大好きな釣り・・・てんから。
てんからはかなり古くから行われてきた伝統釣法です。
その昔、職漁師たちはこの釣り方だけで家族を養っていたと。
だったら相当釣れる釣り方に違いないと思った僕はこの釣りに興味を持ちました。
しかし、当時の僕の回りにこの釣りをする人がおらず、何冊かの本を頼りにほぼ自己流で始めました。お粗末な毛鉤を巻いて、ヘラ竿を改造したこれまた雰囲気だけの竿にナイロンの釣り糸を撚り合わせて作った即席の糸を付け、その先にその毛鉤を付けて釣ってみました。フライ・フィッシングの経験があったのでキャストはそれほど難しいとは思いませんでした。フライ・フィッシングでは何十メートルも飛ばすのに対して、てんからは数メートルも飛べば釣りにはなるからです。
僕の場合は運良く初回から釣れてくれました。餌釣りの経験から魚の付き場が解っていたことによるものだと思います。
基本的に餌釣りとの違いは毛鉤には匂いも味もないことです。よって、臭覚や味覚に頼ることはできません。視覚だけが頼りの釣りです。視覚だけが頼りの釣りですから、毛鉤を本物らしく忠実に作った方がいいように思えますが、案外そうでもありません。今僕が好んで使っている毛鉤などは、これが川を流れてきても見た目はただのゴミです。魚が食いつくはずがありません。しかし、そこに誘い(虫のように動かして魚の興味とそそり、はたまた食欲さえもわかす事)を掛けると、そのゴミは一瞬にして美味しそうな虫に似るのです。
渓魚にとって、自然界で川を流れ下ってくる餌はほとんどの場合川虫であることが多いのですが、その流れ方には大きく2通りがあります。一つは死んでしまったり動きが悪くなったカゲロウたちが水面を流れて来る場合と、生き生きした川虫が泳いで流れて来る場合があるわけです。前者はほとんど動かないのですから川の水が流れるとおりに流れてきますので、それを喰っている渓魚に口を使わせるためには毛鉤をそれと同じように自然に流すこととその虫に似せて作った物であることが大切です。一方後者を好んで食べている渓魚にはその虫の動きに似るように毛鉤を動かす必要があります。
てんからにあっては毛鉤を自然に流すことには限界があります。フライ・フィッシングなどは自然に流す事を得意とする釣り方ですが、てんからの場合は糸が細いのでメンディングなどの操作がほとんどできないからです。ですからそういう魚が見えたとしても口を使わないことが多く、毛鉤の近くまで来て口を使わずしてUターンしてしまう事が多いです。こういう光景を見た釣り人は、この次は喰わせてやろうと熱くなって熱中してしまう人も多いようです。しかし、所詮てんからの毛鉤は頑丈さを旨としていますので、フライ・フィッシングで使われるそれとは精巧度において格段に低いのです。
そこでそちらが無理であれば後者の誘う方法をとらざるを得なくなります。つまり流しているだけでは釣れないわけではありませんが、限界があるということです。てんからではフライ・フィッシングより長い竿を使います。しかも糸がフライ・フィッシングより細いので重量がありませんから水面に付けずに毛鉤を流す事が可能です。っていうより、そういう風に釣られてきた釣り方なのです。道糸をすっかり水面に落として釣るのはてんからではなく、てんからの道具を使ったフライ・フィッシングと言っていいでしょう。てんからでは毛鉤を投げ込んだ直後に竿を立ててなるべく糸を水に付けないようにして毛鉤がまるで生き物のように動かすことによって魚の食欲をそそり、口を使わせるのです。しかしながら、この誘いという毛鉤操作は簡単なようで難しいのです。特に僕の毛鉤のようにどこからどう見てもゴミとしかいいようながないような毛鉤を使う場合は、毛鉤を魚にじっくりと見せてはならないのです。要はチラ見せが大事なのです。渓魚がこの毛鉤を見たら食欲が減ることはあっても増すことはないでしょう(笑。しかしこんな毛鉤でも上手い誘いを掛けられたら魚にとってこの上ないご馳走に見せることも可能なはずです。ところがこの誘いというものが曲者です。僕をはじめとして川虫の水中での動きなど見たことがある人は少ないでしょうから、その誘いはその人がいろいろとやって習得して行くしかありません。要は経験が大切なのです。一朝一夕にして出切るものではないのです。
ほぼ一年ぶりに毛鉤を巻きました(画像)。これだけ巻くのに三日間も掛かりました。それでへではありません。渓魚狙いのてんからはもう2年以上もやっていないのです。毛鉤を巻いていてもミスばかりでなかなか思うようになりません。巻いていながらそんな自分に腹が立って来ました。バイス(毛鉤を巻く道具)の前に、自分に負けた自分が座っていました。巻き終わっても美しさが微塵もありません。ある程度は想像していましたが、こんなひどい状態になるのは想定外です。でも、これで過去のてんからに完全にお別れができるように思えています。いままで培ってきたてんからを捨て、初心に戻ってまた新たなてんからを構築して行くことになります。
そんなことで今年の僕はてんから1年生であることを自覚し、岐阜に住む逆さ毛鉤の名手に手ほどきを受けるべく予約を入れました。
これから数年で僕のてんからがどう展開して行くのかは自分でもまったく分りません。しかしながら、それがまた楽しみでもあります。
希望的には、できるだけ粗末で尚且つ汚い毛鉤を使って、できるだけ綺麗で大きな渓魚が釣れるようなてんからを目指したいと思っております。
