うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

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2010年12月12日 | 忘れかけていたこと
花びらの画像をを作る途中で、線がねじれてしまう人がいる。
これを直すにはどうしたらよいかと聞かれる。
CADならば、ねじれの上下でカットして、またつなぐ方法はあるが、ワード上のオートシェイプでは手立てを思いつかず、描き直したほうが早いでしょうと答えてしまう。

もう一度試みる。またねじれる。同じようなところでねじれる。

描いている人から少し離れて見ていて原因がわかった。
その場所に来るといったんマウスの動きを止めて描画手本のほうを見ている。
止めているつもりのマウスが動いていて、そのときに知らず知らず何回かクリックを繰り返しているらしい。

途中で手本を見るのは、描く図形のイメージが頭の中に出来上がっていないのだろうかとも思う。
あるいは、何か始めても途中で確かめないと気がすまない、用心深い几帳面な方なのかもしれない。

頭に描いた図形のイメージが手に伝わって図になっていくとき、そこでは情報伝達が行われている。
情報には、伝え方、確実性、真実性がだいじなのだが、確実性重視に凝り固まれば、情報の流れが滑らかでなくなってしまう。
ときには不幸なことに、確実だけれどもウソだった、確実にガセだったという珍奇な情報が、タネ切れのマスメディアに手を貸すこともある。

余計なことを考えていて、ふと気付いた。
ねじれの部分に、ねじれてない線を重ねてしまえば、ねじれたところが見えなくなるではないか。
ただし、線はつながって見えも、ぼかしの着色が巧くいくのかどうか、そのあたりのことはイメージが湧きにくい。
やはりねじれにフタをして見えなくすると、そこにまたフタがいることになりそうだ。だめだ、こりゃ。