夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

てんから

2017年04月11日 23時52分28秒 | 渓流釣り
大好きな釣り・・・てんから。
てんからはかなり古くから行われてきた伝統釣法です。
その昔、職漁師たちはこの釣り方だけで家族を養っていたと。
だったら相当釣れる釣り方に違いないと思った僕はこの釣りに興味を持ちました。
しかし、当時の僕の回りにこの釣りをする人がおらず、何冊かの本を頼りにほぼ自己流で始めました。お粗末な毛鉤を巻いて、ヘラ竿を改造したこれまた雰囲気だけの竿にナイロンの釣り糸を撚り合わせて作った即席の糸を付け、その先にその毛鉤を付けて釣ってみました。フライ・フィッシングの経験があったのでキャストはそれほど難しいとは思いませんでした。フライ・フィッシングでは何十メートルも飛ばすのに対して、てんからは数メートルも飛べば釣りにはなるからです。
 僕の場合は運良く初回から釣れてくれました。餌釣りの経験から魚の付き場が解っていたことによるものだと思います。
 基本的に餌釣りとの違いは毛鉤には匂いも味もないことです。よって、臭覚や味覚に頼ることはできません。視覚だけが頼りの釣りです。視覚だけが頼りの釣りですから、毛鉤を本物らしく忠実に作った方がいいように思えますが、案外そうでもありません。今僕が好んで使っている毛鉤などは、これが川を流れてきても見た目はただのゴミです。魚が食いつくはずがありません。しかし、そこに誘い(虫のように動かして魚の興味とそそり、はたまた食欲さえもわかす事)を掛けると、そのゴミは一瞬にして美味しそうな虫に似るのです。
 渓魚にとって、自然界で川を流れ下ってくる餌はほとんどの場合川虫であることが多いのですが、その流れ方には大きく2通りがあります。一つは死んでしまったり動きが悪くなったカゲロウたちが水面を流れて来る場合と、生き生きした川虫が泳いで流れて来る場合があるわけです。前者はほとんど動かないのですから川の水が流れるとおりに流れてきますので、それを喰っている渓魚に口を使わせるためには毛鉤をそれと同じように自然に流すこととその虫に似せて作った物であることが大切です。一方後者を好んで食べている渓魚にはその虫の動きに似るように毛鉤を動かす必要があります。
 てんからにあっては毛鉤を自然に流すことには限界があります。フライ・フィッシングなどは自然に流す事を得意とする釣り方ですが、てんからの場合は糸が細いのでメンディングなどの操作がほとんどできないからです。ですからそういう魚が見えたとしても口を使わないことが多く、毛鉤の近くまで来て口を使わずしてUターンしてしまう事が多いです。こういう光景を見た釣り人は、この次は喰わせてやろうと熱くなって熱中してしまう人も多いようです。しかし、所詮てんからの毛鉤は頑丈さを旨としていますので、フライ・フィッシングで使われるそれとは精巧度において格段に低いのです。
 そこでそちらが無理であれば後者の誘う方法をとらざるを得なくなります。つまり流しているだけでは釣れないわけではありませんが、限界があるということです。てんからではフライ・フィッシングより長い竿を使います。しかも糸がフライ・フィッシングより細いので重量がありませんから水面に付けずに毛鉤を流す事が可能です。っていうより、そういう風に釣られてきた釣り方なのです。道糸をすっかり水面に落として釣るのはてんからではなく、てんからの道具を使ったフライ・フィッシングと言っていいでしょう。てんからでは毛鉤を投げ込んだ直後に竿を立ててなるべく糸を水に付けないようにして毛鉤がまるで生き物のように動かすことによって魚の食欲をそそり、口を使わせるのです。しかしながら、この誘いという毛鉤操作は簡単なようで難しいのです。特に僕の毛鉤のようにどこからどう見てもゴミとしかいいようながないような毛鉤を使う場合は、毛鉤を魚にじっくりと見せてはならないのです。要はチラ見せが大事なのです。渓魚がこの毛鉤を見たら食欲が減ることはあっても増すことはないでしょう(笑。しかしこんな毛鉤でも上手い誘いを掛けられたら魚にとってこの上ないご馳走に見せることも可能なはずです。ところがこの誘いというものが曲者です。僕をはじめとして川虫の水中での動きなど見たことがある人は少ないでしょうから、その誘いはその人がいろいろとやって習得して行くしかありません。要は経験が大切なのです。一朝一夕にして出切るものではないのです。

 ほぼ一年ぶりに毛鉤を巻きました(画像)。これだけ巻くのに三日間も掛かりました。それでへではありません。渓魚狙いのてんからはもう2年以上もやっていないのです。毛鉤を巻いていてもミスばかりでなかなか思うようになりません。巻いていながらそんな自分に腹が立って来ました。バイス(毛鉤を巻く道具)の前に、自分に負けた自分が座っていました。巻き終わっても美しさが微塵もありません。ある程度は想像していましたが、こんなひどい状態になるのは想定外です。でも、これで過去のてんからに完全にお別れができるように思えています。いままで培ってきたてんからを捨て、初心に戻ってまた新たなてんからを構築して行くことになります。
 そんなことで今年の僕はてんから1年生であることを自覚し、岐阜に住む逆さ毛鉤の名手に手ほどきを受けるべく予約を入れました。
 これから数年で僕のてんからがどう展開して行くのかは自分でもまったく分りません。しかしながら、それがまた楽しみでもあります。
 希望的には、できるだけ粗末で尚且つ汚い毛鉤を使って、できるだけ綺麗で大きな渓魚が釣れるようなてんからを目指したいと思っております。

