大国主の神は各地に沢山のお妃を迎え、そこを拠点として順調に国創りを進めていった。
民たちは、大国主の国創りに対して、決して文句や不平不満を言わなかった。
でも、心の底から幸せそうにしている住民はいないように大国主には見えた。
国創りは順調に進んでいるのに、どうしてだろう、なぜだろうと大国主の心は晴れなかった。
ある日、大国主が出雲の美保の岬で佇んで、「どうしてだろう」「なぜだろう」と考えていると、海の彼方からガガイモ で作った舟(ガガイモの果実の莢・二つに割ると舟の形になる)に乗って、蛾(が)の皮で作った粗末な衣服を着た神さまがやって来た。
大国主がその神さまに名前を尋ねても、神さまは何も答えてくれない。
なぜか大国主は、その神さまに一目で魅了された。
この神さまなら、今、大国主が悩んでいる国創りについて、きっと何か教えてくれるに違いないと直感したのである。
ある日、大国主がその神さまの名前を知ってる者はいないだろうかと、考えながら歩いていると、普段なら気付きもしないヒキガエルが目が止まり、このヒキガエルが小さなこの神さまの名前を知っているに違いないと根拠もなく思った。
そこで大国主がヒキガエルに「ゲロゲロッゲロゲロッ(クエビコ、クエビコ)」と話しかけると、ヒキガエルはうなずいた。
クエビコとは案山子(かかし)のことである。
ヒキガエルは「案山子なら出雲の国のことを全てお見通しなので、きっとこの神さまの名前を知っているよ」と教えてくれたのである。
そこで、さっそく案山子のクエビコを探してきて、その神さまの名前を尋ねた。
案山子のクエビコは「この神さまは、天地創造の時に三番目に登場した神産巣日の神(萬物を産み出す役割の陰の神さま)の御子(みこ)であられる、少名毘古那(すくなびこな)の神である」と教えてくれた。
少名毘古那(すくなびこな)は、どうして、あなたに仕えている神々はわたしの名前を知らなかったのに、ヒキガエルと案山子のクエビコは知っていたのか。
その理由を考えてみるがよいと言った。
大国主は「御霊(命の泉)鎮め」をして、その理由をじっくりと考えてみたところ、はっと気が付いた。
大国主にとって、ヒキガエルも案山子のクエビコも、普段は全く目に止まらない存在であった。
けれども、ヒキガエルも神さまや人間と同じ「命の泉」によって生かされている存在である。
案山子を案山子たらしめている材料も同じ「命の泉」によってこの世に生まれてきたのであった。
これまでの国創りは農業の普及に始まる文明社会の構築ばかりに目を奪われて、山川草木生きとし生けるものに目を向けることを忘れていた。「命の泉」によって生かされている萬物と調和して生きていくことが神々や人間にとって幸せであることにようやく気が付いたのである。
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