アプリケーション・ソフトには、ヘルプがほとんどもれなく付いています。
1ページぐらいのごく簡単なものから、何を知りたいかをキーワードで書き込むとそのページの現れる、手の込んだものまでいろいろです。
しかし、知りたいことを書きこんでも、スカタン・キーワードには答えてくれません。
合わない鍵穴に、キーは差し込めないのです。
数ある中で、これはわかりやすい、やまびこのようにすぐ答えが返ってくる、よくできているというヘルプに巡り会ったことはまだありません。
ヘルプというものは、作ることになっているだけなのかと思うこともありましたが、それは解釈違いであったようです。
そのひとつめは、ヘルプは、人を助けるので、仕事を助ける言葉ではなかったということです。
仕事は人が自分でするもの、仕事を助けるつもりになっても、仕事のほうからみれば助かってはいないのです。
パソコンを使うのは、使うその人で、アプリケーション・ソフトが使っているのではありません。
ヘルプを書いた人が、このくらいまでは使う人が考えてほしいと思えば、それより余計なことは書かれないでしょう。
ヘルプのライターとユーザーの要求がどんな場合にも一致することなどありえませんから、合わない鍵が多いのは当たり前だったのです。
もうひとつ、ビジネスの場では、Please help me. は、私は力なしでもうお手上げの表明で、禁句なのだそうです。
仕事は助けてもらおうと思うのはダメなので、手を貸してもらえますかと言わなければならないのでした。
ヘルプに一から十まで教えてもらおうというのは、宿題丸投げ仕事も丸投げのマルまる人の考えなのでした。
ヘルプの出来が悪いとブツクサ言う前に、ユーザーには、まず自分で考えてみるという仕事があったのです。