二年半ぶり

2017年03月15日 20時21分06秒 | 渓流釣り
二年半の沈黙をやぶって渓流に行って来ました。
地元の釣り仲間のTAKAさんがサポートしてくれました。
少々体調がはかばかしくない管理人ですから、今一人での釣行はちょっと恐いです。
TAKAさんが来てくれるというので安心していられました。

 行き先はまともな魚が釣れない川なのですが、その昔は大きいのが沢山釣れてニジマスだったら70㎝を超えないと『大きいね』とも言ってもらえませんでした。そんな場所ですから楽しい思い出がいっぱいの川です。
 この川の近くに20年来の友達が住んでいます。釣りが上手いのは勿論、その釣りスタイルにも感銘できる釣り師です。最初に出会ったときの彼は人生においても順風満帆。綺麗な奥様とともに人生を謳歌している彼を見てこちらも元気をもらったものです。ところが彼を想像を絶する試練が襲います。まず突然奥様が亡くなられました。それからの彼の人生は奈落の底に急転直下。奥様と一緒にやってきた仕事を辞めて新たな人生をめざすものの、新たな仕事で指の3本を失ってしまいました。すぐにお見舞いに行った僕に『(趣味の)ギター弾きも釣りも(ともに相当なレベル)もうできないかもしれない。』と。とても悲観的になっているのが解りましたがこれはどうする事もできません。その後怪我の回復を待って退院した彼ですが、指を失った彼が住む山あいの小さな町で新たな仕事を探すのはとても難しいものがあります。その頃の彼はかつて満ち充ちていた瞳の輝きも薄れ、僕も彼の今後に不安を感じずにはいられませんでした。彼にはほぼ寝たきりの母親がいるので彼が介護しています。それだけでも大変なのに、その合間を縫って職探しに没頭していた彼は僕に『沢山稼いで贅沢しようって言ってるのではありません。ただ、オフクロと僕が最低限の生活ができるだけの収入が欲しいだけです。でも、それすらもこの町にはないのです。』と言って嘆くばかり。彼の行く先が案じられました。そんな折、ひょんなことから彼は将棋の駒と出会いました。お師匠さんについて真剣に将棋の駒を彫り続け、そして最近ではそのレベルの高さが評価されるようになり、彼が作った駒は今年の日本将棋連盟のカレンダーの表紙を飾り、最近リリースされた将棋を題材にした映画でも使われているとのこと。
 僕は将棋の駒の良し悪しが解るほどの眼をもっていないのですが、彼が作った駒は世間が評価しているのですからきっと素晴らしい駒なのでしょう。思い起こせば彼が作ったへらウキ(相当前ですが)も素晴らしいし、元は優秀な料理人でもあった彼ですから包丁砥ぎで得られた技術は彫刻刀砥ぎにも生きるとのこと。良く切れる彫刻刀で彫っらないとやはり良い駒にはならないのだそうです。彼が歩んできた総ての事がこの将棋の駒作りに生きるものばかりです。客観的に見ても彼はこれ(将棋の駒作り)をするために生まれてきたのではないかと思えてしまいます。まさに天職としか言いようがありません。そして偶然を通してそういう職に付くためにいままで沢山の試練を受けてきたように感じます。そして亡き奥様がそのように仕向けてたようにさえ感じてしまいます。
 いずれにせよ有名人になりつつある彼の昨日は瞳の輝きも充ちていて人生が充実していることが手に取るように分りました。友達としてこんなに嬉しい事はありません。再び順風満帆の波に乗った彼には是非これからも頑張ってすばらしいな駒をどんどん作っていただきたいと思っております。
 ちなみに釣りの技術は少しも落ちておらず、普通の人よりはちょっと時間が掛かるものの、釣鈎もちゃんと結べます。ギターはどうだか判りませんが、少なくとも釣りができるということは僕にとってもとても嬉しい事です。

 画像はそんな彼と同行して釣ったニジマスです。ヤマメでもなく、イワナでもない・・・たかがニジマスです。しかもたいして大きくもありません(52㎝)。が、この一匹に僕は彼の幸せを託してリリースしました。
 是非長生きしていただきたいものです。

サクラマス狙い

2016年05月30日 06時36分06秒 | 渓流釣り
ってことで今年用にこんな毛鉤を巻きました。要はHPにあるさか「さま毛鉤」と「アンバランス毛鉤」です。
勿論狙いは今が旬のサクラマス。でも基本的にサクラマスは餌を喰わない魚です。餌でつれてくるのはモドリと言われるものです。サクラマスは餌は喰わないのでライズもしません。産卵に向けて上流を目指し、底でユラリユラリとしているだけです。ところが一般的なてんからは水面付近で毛鉤を虫らしく動かして魚の食欲を促し、水面まで魚を引きずり出して掛けるのが基本です。こうなるとてんからでは無理と判断するしかありません。底波に毛鉤を入れて、サクラマスの前で毛鉤を動かしてファイティングバイトを期待するしかないと思えます。よって、この釣りに限っては根掛かりが少ない上記二種類の毛鉤を使って、テンカラの技法にまで頼らざるを得ません。でもナチュラルドリフトではないのでテンカラとも違います。『てんカラ』とでも表現しましょうか?
 今まで前回の釣行から3度チャレンジしました。各一時間くらいですからトータルで3時間くらいやっていると思います。でもこれの毛鉤がいけないのか?魚信すらありません。
 っていうより、やはり誘い方だろうなぁぁぁ。。。

