うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

言葉を知らずに使うとどうなるか

2013年07月16日 | 千差万別

専門用語の使い方がずれると、何が何だか話がわからなくなる実例があります。
プログラムの記述能力があると見られたばかりに、ウイルスをばらまいた犯人であるとされて、裁判にかけられた事件の弁護人の記者会見の記録です。

映写時間が長いのでお暇なときにどうぞ。
「遠隔操作ウィルス事件続報」プレスクラブ(2013年07月12日)
  http://p.tl/wQYV

わからないことをわかった顔をしてうっかり喋ると、オセロゲームのように白黒がパタパタと反転してしまいそうな危なさが見られる、面白い、しかし、こんなことで大丈夫なのかと、不安をかきたてられそうでもあるビデオです。

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チャンコ鍋のようなOS

2013年07月15日 | 千差万別

『Windows 8のソフトには、「ストアアプリ」と「デスクトップアプリ」の2種類があります』
こういう書き出しの記事があります。

続く説明はこうです。
『スタート画面の左側にタイル状に並んでいるものはストアアプリが大半。クリックまたはタップすれば起動する』
『デスクトップアプリは、従来型のソフトを指します。「デスクトップ画面」で使うソフトで、WordやExcelもこれに当たります』

ストアアプリというものの勢力が強そうなことだけは想像できますが、ストアアプリが何ものであるかはわかりません。

「ストアアプリ」と「デスクトップアプリ」で検索してたどり着いたのがここでした。
「Windows ストア アプリの紹介」
  http://p.tl/7gEk

Windows ストア アプリとは、Windows 8 デバイス上で動作する新しい種類のアプリケーションです。

「確かな真なる知識は、確信を仲間の専門知識や人間の判断の集成で確かめることによってのみ得られる」というストア派の言い分と引っ掛けたのか、「専用アプリがたくさんあります、どんどん買ってください」というのか、よくわかりませんが、Windows 8 でなければ動かないアプリが、大勢を占めているということのようです。

ストアアプリの説明を読み進みましたが書かれているのはこんなことです。
『クロムのない 1 つのウィンドウが既定で画面全体に表示されるため、ユーザーの邪魔になるものはありません』
『ユーザーがあるアプリのコンテンツを別のアプリと共有できます。
アプリのコンテンツを他のユーザーまたはサービスと共有します』

どうやら「画面いっぱい」と「共有」が Windows 8 の本質ではないかと、勝手な解釈にたどり着いたところです。

画面いっぱいなら持ち運びに便利なタブレットに合います。
共有は、自分に自信のもてない現代人に都合のよい合言葉です。

断食のときでも不参加を許されないチャンコ鍋、網いっぱいにやたらに食べ物を載せるバーベキュー、Windows 8 は妙なものを連想させてくれます。

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見るためとするため

2013年07月14日 | 千差万別

Windows 8 を使っていらっしゃる方の話では、タイルの群れから必要なものを探し出すのは厄介だが、XPの寝起きの悪さと比べてすぐ起動できるからそれがよい、ということでした。
起きてから手がかかっても、起きなさいと言ったらパッと起き上がればそのほうが気持ちがよい、それだけのことのようです。
パッと起き上がらせるためなら、起きるときの動作をできるだけ簡単にすればよいので、別の話ではないかと思うのですが。

Windows 8 は「見る」ためのOSで、Windows 7 以前のOSは「する」ためのOSだろう、使う目的が違うのではないかと思っていました。
人の集まったところでそれを言ったら、Tさんは「違う」と一喝。
滅多に「それは違う」を言わない方からの「違う」なので、多分「違う」が本当なのでしょう。

 「Windows 8の登場でパソコンが大きく変わる!?」という記事がありました。
  http://p.tl/HLwd

タッチパネル向きだろうと思っていたOSが、両方いけるOSなので、キーも使えるタッチでもよいという新型機種を生み出したようなのです。
「ディスプレイが倒れてタブレット端末に変わる」という、読んだだけではよくわからないコピーも登場しています。
まあ、見て、触ってくださいということなのでしょう。

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開きにくいノートは雑記帳には使えない

2013年07月13日 | 千差万別

Facebook に「ノート」という機能があります。
しばらく雑記帳に使ってみました。
書き込みのときのシステムの動き方が、ときどき変わるのが気になってはいましたが、まあまあ、だましだまし使ってきました。
おっと、だましだましは使いにくい用具を少しずつ自分用に手を加えながら慣らしていく場合のことで、SNSシステムの動き方はそれとは違います。
こちらではどうにもなりませんから、だまされだまされでした。

