお客さんが居なかったので、新しいお店だからなのか、それなりなのか、そこのところは何とも言えません。
この2軒、お互いの距離は近いです。
と、その前に、装いも新たな「店舗マップ」が出来ていましたので、頂いてきました。
広げると新聞紙1ページの大きさとなり、大きい地図は見やすいのですが、持ち運ぶにはちょっと大変です。
ここでは4つに折りたたんだ表紙と、「吉田のうどん」に関する記事部分を紹介します。


下記地図は、以前からのものです。




「源氏」マップ番号7(C-5)
オーダーしたのは「肉天麩羅うどん大盛り」






定番のキャベツの他に、ワカメと刻みネギが乗っていました。
うどんは手打ち・手切りで歯ごたえ宜しく、スープも美味しかったです。
お客さんも大勢で、繁盛しているようでした。(通路の左側が混んでいました)
看板には「居酒屋」の名前もありましたので、昼は「うどん」、夜は「呑み屋」さんなのでしょう。
「東屋」マップ番号8(C-5)
オーダーしたのは「肉うどん大盛り」





お肉はわざわざ「桜肉」と拘ってメニューに書かれていました。
「豚肉」を使ったメニューもあったので、区別するためなのでしょう。
その「桜肉」、写真の様に少し大きめで、しかも独特の味付けとなっていました。
この味は好みが分かれるところかも知れません。
肝心の「うどん」は、看板にもあるように「シルクパウダー(食べる絹)」を練りこんでいるとのことで、のど越しは良かったです。
スープは醤油ベースで、油揚げも入っていましたが、これも少し変わった味付けでした。
ここは暫らく前まで「カレ吉」でしたので、今度のお店のメニューにも「カレーうどん」がありました。
但し、「豚シャブカレーうどん」となっていました。

平日はコーヒーの無料サービスがありましたが、、昼時なのにお客さんが居なかったので、新しいお店だからなのか、それなりなのか、そこのところは何とも言えません。
青江三奈が歌うこの歌
「伊勢佐木町ブルース」 ビクターレコード SV-659 1968年1月発売
作詞 川内康範 作曲 鈴木庸一

彼女の歌は、森進一と共に「ため息路線唱法」と言われ、特にこの歌は、冒頭8小節にある「ぅあぁ~」「ぅあぁ~」が色っぽいお色気とされ、NHK紅白に出場した際、これを封印して歌ったという有名なエピソードも残ってます。
青江三奈(本名 井原静子)の芸名は、作詞家の川内康範が「週刊新潮」で連載していた小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来し、高校在学時から東京・銀座の「銀巴里」でステージに立っています。
出身は東京都江東区砂町で、高校卒業後は西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、1966年「恍惚のブルース」でメジャーデビューし、80万枚のセールスを挙げています。
この「伊勢佐木町ブルース」は、100万枚を売り上げた68年のヒット曲で、第10回日本レコード大賞・歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞、翌69年には「池袋の夜」が150万枚を売り上げ、自身最大のヒット曲となり、史上初の2年連続日本レコード大賞歌唱賞を受賞しています。
その後、ヒット曲は途絶えるものの、1984年のブラジル公演の他、1990年には歌手生活25周年記念リサイタルを開催し、更に1993年には初のジャズアルバムも発表、下記のアルバムは2度の渡米時に録音されたもので、左側は1993年3月、右は1995年9月に制作され、2枚ともに「伊勢佐木町ブルース」を歌っています。

渡米時は、ニューヨークでもライブを開催し、メル・トーメがゲストで参加した映像をNHKBSで放送したことがありました。
演歌歌手のレッテルを貼られている人が歌うこの手のジャンルの曲、彼女の歌う「ジャズ」は、一昨年からブレイクしている女性歌手のYさんより実力は上だと思います。
その後もテレビ番組やコンサートなど、精力的に活動を行なっていましたが、2000年7月2日(本日が命日)、膵臓癌により死去、59歳の若き生涯でした。
「伊勢佐木町ブルース」 ビクターレコード SV-659 1968年1月発売
作詞 川内康範 作曲 鈴木庸一



彼女の歌は、森進一と共に「ため息路線唱法」と言われ、特にこの歌は、冒頭8小節にある「ぅあぁ~」「ぅあぁ~」が色っぽいお色気とされ、NHK紅白に出場した際、これを封印して歌ったという有名なエピソードも残ってます。
青江三奈(本名 井原静子)の芸名は、作詞家の川内康範が「週刊新潮」で連載していた小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来し、高校在学時から東京・銀座の「銀巴里」でステージに立っています。
出身は東京都江東区砂町で、高校卒業後は西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、1966年「恍惚のブルース」でメジャーデビューし、80万枚のセールスを挙げています。
この「伊勢佐木町ブルース」は、100万枚を売り上げた68年のヒット曲で、第10回日本レコード大賞・歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞、翌69年には「池袋の夜」が150万枚を売り上げ、自身最大のヒット曲となり、史上初の2年連続日本レコード大賞歌唱賞を受賞しています。
その後、ヒット曲は途絶えるものの、1984年のブラジル公演の他、1990年には歌手生活25周年記念リサイタルを開催し、更に1993年には初のジャズアルバムも発表、下記のアルバムは2度の渡米時に録音されたもので、左側は1993年3月、右は1995年9月に制作され、2枚ともに「伊勢佐木町ブルース」を歌っています。