てんからはかなり古くから行われてきた伝統釣法です。
その昔、職漁師たちはこの釣り方だけで家族を養っていたと。
だったら相当釣れる釣り方に違いないと思った僕はこの釣りに興味を持ちました。
しかし、当時の僕の回りにこの釣りをする人がおらず、何冊かの本を頼りにほぼ自己流で始めました。お粗末な毛鉤を巻いて、ヘラ竿を改造したこれまた雰囲気だけの竿にナイロンの釣り糸を撚り合わせて作った即席の糸を付け、その先にその毛鉤を付けて釣ってみました。フライ・フィッシングの経験があったのでキャストはそれほど難しいとは思いませんでした。フライ・フィッシングでは何十メートルも飛ばすのに対して、てんからは数メートルも飛べば釣りにはなるからです。
僕の場合は運良く初回から釣れてくれました。餌釣りの経験から魚の付き場が解っていたことによるものだと思います。
基本的に餌釣りとの違いは毛鉤には匂いも味もないことです。よって、臭覚や味覚に頼ることはできません。視覚だけが頼りの釣りです。視覚だけが頼りの釣りですから、毛鉤を本物らしく忠実に作った方がいいように思えますが、案外そうでもありません。今僕が好んで使っている毛鉤などは、これが川を流れてきても見た目はただのゴミです。魚が食いつくはずがありません。しかし、そこに誘い(虫のように動かして魚の興味とそそり、はたまた食欲さえもわかす事)を掛けると、そのゴミは一瞬にして美味しそうな虫に似るのです。
渓魚にとって、自然界で川を流れ下ってくる餌はほとんどの場合川虫であることが多いのですが、その流れ方には大きく2通りがあります。一つは死んでしまったり動きが悪くなったカゲロウたちが水面を流れて来る場合と、生き生きした川虫が泳いで流れて来る場合があるわけです。前者はほとんど動かないのですから川の水が流れるとおりに流れてきますので、それを喰っている渓魚に口を使わせるためには毛鉤をそれと同じように自然に流すこととその虫に似せて作った物であることが大切です。一方後者を好んで食べている渓魚にはその虫の動きに似るように毛鉤を動かす必要があります。
てんからにあっては毛鉤を自然に流すことには限界があります。フライ・フィッシングなどは自然に流す事を得意とする釣り方ですが、てんからの場合は糸が細いのでメンディングなどの操作がほとんどできないからです。ですからそういう魚が見えたとしても口を使わないことが多く、毛鉤の近くまで来て口を使わずしてUターンしてしまう事が多いです。こういう光景を見た釣り人は、この次は喰わせてやろうと熱くなって熱中してしまう人も多いようです。しかし、所詮てんからの毛鉤は頑丈さを旨としていますので、フライ・フィッシングで使われるそれとは精巧度において格段に低いのです。
そこでそちらが無理であれば後者の誘う方法をとらざるを得なくなります。つまり流しているだけでは釣れないわけではありませんが、限界があるということです。てんからではフライ・フィッシングより長い竿を使います。しかも糸がフライ・フィッシングより細いので重量がありませんから水面に付けずに毛鉤を流す事が可能です。っていうより、そういう風に釣られてきた釣り方なのです。道糸をすっかり水面に落として釣るのはてんからではなく、てんからの道具を使ったフライ・フィッシングと言っていいでしょう。てんからでは毛鉤を投げ込んだ直後に竿を立ててなるべく糸を水に付けないようにして毛鉤がまるで生き物のように動かすことによって魚の食欲をそそり、口を使わせるのです。しかしながら、この誘いという毛鉤操作は簡単なようで難しいのです。特に僕の毛鉤のようにどこからどう見てもゴミとしかいいようながないような毛鉤を使う場合は、毛鉤を魚にじっくりと見せてはならないのです。要はチラ見せが大事なのです。渓魚がこの毛鉤を見たら食欲が減ることはあっても増すことはないでしょう(笑。しかしこんな毛鉤でも上手い誘いを掛けられたら魚にとってこの上ないご馳走に見せることも可能なはずです。ところがこの誘いというものが曲者です。僕をはじめとして川虫の水中での動きなど見たことがある人は少ないでしょうから、その誘いはその人がいろいろとやって習得して行くしかありません。要は経験が大切なのです。一朝一夕にして出切るものではないのです。
ほぼ一年ぶりに毛鉤を巻きました(画像)。これだけ巻くのに三日間も掛かりました。それでへではありません。渓魚狙いのてんからはもう2年以上もやっていないのです。毛鉤を巻いていてもミスばかりでなかなか思うようになりません。巻いていながらそんな自分に腹が立って来ました。バイス(毛鉤を巻く道具)の前に、自分に負けた自分が座っていました。巻き終わっても美しさが微塵もありません。ある程度は想像していましたが、こんなひどい状態になるのは想定外です。でも、これで過去のてんからに完全にお別れができるように思えています。いままで培ってきたてんからを捨て、初心に戻ってまた新たなてんからを構築して行くことになります。
そんなことで今年の僕はてんから1年生であることを自覚し、岐阜に住む逆さ毛鉤の名手に手ほどきを受けるべく予約を入れました。
これから数年で僕のてんからがどう展開して行くのかは自分でもまったく分りません。しかしながら、それがまた楽しみでもあります。
希望的には、できるだけ粗末で尚且つ汚い毛鉤を使って、できるだけ綺麗で大きな渓魚が釣れるようなてんからを目指したいと思っております。