でも、いいんです。釣れなくても広い川で竿を振っていると実に気分が晴れますから。これが一番の釣果だと思っています。

良き友

2016年05月29日 16時59分34秒 | 渓流釣り
久しく渓流釣りから離れ、タナゴ釣りで気を紛らわせている僕。
こんな状態が一年近く続くと気が病んで来ます。
もっと時間が経てばその病も治ると信じて耐えてました。
しかし、なかなかその病は良くなってくれません。
家族に当たり、従業員にも当たり・・・トゲトゲした毎日。
完全に自分に負けている自分に自己嫌悪が募るばかりで、正直、本人が一番疲れてます。
唯一、釣り友と話しているときが心休まるひとときでした。

そんな僕を見ていた古くからお付き合いを頂いている釣り友が『そんなんじゃダメだョ』って叱咤してくれました。やはり昔から僕を見ている人は僕の変化に気が付いてくれます。それは本人が一番良く分っていました。しかし、この状況は自分ではどうにもなりません。ですから自分がどこまで耐えられるか?チャレンジを楽しんでいるつもりでした。
そのくらいしか出来なかったのです。ろくに運動もせず、釣りでさえもエンコ釣りの代表みたいなタイリクバラタナゴ釣りですから体を使いません。でも、食事は以前と同じ量を食べてますからデブになり、筋力も衰えてしまっています。渓流に行くって言ったってその体力があるかどうかさえ不安です。しかし、彼はそれさえも見透かしていて『本流なら大丈夫だよ。』って。確かに、もし行ったとしても短時間の釣りしかできないのですから本流なら大丈夫かもしれません。同行をお願いして行って来ました。

驚いたのは、高速道路に乗る事さえ一年ぶりなので、高速に乗った時点から懐かしさが込み上げて来たことです。
先に釣りの方の結論を言ってしまいますと、彼の技術をもってしても釣れませんでした。でも、大きな空の下で瀬音に耳を傾け、時折優しい山の風が頬を撫で・・・その非日常に自然の偉大さを感じていました。そしてその大自然の中で優雅に竿を振る彼。それを見ているだけで今日の僕には有り余る幸せでした。久し振りに味わう清々しい気分です。その1秒1秒に心が洗われて行くのが実感できます。彼がどうして僕を叱咤したか?その理由がはっきり解りました。そして改めて彼の大きな優しさに気付かされました。

前回と今回の釣行。これを境に再び以前の自分に戻れたのは言うまでもありません。
すさんだ気持ちはとても醜いものです。

良き友・・・人が生きて行く上でとても重要な存在です。

ここに当会会員、そして旧友に心からお礼を述べさせていただきたいと思います。
ありがとう!


命日

2016年03月11日 21時32分54秒 | 渓流釣り
 今日は3月11日。一般の方にとっては東日本大震災の日として記憶に新しいこの日。僕らてんから師にとっては堀江渓愚氏の命日なのです。いずれにしても一年で一番心が痛む日です。テンカラでも埒が上がらない僕ではありましたがとても可愛がっていただき、その恩は今でも忘れていません。というよりその想い出は僕の宝物にもなっています。
 それにしても3年前のこの日の前日、僕が彼の病床で依頼された橋の完成の報告に上がった時、僕の報告にわずかに頷いたのが彼の最後の反応でした。彼の体にはたくさんの管が這っていて見た目に痛々しく思えて仕方ありませんでした。頑張って・・・頑張って・・・頑張って。家族やお孫さんにお会いしたかったのではないかと想像しています。でも、もうこの姿を見るのは辛いです。つい「もう頑張らなくていいですよ」と声を掛けてしまいました。そして彼が頑張るのを辞めたのが翌日の朝早くでした。
 本当にご苦労様でした。いつも楽しそうにしていた彼ではありますが、様々な苦悩もお持ちだったようで何度かそういう話も聞かされました。あれだけの人ですから総てが上手く行くなんてことは誰が考えてもあるはずはありません。それでも彼はみんなのためにテンカラをより進化させることを止めませんでした。今テンカラをなさっている総ての人が彼の恩恵に与っているわけです。僕自身はてんから師ですから釣りにおいては比較的彼の影響は少ないほうです。それでも実釣でフと彼の釣り方のコピーをしていることがあります。そんな時、いつも彼の笑顔がまぶたに浮かびます。そしていつも彼は言うのです「免許皆伝だね」って。
 そんな彼がこの世を去った日がこの日本中の人が記憶して忘れないあの大震災の日なのです。何の因果か?はたまた彼の策略か?
 僕は毎年禁漁期になると彼にその年の釣りの報告をしていました。でも、あれから報告は出来ないでいます。もっとも昨年から始まったワンコの介護で今年はあまり報告するようなことはなかったのですが、巨大な魚に鈎を伸ばされた報告はしたかったので残念でなりません。これからももう直にお会いしての報告は出来なくなってしまいました。これからワンコが一段落したら再び想い出(釣り)を沢山作り、今後の報告は僕が彼の元に旅立った後にまとめて報告しようと思っています。
 堀江さん、それまで待っててね! そして生前はありがとう!