渡米時は、ニューヨークでもライブを開催し、メル・トーメがゲストで参加した映像をNHKBSで放送したことがありました。
演歌歌手のレッテルを貼られている人が歌うこの手のジャンルの曲、彼女の歌う「ジャズ」は、一昨年からブレイクしている女性歌手のYさんより実力は上だと思います。
その後もテレビ番組やコンサートなど、精力的に活動を行なっていましたが、2000年7月2日(本日が命日)、膵臓癌により死去、59歳の若き生涯でした。
作詞 阿木燿子、作曲 宇崎竜童による山口百恵の22枚目のシングルから
「プレイバック Part 2」 CBSソニー 06SH 331 78年5月1日発売

このレコードは歌詞の内容とは別に、タイトルの「プレイバック」と、作詞・作曲者の名前だけで “ ヨコハマ、ヨコスカァ~ ” を連想してしまいます。
そこでヨコハマと、ヨコスカをタイトルにした演歌、ポップスを並べてみると・・・
「ブルー・ライト・ヨコハマ」
作詞 橋本 淳 作曲 筒美京平 日本コロムビア LL-10081-J 68年12月25日発売

64年4月、日本ビクターから「ネェ、聞いてよママ」でデビュー、
68年に日本コロムビアに移籍した最初の曲で150万枚の大ヒットしました。
つい最近、薬の噂も聞こえてきました。何でもなければいいのですが・・・
「よこはま・たそがれ」
作詞 山口洋子 作曲 平尾昌晃 ミノルフォン レコード KA-368 71年3月1日発売

三谷 謙から五木ひろしに名前を替えてヒット、
作詞家の山口さんが彼の歌の実力を評価し、作家の五木寛之さんにお願いして名前を拝借し、ひろしを優しくひらがなで命名、平尾さんに作曲を依頼、そして徳間音工の社長に売り込みを図って実現した彼の出世作です。
ミノルフォン・レコードという響きが懐かしいです。
「横須賀ストーリー」
作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童 CBSソニー 06SH 15 76年6月21日発売

76年6月21日に発売された彼女の13番目のシングル
と、「ヨコハマ・ヨコスカ」が出そろったところで、ここで真打に登場して頂こうと・・・
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童 東芝EMI ETP-20118

そこへヨーコが帰って来て・・・
「帰ってきた港のヨーコ」
作詞・作曲 エコノミック・アニマルズ RCA ビクター JRT-1443

ところが “ アンタ私の何なのさ !? ” と言われ・・・
「港のヨーコ有名人編」で終わらず、「港のヨーコ逃亡編」までおまけについて
作詞 阿木燿子 補作 山本正之 作曲 宇崎竜童 日本コロムビア CD-255-A

ハマは大賑わいです。
「プレイバック Part 2」 CBSソニー 06SH 331 78年5月1日発売



このレコードは歌詞の内容とは別に、タイトルの「プレイバック」と、作詞・作曲者の名前だけで “ ヨコハマ、ヨコスカァ~ ” を連想してしまいます。
そこでヨコハマと、ヨコスカをタイトルにした演歌、ポップスを並べてみると・・・
「ブルー・ライト・ヨコハマ」
作詞 橋本 淳 作曲 筒美京平 日本コロムビア LL-10081-J 68年12月25日発売




64年4月、日本ビクターから「ネェ、聞いてよママ」でデビュー、
68年に日本コロムビアに移籍した最初の曲で150万枚の大ヒットしました。
つい最近、薬の噂も聞こえてきました。何でもなければいいのですが・・・
「よこはま・たそがれ」
作詞 山口洋子 作曲 平尾昌晃 ミノルフォン レコード KA-368 71年3月1日発売



三谷 謙から五木ひろしに名前を替えてヒット、
作詞家の山口さんが彼の歌の実力を評価し、作家の五木寛之さんにお願いして名前を拝借し、ひろしを優しくひらがなで命名、平尾さんに作曲を依頼、そして徳間音工の社長に売り込みを図って実現した彼の出世作です。
ミノルフォン・レコードという響きが懐かしいです。
「横須賀ストーリー」
作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童 CBSソニー 06SH 15 76年6月21日発売



76年6月21日に発売された彼女の13番目のシングル
と、「ヨコハマ・ヨコスカ」が出そろったところで、ここで真打に登場して頂こうと・・・
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童 東芝EMI ETP-20118



そこへヨーコが帰って来て・・・
「帰ってきた港のヨーコ」
作詞・作曲 エコノミック・アニマルズ RCA ビクター JRT-1443



ところが “ アンタ私の何なのさ !? ” と言われ・・・
「港のヨーコ有名人編」で終わらず、「港のヨーコ逃亡編」までおまけについて
作詞 阿木燿子 補作 山本正之 作曲 宇崎竜童 日本コロムビア CD-255-A




ハマは大賑わいです。