「ネット便不便」、ネット便は不便とも、ネットの便利と不便ともとれる。珍妙な表題になった。
節約しても短縮しても意味のないことを、縮めれば洒落て聞こえる粋にみえると思うのはある種の錯覚だが、錯覚に快感を覚えるとこれがまた病みつきになる。
縮め言葉がはやるわけは一種の社会病だろう。
社会病は法定伝染病には指定できない。防疫に名を借りた取り締まりもできない。
実務で対抗するしか打つ手がなければ、法令の文字をどんどん引き延ばすしかない。
法例文がわかりにくいのはなぜかとずっと考えていて、やっとこの戯れ証明にたどり着いた。
ネットスーパーというシステムがはやりだした。
ネットの便利さが痛感できるが、ちょっとお高くつく。歩かずに買い物をするのだから当たり前である。
この便利さを、むやみに便利がっていると、歩く、人に会う、言葉を交わすという人間の証明の機会を失ってしまう。
本当に歩けない、自分では買い物に行けない人に、真っ先にこの便利なシステムが使われてこそ福祉社会と呼べると思うのだが、どうであろうか。
歩いて買い物、それが一番です。