K-Cup '16

2016年01月20日 20時30分40秒 | 渓流釣り
今年も3月27日にTOKYOトラウトカントリー(奥多摩 http://ttcmayfly.web.fc2.com/)にてK-Cupが開催されます。

詳細はhttp://ttcmayfly.web.fc2.com/event/2016Kcup.pdfを参照にしてください。

 ちなみに一昨年まではオフィシャルサイドでしたが、昨年は選手として参加してみました。オフィシャルの時は選手たちが緊張して普段ではあり得ない失敗をしたりする姿が滑稽でとも楽しみでした(ちょっと意地悪ですね)。でもその失敗の一つ一つに人間味が感じられて、僕の目にはそれが妙に美しく写っていました。いいですよね!ドキドキするって。釣りからドキドキを取ったら面白さは半減してしまうようにさえ思えます。ところが、釣りも続けているとドキドキする事が少なくなります。そこで昨年は選手として参加させていただきました。しかし、結果は箸にも棒にも引っ掛からずに惨敗。やはりここTOKYOトラウトカントリーの常連さんは半端無い実力の持ち主ばかりです。悲しい結果ではありましたが、年甲斐もなくスタートが近付くとドキドキしはじめ、自分の中で『これこれ、この緊張感が堪らない』と悦に入っていました。そして緊張感とともに時を過ごし、終えてみると情けない釣果にがっくり。でもとても楽しい大会であることに間違いはありません。オフィシャルも選手もみんなで楽しめる大会です。しかもこの大会は一番の大物(体長)を釣った人が優勝ですので、たとえ初心者であっても一匹でも釣ればそれが最大の魚になる可能性だってあるのです。要は運があるかどうか?も結果に大きく影響して来ます。加えて、飛び賞などもあってほとんどの選手に賞が行き渡るように図られています。自分たちで作った大会ですが、選手として参加しても本当に楽しい大会であることを体験しました。
 こんな楽しい大会ですからテンカラやフライ・フィッシングをやる人は是非参加してみてください。オフィシャルをはじめ、参加される選手までがとてもフレンドリーな方たちですので一人で参加されても楽しいと思います。それどころか選手数15人程度の小規模大会ですから釣りを通して友達を作るチャンスでもあります。時間がございましたら是非参加してみてください。間違いなく楽しいですから。こんな大会ですので参加希望の方は早目に申し込まないと定員に達してしまう可能性もありますので要注意です。
 

下の毛鉤で

2015年10月04日 20時28分21秒 | 渓流釣り
下の毛鉤で釣れたのがこいつ。
40㎝ほどの鮒です。
昨日は1時間半ほどの練習で鯉×4、鮒×3でした。
使用したロッドはSHIMANOの『スーパーゲームサーモンスペシャルNK』。サケを釣る竿ですので少々のことではへこたれません。こういう竿を使っていると抜群の安心感です。よく、重いでしょ?と聞かれるのですが、それほどでもありません。僕は平均より力がない方ですが、この竿だと一日中振っていられます。勿論ダブルハンドです。ハリスも3号ですから余裕です。ちなみにこの鮒は抜きの練習もさせていただきました。タモに納まった時の重量感は半端ないです。

 で、問題なのは鮒の魚信。自分でも分かっているのか?どうかが分からないというのが本音です。
流し終えてないピックアップで掛かることが多いです。
ではどうして魚信がないのに途中でピックアップをしたのか?が本人にも分かりません。まだピックアップのタイミングではないのに何故上げたのか?が分からないのです。自分では気が付かない変化を体が察知して勝手に手が動いているとでもいいましょうか。
(故)堀江渓愚氏は生前に『テンカラに偶然はない』と断言していました。確かに魚は毛鉤を咥えて餌ではないと判断するとすぐに吐き出してしまいます。その僅かな間隙を縫ってアワせるのですから、確かに偶然の確立はかなり低い感じがします。でも、それもすばしこい渓魚でのこと。鯉や鮒は渓魚に比べて俊敏性に欠けるので、咥えてから吐き出すまでの時間は長いのかもしれません。
 毛鉤を沈めるてんからは訳が解りません。魚が毛鉤を咥えているのに判らない自分が情けないです。もっともっと経験を積まなければ。。。 

渓流シーズンを終えて

2015年10月03日 20時24分36秒 | 渓流釣り
10月。ほとんどの渓流が今シーズンの幕を降ろしました。禁漁期です。
 そもそも禁漁期は魚の産卵時期に合わせ、その時期は我々釣り師は釣りを自粛し、彼らが安心して後世を残せるようにしてあげるのがその目的です。釣りが出来なくなるのは寂しい事ですが、先人が考え出した素晴らしい事だと思います。ところが最近は魚のこうした営みのことなんかどこ吹く風で“どうせ放流すりゃいいんでしょ”みたいな考えの下、繁殖期まで釣り師を呼び込んで遊漁料を稼ごうとする漁協が増えて来ています。そういうえげつない漁協はまだ少ないので幸いなのですが、少ないがため、心残りのある釣り師は尚更そういう漁協に釣られてしまいます。そのような川はほとんどがニジマスなどの外来鱒で、産卵期が違うというのが漁協の言い分みたいですが、そもそもそういう外来種を放流すること自体が自然破壊&生態系破壊になっていることがわからないのでしょうか?資本主義の欠点が大きく見えてしまいます。

 画像は昨日巻いた毛鉤です。シーズンが去った今、毛鉤なんか巻いて『えげつない漁協の援助でもするの?』って言われそうですが。・・・いえいえ、これは渓魚を釣るのではなく、渓魚以外の魚を釣ろうと考えて作っています。
 今年は6月を最後に渓流に行けなくなったことは今までの書き込みでお解かりいただけていると思いますが、行けなくなればなるほど想いは募るばかりになるのが釣り師の性というものです。“いつか行けるタイミングがあるかもしれない”と思っても、毛鉤を巻くだけの勇気はありませんでした。しかし、禁漁期になれば渓流には行けないのですから諦めもつくってものです。で、巻いたのがこれです。