ときどきサーバーのご機嫌が悪くなるのか、投稿ボタンが動かなくなることもありましたが、1日待てば翌日には直っていました。
そういうものかと思えばそれでもよいので、なんとか使い続けていましたが、あるときから急に画面の切り替えが遅くなりました。
おとぼけホームページに突っ込んである超大サイズの画像の現れるのを待つのもいやですが、それより酷いのです。
とろとろのCADで大型図面の開くのを待たされた昔を思い出させられるような気分です。

ノートは、開いても空きページがすぐに出てこないのでは雑記帳には使えません。
ページを開くときの手順の組み立てが悪いのでしょう。
最終の書き込みをパッと見せるようになっていないのです。
前に書き込んだところを1ページずつ確かめながらページをめくっていくのでは、空きページにたどり着くまでに何十秒もかかってしまいます。

うなぎ屋ならさばいて焼けるまで待ちましょうという気にもなりますが、ファミレスのオムライスに20分は長過ぎます。
仕方なく、この雑記帳は開かずのページということにしました。

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Google 派と Yahoo 派

2013年07月12日 | 千差万別

Google も Yahoo も、同じ「検索サイト」の部類にありながら、トップの画面がまるで違います。

いわゆる総合雑誌と呼ばれるものにも、オピニオン誌とカタログ雑誌が大きく違うように、Web の検索サイトのページ構成にも違いが現れています。
と書いては見たものの、この違い方にまた違いがあって、的外れのたとえになってしまいました。
雑誌の場合は選択の目的がまったく異なるのに反して、検索サイトは目的は同じなのです。
雑誌よりも店舗のほうが、適当なたとえが見つかったかもしれません。

一方は店の入口には商品を並べない店、もう一方は何でもかまわず店の前をにぎやかにしておく店、そんな違いでしょうか。

どちらがいいですかと聞かれても、お好み次第という返事しかできません。

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手本で実践力は身につくか

2013年07月11日 | 千差万別

どんなものを作るにも方法を会得しなければ何も出来上がらないので、生活上必要なものごとは真似が近道、ハウツーが手短で便利です。

Web にはあらゆるハウツーが載っていて何でも教えてくれます。
ゆるんでガタガタするドアノブの直し方までありました。
便利屋さんに頼まなくても、だいたいのことは探しさえすれば、真似ごとでも自分でできる時代になりました。

絵の稽古にも模写という方法があります。
模写が苦手な私は絵が上達しません。
真似ることのつまらなさを感じながらの模写が巧くいくはずがないからです。

ひとが作ったものを同じように作れても、それだけのことで、作ったという喜びは生まれません。

パソコンで何かしたいという人が、真似ごとの方法を知りたいのか、真似の仕方を知りたいのか、真似でない何かをしたいのか、これは検索ではわかりません。
検索はぶつ切りの言葉のつながりという、ややこしい機械の働きの応用ですから、人の心は読めません。

直接会って話をしてみなければ、その人の望んでいることは読み取れるものではありません。
教える側の好みに当てはめようとしても、巧くいくかどうかは予測できないのです。

内弟子に初めは何も教えず掃除番をさせておく、その期間の長短は、師匠の目利き度の違いなのかもしれません。

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ウソが化けたマコト

2013年07月10日 | 千差万別

「虚構新聞」というサイトがあります。
  http://www.kyoko-np.net/

この新聞に載るとウソだろうと思っていることがホントに化けることがあるようです。

113戦0勝を誇ったハルウララ、その名前をつけたソーセージが売られるという話などは、ウ、となりますが。

森永チョコ、144個入り「グロス」発売というのは、大人がキャラメルを買いにくいという人には朗報です。

ときには[記事へ]のボタンで他の記事に飛んでいくこともあって、名前がウソでないこともわかります。

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覚えにくいことば:2

2013年07月09日 | 千差万別

「コーラスライン」という劇団四季のミュージカルがあります。
ショービジネスの街で、舞台にすべてをかける若者たちの姿を描いたものですが、もともとは1975年に初演されたブロードウェイミュージカルです。
2010年からの四季公演の前に、1985年には映画にもなっています。

コーラスラインは、コーラスという空気振動現象とラインという二次元の抽象概念を結びつけなければならないので、わかりにくい言葉です。

SNSにタイムラインという言葉もありますが、タイム、ラインという次元の異なる抽象概念を結びつけているので、これもわかりにくい言葉です。

ツイッターで、ログインしたときに最初に見えるページをタイムラインと呼んでいるようですが、ラインと呼ばれるような線状のものはどこにもありません。

自分のツイートと、フォローしている人のつぶやきが、時系列にぞろぞろと並んで見えるページだよと説明されれば、ああそうかとなるのですが、そもそもこういうページの表示の仕方は、いちばん新しいものがいちばん上にあって、時系列に並ぶのが当たり前だと思っていると、そこでわざわざタイムラインとなぜ呼ぶのか、その感覚になじめないのです。

