テンニンギクは 「学名:Gaillardia pulchella
インディアンブランケット (Indian blanket)、サンダンス (Sundance) とも。」(wiki 「テンニンギク」)
もうひとつの別名が 「特攻花」。
「第二次世界大戦中に鹿児島県知覧町から沖縄へ出撃する陸軍特攻隊の中継基地が喜界島にあり、ここから二度と戻らない決死の飛行に飛び立っていった。夜明け前に出撃する特攻隊員に、島の女性がテンニンギクの花束を渡したため、特攻花と呼ばれている。受け取った隊員は「花も一緒に散るのはしのびない」と、花束を滑走路に残した。その種が発芽し、現在も周囲には多くのテンニンギクが咲いている・・・という物語が戦後生まれた。」(同上)
「しかしその事実を示すものは無く(中略) 武田鉄矢氏の創作から派生した都市伝説とも、戦後の外来種の花とも言われ、史実に繋げるには難があると考えられ、むしろ戦後に作られた戦争ファンタジーの部類と考えて差し支えない。」(同上)
テンニンギク(特攻花)は花弁のように見える周囲の舌状花も派手ですが、中心部の筒状花(とうじょうか)もマクロレンズで覗くとびっくりな格好をしています。筒状花は周辺部から開花していきますから、濃い赤紫のY字型の器官はめしべです。中央の頭部にちょこんと飾りをのっけてるのがつぼみです。
Y字型のめしべについている黄色い粒子が花粉です。
めしべはY字型に分かれる前はブラシのような毛をつけています。(つぼみの頭上部についている飾りみたいなのがそれでしょう)
これが 雄しべの筒の中にある花粉をひっかけながら上に伸びてくるのです。
中央にひとつだけまだ口を開けていない雄しべ筒(濃い焦げ茶色のツクシのような部分)があります。このなかをめしべが伸びてきて後方のように 雄しべ筒の中の花粉粒で黄色くなりながら成長してきます。この時点で雌しべは雌しべとして未成熟なため自家受粉することはありません。
原理的には雌しべ棒の外側の壁に花粉粒が付いていて、Y字型に開いて内側に柱頭を展開するのですから、自家受粉することは無いはずですが、このように 花粉が内側までついていてニアミスしてる小花も多々見られます。
鹿児島には2つの特攻隊基地がありました。ひとつが前述の知覧で薩摩半島側、もうひとつが 大隅半島側の鹿屋基地です。
シラス台地の半島です。
特攻花の花言葉は「協力」「団結」「生きなさい」。
戦時中に基地の補修にあたった人の中には、テンニンギクは戦前からここに咲いていて、ヤグルマソウと呼ばれていたと話す人もいるようです。戦後になって、特攻隊員が飛び立った飛行場を赤く染めるテンニンギクの姿に、誰ともなく『特攻花』と呼ぶようになったのかも知れませんが、一面テンニンギクが咲き誇っている風景を目にすると、『特攻花』と呼び、鎮魂の花、平和を願う花として大切にしたいという島の人たちの思いがわかる様な気がします。(旅行記 ・喜界空港(旧海軍航空隊喜界島基地))
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