 僕が好むてんからはテンカラと違って誘いまくる釣りです。誘うってことは水面直下が釣りの舞台になります。例え沈めていても誘えば毛鉤は浮いて来ちゃいますから。ところが最近の僕は渓魚だけがそのターゲットではなくなりました。渓魚は山岳渓流に棲んでいるので早い流れの中でも餌が取れるように泳ぐのが速いです。しかし、下流帯や湖沼では流れがないので泳ぐのがトロい魚たちです。そんな魚たちを相手にするにはやはり毛鉤を沈める必要があります。ところが普通の毛鉤をその重さで沈めると、糸ふけが多く出て魚が毛鉤を咥えても魚信が出ません。加えて、沈めると根掛かりが多くて毛鉤のロストが多くて腹立たしいです。いままでのてんからは毛鉤が見えている事がほとんどでしたので、(毛鉤を沈めて)毛鉤が見えないエリアで釣るのは僕にとっては至難の技なのです。これが克服できればこれからの渓流てんからにも生きること間違いなし。そんなことを思いながら試行錯誤を繰り返しています。

 この毛鉤はわざとバランスを崩して常に鈎先を上に向けて根掛かりが少なくなるようにした毛鉤です。このテの毛鉤は昨年から多用するようになりました。こういう毛鉤を使うと根掛かりは相当少なくなるので助かります。勿論、ただ流しではなくたとえ毛鉤が見えなくても誘いは掛け続けています。ハリスは張っているはずなのですが魚信は感じられなくて。でも、沈めた毛鉤は比較的長時間咥えてくれるので“ここ”と思える場所に毛鉤が行ったと思ったら、魚信がなくてもあわせてみると結構釣れてくれます。でも、これでは面白くありません。やはり魚信を取ってあわせて初めて“釣った感”が生まれるのです。この毛鉤はその練習のための毛鉤なのです。
 渓流シーズンを終えてやっとやる気になってきています。

久し振りに

2015年09月14日 12時38分27秒 | 渓流釣り
久し振りに鯉釣りに行ってみました。
タナゴにはない、グングンした引きがまた楽しい釣りです。
餌で釣っても当たり前すぎるのでテンカラで釣ります(餌付けが面倒・・・不精ですね!)。
僕が釣っている所の鯉は頭が悪いのか、真剣に釣ったらきりなく釣れる感じがします(そんなことはないでしょうが)。
浮いてる毛鉤にプカーーーッと出てパクって食いついたり、沈めた毛鉤にスーーーーッと近付いてパクッとやったり、思いっきり沈めて流すと糸がパッと止まったり。魚信は千差万別ですが、いずれにしてもタナゴのような繊細な魚信取りは必要ありません。
渓流釣りのカテゴリーに入れたのは相手が鯉であってもテンカラで釣ったからです。

こんな釣りもまた楽しいです。

釣りって、何を釣ってもどんな風に釣ってもそれぞれに面白い・・・これってヤバイですね!
道具ばかりが増えて死ぬまでに使い切れない模様(笑。

釣れた

2015年06月20日 20時17分02秒 | 渓流釣り
 自分でもあきれてしまうのですが、今シーズンに入ってから渓流で魚を釣っていません。ニジマス?あれは魚というよりは漁協が釣り人を集める為に撒いたコマセだと思っています。
 サケ釣りで功を奏したBIGてんからを何とか自分の物にしようと躍起になっているのが釣れない原因なのですが、竿が長いだけでその他は普通のてんからと何も変わることはありません。せいぜい毛鉤が見えないくらいのことです。ところがこの毛鉤が見えない事がてんからを一変させます。BIGてんからはその名の通り、普通のてんからの道具を大きくしただけの物です。よってその分大物にも対応できるはずです。でも、毛鉤が見えない→→→思ってもいない場所で魚が出る→→→アワセが遅れる→→→釣れないっていう方程式が出来てしまいます。ということは毛鉤を沈めて対処すればいいのか?そうすると餌釣りとほぼ変わらなくなってしまいますので、だったら僕は餌釣りをします。やはりてんからは魚を毛鉤に引きずり出してこそ面白いと思うのでBIGてんからの名に恥じないような釣り方を構築していかなければなりません。まだまだ生まれ出たばかりの釣り方ですが、魅力的な釣り方になることを夢見て大切に作り上げて生きたいと思っています。
 こんなことをやっているからヤマメなんて釣れるわけがないのです。・・・が!釣れました。なんとタナゴ釣りに行って場所探しをしていたら外道で釣れてしまいました。完全なる外道です。タナゴの仕掛けですから餌は黄身練り。なんと不運な萌えヤマメちゃんなんでしょう。この不運な僕に釣られるとは僕よりももっと不運な魚です。そう思うと可哀想に見えてきてすぐにリリースしました。『ずっと上流に泳いで行きなさい。で、大きくなってまた掛かってね!こんどは黄身練りではなくミミズ流すから』って話しかけながら。
 これが僕の今シーズン初のヤマメです。アマゴは先日釣りましたが、ヤマメは初モノです。渓流釣りのシーズンはすでに折り返し地点を過ぎています。要はシーズンの半分過ぎるまでヤマメが釣れていなかったわけです。重ねて自分に呆れました。

一枚の写真から

2015年06月08日 08時55分29秒 | 渓流釣り
 釣りは自然を理解するのにはもってこいのアイテムだと思います。沢山の魚が釣りたいと思ったり大物を釣りたいと考えた場合、どうしても自然を知ってそれを理解する必要があるからです。やたら滅多ら竿を出しても偶然に希望する釣りになることもあるでしょうが、その確立は限りなく0だと思います。加えて釣りは確立ですから数学的・物理的な知識も必要になります。
 