とは言え、これは名前ですから、その意味についてぐずぐず言っても仕方ありません。
早くなじめば早く覚える、そういうものなのでしょう。

ツイッターの言葉となじみになるお手伝いをしてくれるサイトがありました。
なじみの浅いお方はどうぞ。
  http://p.tl/TJPA

四季のコーラスラインは、劇団四季 シアター 自由劇場で、まだ続いています。
  http://p.tl/YplE
長いラインですね。

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ゴミ箱サイト

2013年07月08日 | 千差万別

ゴミ箱にも姿のきれいなのがあります。
あいつのところ、テーブルも椅子も不細工だが、トイレとゴミ箱だけはきれいだ、というおうちもあるでしょう。
その逆よりも、訪問者は気分がよいと思います。

ネットにも 「ぐちったー」 という名のゴミ箱があります。
「みんなの愚痴をみんなで共感しあう匿名つぶやきサービス」 という案内書きが添えてあります。
  
http://gtitter.com/

Facebook のように記事が残ってしまうことがなく、どんどん書いて流してしまう、ひょっと拾い上げた人だけが読んでくれ、陰の応援や共感も得られる、というサイトです。

ゴミに興味はないのですが、入れものへのうっすらとした関心から、どんなゴミが入っているのかとちょっと蓋を開けてみましたら、こんなのがありました。

「二次会行かないって行ってるんだから早く帰らせてよ 家でやらなきゃいけないこといっぱいあんだよ」

やはりゴミ箱に放り込まれていたのはゴミでした。

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小字入力で困ること

2013年07月07日 | 千差万別

「きゃしゃなしゃちょう」と打ち込むとき、
kyasyanasyatyou と15打でよいところを、
kixyasixyanasixyachixyou または
kilyasilyanasilyachixyou と6打も余分に打つ人がいます。

詰まる音や跳ねる音の小さい文字でも、
「らっぱ」rappa と5打でよいところを、
raxtupa と8打しします。

おやめなさいと言いたいところですが、たとえば、
「ピッツァ」「ツィッター」で「つ」の後の「ぁ」または「ぃ」をどうするか、 
「トゥエンティ」で「と」の後の「ぅ」をどうするか、
ここで詰まってしまいます、さて。

 

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検索が制限を受ける国もある

2013年07月06日 | 千差万別

十万人はくだらなかっただろうと、写真を見ても思うこのことが、検索制限に遭っています。
国を支配している徒党に都合の悪いことは、「なかったこと」になっているのです。

なかったことが検索して現れたのでは、信頼従属の関係は一挙に崩れます。
信頼を得るための検索制限が当たり前のようになれば、システムというものは、
IP ⇒ [__] ⇒ OP の過程で、何が行われていても、利用者が知るすべはありません。

[__] の中は「そういうことらしい」で認めるしかない、ときには不確かをまる飲みにしなければならない、それがシステムの汎性らしのいです。

梅雨空に 付き合いで食う ヨーグルト
腹に良しと言われれば「そういうことらしい」、おなかは冷たくなります。

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覚えにくいことば

2013年07月05日 | 千差万別

ワープロの機能に「インデント」というのがあります。
どういうわけか、この呼び名になじめず、まだそれを使ったことがありません。

日本語の普通の文章には、印刷する場合に段落の頭で字下げをする以外に、連続字下げの必要がないので、インデントには無縁でも用が足ります。

インデントという名がなぜなじめなかったのか、言葉の調子と単語の組み立てにその原因があるような気がして余計なことを考えて見ました。

ひとつは全く無関係な当て漢字ですが、陰臀賭、淫殿徒、マイナスの印象が強いのです。
もうひとつは英語の綴りです。
in は、不か無の接頭辞になり、not の意味を先に感じてしまいます。
dent はへこみで、not dent ならへこみなしで逆ではないのか、dent in が、へこませることなら、indent はその反対にならないのか、などと、タラの頭が逆回りを始めるのです。

へこみで妙なものを思い出しました。

東京都の西へへこんだところにある青梅のへそまんです。
いまどうなっているかとググって見たら、「へそまんじゅう本舗」「へそまん総本舗」「へそまんじゅう本舗」といろいろ出てきました。
みなさん凹みを売り物に頑張っていらっしゃいます。