 『自然』の反対語は『人工』です。要は人の手が入っていない物が『自然』です。で、上の写真を見てください。先週の木曜日に僕が釣った今年の初アマゴの写真です。この中に自然がどれだけ写っているでしょう?多分青空だけだと思います。○○公園から竿を出して釣った8寸のアマゴです。ひどいアマゴでしょ?朱点もオレンジ色だし、側線の下にも平気であるし・・・何よりもパーマークがブタの足跡、もしくは染色体みたいでしょ。ひどい放流物です。釣れてもがっかりするだけの魚です。公園ですから芝生も立ち木も人が植えたものです。写真には写っていませんが、休憩所なんかもあって休むにはいい場所です。でも自然ってこんな薄っぺらなものではないのです。
 アマゴが棲むような人が少ない場所にどうしてこんな公園を作ったのでしょう?自然は自然のままに保存できなかったのでしょうか?人は安易に自然を壊し過ぎだと思います。我々は何万年・何億年という年月を経て作り上げられて来た自然を安易に壊しています。ISが世界遺産を破壊しているとNEWSされていますが、我々が安易に壊している自然はそれ以上の歴史を持っていますし、絶対に人が作ることが出来ない物です。世界遺産はユネスコが歴史的価値のある遺跡や建築物等を守ろうと打ち出して決めただけの物です。要は一部の人がその価値を査定して決めているだけのことです。でも、よく考えてみれば総ての自然は自然の造詣であり、それを素晴らしいと感じられる心が欠落しているように感じることがあります。勿論ISがしていることはとんでもないことだと思いますが、我々がやっていることもそれ相応かそれ以上の悪事と思えてならないのです。
 自然は時々我々に牙を向けます。そしてそれを阻止するために様々な対応策を取ります。すると今度はそれがいつの日か仇となって返って来るのです。自然の前に人間はあまりにも無力です。『自然保護』なんて上目線の言葉以外の何物でもありません。保護されているのは人間の方なのです。当方が住んでいる地域でも『荒川太郎右衛門地区自然再生事業』なんていうのをやっているようですが、このお題だけでも可笑しくて笑っちゃいますよね!人が手を加えたら自然じゃなくなっちゃうのに人が自然を再生させるって?この事業をやっている関東地方整備局荒川上流河川事務所河川環境課の牛窪徹って人は自然というものをまったく知らない人か?ただの馬鹿か?のどちらか(もしかしたら両方?)であることを暴露してしまっているのはいい例だと思います。
 一旦壊した自然は元には戻せません。でも、我々人間が手を加えずに何万年、何億年が経てばまた限りなく自然に近づくことは確かです。ですから、まずは(自然は)壊さないこと。そしてすでに壊してしまった場所はただ手を付けずに何万年か何億年かを待つこと以外に方法はありません。
 こんなことを上の一枚の写真から感じてしまいました。

2015年06月01日 06時46分18秒 | 渓流釣り
ここのところ渓流釣りで超低迷している管理人です。
当会の会員たちが大物をバシバシ上げていて煽られてばかり。
焦りはないのですが、これだけ釣れないと悲しみが生まれて来ます。
でも、こうして運を貯めているのですからいつかこの溜まった運を使う時が来ると信じていました。

28日に久し振りに渓流に向かいました。
その日は朝から何故だか調子がいい感じがしていました。
釣り場に向かうコンビニで、ちょっと大人買いしたらくじ引きのキャンペーンがあって、店員さんから「7枚引いてください」と言われて引いたら7枚中6枚が当たりクジ。超高確立です。このリズムで釣りに突入すれば今までの低迷も清算できるはずです。

 釣り場について川辺に着いたまさにその一瞬、濁り水の中を視野の片隅に何やら大きな・・・それも信じられないくらい大きな魚らしき影がスーーっと泳ぎ消えたような気がしました。しかしその巨大さからして、僕の釣りたい一心から見えてしまった幻覚だろうと高を括っていました。
でも、もしこれが事実であっても今日のタックルはサケ釣りで使用しているそのもの。少々のことでは大丈夫です。
 で、釣り始めはその影が見えたトロ場からスタートしました。すぐにコクチバスが釣れて。。。頑丈なタックルですから30㎝くらいのオチビちゃんは即抜き。場所はほとんど荒らしませんでした。そして同じ場所で今度は60㎝ほどのナマズ。こちらにはちょっと梃子摺ってしまいその場所を荒らしてしまいました。とは言うものの、そんな大物が居るはずもなく、淡々と仕事を進めればいいだけのことでした。トロ場は荒らしてしまったので、その上の瀬を狙いました。底にテトラが入っているらしく根掛かりが頻発。あまりにも根掛かりがひどいので、これで最後とばかりに根掛かり覚悟で流した仕掛けは流れていたのがピタッと止まりました。根掛かりしかも流れ下りながらの根掛かりですから上流側に竿を寝かしてピンピンと様子を見てみました。そしたらいきなり仕掛けが走り出して・・・。
 物凄いパワーです。スピードも半端ないです。奴は流芯の強い流れに入ろうと必死です。僕はそれを阻止しようとこれまた必死です。奴のトルクフルな引きに対して、タックルの頑丈さを信じて少々強引なやり取りとなりました。こんなやり取りをなんと20分以上もやっていました。やっと大人しくなってきた奴は横腹を見せるようになり、そのいぶし銀の巨大な魚体から鯉などではないことが判りました。メーターオーバーとまでは言いませんがそれに近い魚体です。徐々に横腹を見せる時間が長くなり、とうとうギブアップしてくれた感じでした。
 皆様はご存知と思いますが、大物を取り込む時は竿がしなっているので魚は足元に来ません。ですから釣り師の方が一旦岸から離れて魚を岸に寄せます。するとほとんどの場合、底に魚体が触れた瞬間にまた魚は暴れます。そしてそれが一段落して大人しくなったらこちらが魚に近づいて取り込みます。小物のように糸をつかんで魚を引っ張って取り込むのは到底無理だからです。で、今回もその定石に従って魚を岸に寄せました。しかし魚はほとんど暴れませんでした。少しおかしいとは思ったものの、この時点ですでに20分はやり取りしていますからきっと奴ももう疲れきったのだろうと思い、タモを片手に奴に近づきました。どう少なく見積もっても80㎝はある魚体です。このとき、小走りに近づいたものですから、その僕の姿にビックリしたらしく、また暴れて泳いで沖に行ってしまいました。そしてこれが最後でした。勿論、最後のノシに対してグッと堪えたのですがいきなり仕掛けのテンションが抜けました。
 なんと、鈎が曲がっていました(画像)。サケやサクラマスと対峙するためにこしらえた毛鉤です。鈎も「Salmon」と銘がはいった物ですからそれ相当な強度はあるはずです。それがこんなに・・・右は比較のための元の鈎です。

それにしても魚種が不明です。上記のようにチョイ見ではなくしっかり見ていますので尚更不明です。・・・脂ヒレはありました。魚体はいぶし銀一色でパーマークなどの痕跡はありませんでした。奴の正体はサクラマス?・・・それにしてはデカ過ぎ。サケ?・・・いやいや時期が違う。脂ヒレがあるってことはその他ではイワナかニジマスくらい。イワナは論外でしょうから、ニジマスが海に下ってスチールヘッド化した奴?・・・そういうことも考えられないこともないですが、スチールヘッドってやはり顔がニジマスっぽくて体側にはニジマスの名残があるような・・・まさか間違えることはないでしょう。となると魚種さえ不明な巨大魚です。こんな魚が居るとは想像もしていなかったし、川岸に立った時に一瞬視野に入っても“まさか”と思えるほど常識を超えるサイズのマス系orサケ系の魚だったってことだけは確かなことです。
僕自身、こんな話を聞いたら眉唾に思うでしょう。ですからそう思われる方も多いかと思います。でも実際に体験してしまったわけですから。

チョーがっかりです。一生に一度あれば御の字のチャンスを逸してしまったのですから。加えて、サケでも釣れる鈎が曲がるほどの強力なテンションで引っ張りっこしたものですからサーモンロッドの1・2・3番間がの二ヶ所が固着してしまって。。。無理に入れようとしたら2番が『ポキッ!』って。こうなりゃどうでもいいから穂先(1番)だけでもと頑張ったらこちらも『ポキッ!』。・・・最低です。

朝のコンビニでの当たりクジを7枚中6枚ではなく4~5枚にしとけば画像は壊れた毛鉤ではなく魚だったのに。

毛鉤のマテリアルについて

2015年05月10日 19時29分41秒 | 渓流釣り
 渓流釣りが解禁になってすでに2ヶ月余り。そろそろ僕の渓流釣りがスタートします。昨年は肩を壊してしまったので、途中から急遽餌釣りになってしまいました。で、禁漁期に肩は復活しましたので再び今年は毛鉤釣りに戻ろうと考えてます。

 毛鉤・・・その昔、職漁師といわれるイワナ・ヤマメを釣ることを職業としていた人たち(『職漁師』と呼ばれています。)が使っていた餌に匹敵するものです。いわゆる“”てんから”という釣り方です(現在「テンカラ(カタカナ表記)」と言われるものとはかなり違っています)。なぜ職漁師たちが餌釣りをあまりしなかったのかというと、餌を取っていたら時間が掛かりますし、当時は餌は自分で採ったので売られていなかったことから、餌を買うなんてことは考えてもいなかったでしょうし、もし売っていても買っていたのでは経費が掛かってしまいます。しかも毛鉤に比べて保存期間が短いです。よって、ほとんどの職漁師はこのような『毛鉤』というものを使っていました。
 漁師、つまりプロが使っていたものですからバカスカ釣れる物であることに間違いはありませんが、やはり釣技が至らなければそれなりにしか釣れません。でも、僕のようなヘタッピがやってもいくらかは釣れます。僕の場合は餌釣りより釣れないので餌釣りをすればいいのですが、釣れる数が少ないことも相まって釣れた時の幸福感が毛鉤の方が絶対的に大きいのです。何せ味も匂いもない餌(?)を使い、魚を騙して釣るのですから相手(魚)を騙せなければまったく釣れない訳です。ということは、逆に言えば釣れた時は相手を騙し切ったわけですので幸福感が大きいのかもしれません。実際、釣っていると偽物と気が付いてUターンしていく魚も沢山見られる(圧倒的にこちらの方が多い)ことから、もし釣れたらその魚がしくじったってことです。ですから釣り師はその分罪悪感が少ないのかもしれません。
 で、毛鉤釣りをするには毛鉤を作らなければなりません。鈎と鳥の羽をはじめ、その他毛鉤に使う装飾品を手に入れる必要があります。職漁師たちは鈎は釣具屋で買って(もっと古い時代は縫い針で作っていたらしい)、鳥の羽は普段の生活で食べた鳥の羽を保存しておいて使っていました。その他の装飾品は日常で使う物の廃品を使うことが多かったようです。今の時代のように何でも買える時代ではなかったし、何よりも経費を出来るだけ抑える必要があったのだと思います。僕の場合は毛鉤の骨格とも言える鈎と鳥の羽は釣具屋さんで買うのですが、それ以外のものはほとんど釣具屋さんでは買いません。出来るだけてんからの色を出したいと思うからです。鈎と羽根以外のものとしては巻くための糸であったり胴(ボディー)を作る毛糸であったり。っていうことは手芸屋さんに行く必要があります。またある程度は百円均一でも手に入ります。こういうお店に行くとあらゆる物が毛鉤の材料に見えてきてしまいます(笑)。
 で、よく手芸屋さんに行くのですが、男性客がほとんどいないので店員さんの見る目が違っているのが判ります。様々な色や太さの糸や毛糸、それに釣りに使う糸(道糸)も手芸屋さんで売っていることもあります。またその他にも使えそうな物を色々買ってきます。勿論手芸に使うわけではありませんから、手芸屋さんからみれば常識外の品揃えです。ですから店員さんからすれば「この人、何考えてるんだろう?」って思いながらレジ打ちしているのが分ります。また百円均一でも色々と買えます。毛糸や糸も売っているのですが、その他にも付けマツゲ(毛鉤の蓑毛に使えます)やヘアバンド(仕掛けを竿に付けておく時に仕掛けに傷が付かないでいい)。加えてマニュキュア(色付き接着剤として毛鉤を巻き終えたときの糸止め用)、そして今回は画像でも使っているネイル用の1mm幅のテープ(胴に巻いてある白いもの)・・・等々。こんなのを買い物カゴに入れてレジに並ぶと、いくら羞恥心が少ない僕でも流石にちょっと恥ずかしいです。そしてレジに買い物カゴを乗せた時の店員さんの顔。『きっと(この人は)家に帰って女装してるに違いない。・・・変態だ。』と思われているに違いありません。このテの材料を購入するときは女性に頼むのが一番いいのですが、てんからを知る(もしくは「する」)女性はいないので少々の恥は我慢して買うしかないのが現状です。
 ちなみに僕に女装趣味はないのですが、ここまでして材料を買い求める僕は別の意味でやはり変態なのでしょうか?