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ページは何を呼ぶのか

2013年07月04日 | ソフトいろいろ

押しかけデータは扱いに手間がかかります。
手間をかけないためには、バサッ、バサッとまとめて消してしまえばよいのですが、メモリに巣食うと動きを鈍らせられるのがまことに厄介です。

たとえば手の込んだ動画を見たいという場合は、それだけのデータ処理が必要で、ユーザーもそのつもりになればよいのですが、たった2~3行のテキスト文を見るのに、押しかけデータがぞろぞろ付いてくれば、パソコンは目的外の仕事を強いられ、ユーザーはじっと待たされます。

平気で人を待たせるのは、ページングという呼び屋が幅を利かせているようなのです。
その呼び屋は、どのパソコンにもするすると入り込んでいます。
入り込むときの乗り物は Windows です。

固定メモリのデータ置き場が詰まってくると、ではこちらへどうぞと、休憩待機中のデータの群れをハードディスクに呼び屋が案内します。
団体のつもりでいたデータも、呼び屋のいうことには逆らえず、仮の居場所の都合で散り散りばらばらにされることもあります。

休憩中であっても、ユーザーの希望があれば、呼び屋のひと声ですぐ戻ってきて仕事をしなければなりません。
ばらばらに押し込んだ別々の部屋からみなを呼び出して仕事場に集合させる呼び屋の仕事も大変です。
データが右往左往するCPUという中央のコンコースも大混雑です。
ユーザーはそこで待たされます。

図体の大きい腰の重いプログラムなら、ユーザー本人も承知の上なので我慢しますが、呼ぶつもりのないデータに押しかけられて、メモリを食われたのではたまりません。
呼び屋は呼ぶだけが仕事ですから、データの見分けも分類もしてくれません。
来るのはみんなお客様、ワッと来ればサッとさばく、それが仕事なのです。

いったいどのくらい仕事をしているのか、タスクマネージャーに頼んでページファイルの使用量を調べてみました。
私の Windows はまだ XP-SP2 で頑張っていますが、
アプリを何も使わない 総待機状態で___472MB
IE8 で Googlo につなぐと____________552MB
Facebook を開くと___________________745MB
そこで小さな参加グループに入ると__1.67GB

たった3行のメッセージを読むのに、1GB を超えるメモリー消費、バカらしいとは思いませんか。
どこからか声が聞こえます、嫌なら見なきゃいいだろう。

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イメージのセンスは変えられるか

2013年07月03日 | 千差万別

ハングアウトは、ちかごろどこかの国ではやりだしたという、店を持たないレストランに似ています。
店を持たないと言っても、デリバリー専門ではありません。
知っている人だけがお客様という、マンションの一室をレストランに仕立てた場所です。

なぜ店を持たないのか。
店には監視の目が光っていて、客がうっかりしたことをしゃべると、店が営業停止になることもあるからです。
普通の店では、スマホを使った客の気まぐれ通報が、監視の手伝いをすることもあります。
いやですね。

 

とかく入室手続きの面倒なハングアウトですが、部屋に入れずにぶらぶら歩いていると、思わぬ拾いものもあります。

「コミュニティ」で「Tokyo Photo Walkers - 東京写真散歩」という名がふと目に止まりました。
とろいイメージ・センスも、こんなところで刺激を得れば少しは変われるかと、淡い期待を持っては、ときどき眺めています。

 

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イメージのセンスは真似事では得られない

2013年07月02日 | 千差万別

すばらしいイメージのセンスを持った方に出会いました。
パソコンの前に座ると、まずペイントを立ち上げ、円、楕円、方形、角丸方形の4種類の図形をどんどん組み合わせていきます。
画面がいっぱいになると、それぞれの図形を多彩な色で塗りつぶしていきます。

1枚保存すると、また次に取り掛かります。
図形も色合いも同じなのですが、さっきのとは全く違った図柄が出来上がります。

3枚目は直線の組み合わせでした。
直線で囲む平面で、線の数が最も少ない三角形がどんどんつながれていきます。
これも画面がいっぱいになれば彩色です。

3枚目は気に入ったようで、他の人にも見てくれと、自分から呼びかけます。
「これ、きょう初めてなんだよ」直線の組み立ては初制作だったようです。

直線描画を見ていて作者も気付き、見ているほうも気付いたことがあります。

ペイントに描きこむ線は、終点は画面の外でクリックしても受け付けてもらえます。
OBもOKなのです。
始点はそうはいきません。画面の外では位置の定めようがないので当たり前なのですが、この当たり前が妙に新鮮に感じます。

なんでもない3枚の絵から、何かすがすがしい気持が得られたのは、それが全くの創作であったからでしょう。

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