 画像は昨日巻いた今年テストしようと思っている毛鉤の一つです。

いよいよ渓流

2015年03月17日 23時10分37秒 | 渓流釣り
桂川の解禁に行って来ました。
今年は日曜日なので超混雑が予想されたし、胃炎による栄養不足およびぎっくり腰の僕ですので、現地へは机と椅子を持ち込み、コーヒーでも飲みながら一ヶ所でのんびり釣ることを決めていました。
 いつも混雑しないこの場所も、流石に日曜日なのでパラパラと人がいます。午後にはあちこちで午前中に釣っていた僕らの会の会員が集まりますので総勢15人になる予定です。
 ここ数年、このポイントは魚が薄くていい釣りが出来ていません。でも、いい場所は込み合いますので、お祭りの色が濃い解禁ではかえってこういう釣れない場所の方がいいのかもしれません。
 昼を過ぎた頃、『○○○さ~~~ん!』と遠くから僕を呼ぶ声。声がする方を見たらOさんじゃないですか!ほぼ一年ぶりの再会です。
 彼はここでもいい思いをしたことがあるので来たようです。そしてなんと今日は餌釣りがしたいと。リールを使う釣りに卓越した技術を持つ彼は知っていますが、延べ竿で彼が釣っているのを見たことがありません。早速僕の竿でチャレンジです。僕の竿は重いし硬いしで最初は戸惑っていた彼ですが、そこは百戦錬磨の猛者です。すぐに要領をつかんで・・・ちょこっと来て、サクサクと釣ってしまいました。56㎝のヒレピン虹鱒です。
 もう、流石と言う言葉以外は見つかりませんでした。本人も『述べ竿での自己記録です。』って。今年は良い幸先を切ることが出来て満足気な彼でした。

 今年の渓流釣り・・・どんな釣りが僕を待っているのでしょう?夢は膨らむばかりです。

想い出の中で

2015年03月11日 14時33分01秒 | 渓流釣り
昨晩は3時に目覚ましを掛け、30分まで起きていて定刻に合掌していました。
堀江渓愚氏の命日でした。
世間では東日本大震災のことで持ちっきりですが、その陰でひっそりと命を全うした彼。実に彼らしい最後のように思えてなりません。
東日本大震災で亡くなられた方々への冥福の気持ちも充分にあると思います。でも、やはりそれは遠くで起こった悲しい事件です。これに対して堀江氏の方はとても身近に起こった事であり、その衝撃の大きさは僕にとっては東日本大震災以上のことだったのです。

彼には沢山可愛がって頂き、沢山の喜びと夢を頂きました。
最後の日の前日、彼のたっての希望だった橋の完成の日でした。朝に病院に行って橋の名前のネームプレートを見てもらいました。やっと開いた目で確認するとニコッとしてくれましたがすぐに目を閉じて手を出して来ました。僕がそのネームプレートを握らせると左手で撫でて。そして、今日完成することを伝えて一旦席を外し、橋を完成させて彼に報告に上がりました。もう目は開けずに瞑ったままでしたが、報告すると一瞬表情が緩みました。確実に彼は橋が完成してことを理解したようです。そしてこれが彼とのコンタクトの最後でした。

翌朝早く受けた訃報。いつかはこの日が来ることは理解していましたが、あまりにも悲しく、そして寂しく。。。。。

いろいろとお世話になりました。
堀江さんに出会えた事で沢山の喜びと沢山の夢をみることが出来ました。
本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。