久しぶりに、声が枯れてしまうぐらいに『紺碧の空』を歌いまくり、試合終了後には『早稲田の栄光』も歌うことのできたオール早慶戦から、一夜が明けました。
試合速報にも書きました通り、早稲田が大量点を奪う展開となりましたので、ご当地選手の全員を起用すると共に、先発:大石、クローザー:斎藤と、応武監督としても会心の選手起用であったろうと思います。
(冒頭の写真は、代打で出場した神村学園出身・白澤選手)
わざわざ私のところまで、ご挨拶に来ていただいた、ご当地選手のご家族の皆様、ありがとうございました。
また、応援席も、オール早慶戦らしい実に楽しい雰囲気でした。
九州や山陰地方出身の応援部OBの方々が集まり、
『二十年前に、ここでオール早慶戦が行われた時、私は三年生の現役部員であったぁ』
『久しぶりの故郷は、やはり温かかったぁ』
『今日は、早稲田の祭りであるぅ。祭りだから、もっともっと花火を打ち上げようではないかぁ』等々、熱く檄を飛ばし、満員の応援席の稲門会の皆様がそれに応えました。
現役時代の鍛え抜かれた体形ではなくなっている方も散見されましたけれど、その応援指導は、さすが。
神宮でもお馴染みの応援部のご長老Yさんから『現役時代よりも上手いじゃないか』と、冷やかされるぐらい、皆さん堂に入ったものでした。
そして、早稲田の応援をサポートしてくださった東筑高校のブラスバンドと応援団の皆様の活躍も、素晴らしいものでしたよ。
さすがに、現在の早大応援部監督の小御門さん(こみかど。昭和51年卒業)の母校です。
古文や英語の参考書を譜面と共に抱えている生徒さんもいましたから、受験勉強中の三年生部員も含まれていたのでしょう。
キレのあるブラスの演奏にも感心させられましたが、東筑の応援部リーダーの男子1名、女子3名が壇上に登り、颯爽とコンバットマーチをリードしたのには、驚くとともに、感動すら覚えました。
応援部長老のYさんは『嬉しくって、泣けてきちゃったよ』と、泣き笑いしながら彼らの姿を見守っていらっしゃいました。
彼らの登壇で、早稲田の応援が一気に盛り上がり、その熱が早大打線に火を着けました。
彼らが、まなじりを決して登壇すると、不思議なくらい早稲田の選手がヒットを打つのです。
ですから、昨日の大量得点の原動力は、間違いなく東筑高校の皆さんの頑張りです。
また、得点の都度、早大応援部員と肩を組んで、彼らも『紺碧の空』を合唱するのですが、その時の屈託のない笑顔が実に高校生らしい爽やかさでした。
試合終了後、今回のオール早慶戦の企画ならびに当日の運営にお骨折りされた、北九州の稲門会の皆さんの打ち上げに加わらせていただきました。
もう午後10時を回ってからの乾杯でした。
大学卒業後にUターンして家業を継いでいらっしゃる方が多かったという印象です。
私と同世代の方が多いこともあって、懐かしの早稲田界隈の定食屋さんや雀荘にも話題が及び、とても楽しい時間を過ごしました。
日付が変わる頃に、お開きとなったのですが、『せっかくだから、もう一軒』ということになり、2軒目に移動。
すると、そのお店では、十数名の応援部の若手OBと、野球部OBの前田将希、本田、泉の3選手が打ち上げをやっている真っ最中。
私は、泉くんたちと神宮や東伏見での思い出話に花を咲かせることができました。
そんな展開になったものですから、ホテルにチェックインしたのが夜中の2時過ぎ。
シャワーを浴びて寝たのが午前3時ごろ。
しかし、その三時間後には、小倉駅前から午前6時25分発のバスに乗って、北九州空港に向かっておりました。
本当に眠いです。
これから馴染みのマッサージ店に寄って肩や腰を揉みほぐしてもらってから、爆睡いたします。
試合速報にも書きました通り、早稲田が大量点を奪う展開となりましたので、ご当地選手の全員を起用すると共に、先発:大石、クローザー:斎藤と、応武監督としても会心の選手起用であったろうと思います。
(冒頭の写真は、代打で出場した神村学園出身・白澤選手)
わざわざ私のところまで、ご挨拶に来ていただいた、ご当地選手のご家族の皆様、ありがとうございました。
また、応援席も、オール早慶戦らしい実に楽しい雰囲気でした。
九州や山陰地方出身の応援部OBの方々が集まり、
『二十年前に、ここでオール早慶戦が行われた時、私は三年生の現役部員であったぁ』
『久しぶりの故郷は、やはり温かかったぁ』
『今日は、早稲田の祭りであるぅ。祭りだから、もっともっと花火を打ち上げようではないかぁ』等々、熱く檄を飛ばし、満員の応援席の稲門会の皆様がそれに応えました。
現役時代の鍛え抜かれた体形ではなくなっている方も散見されましたけれど、その応援指導は、さすが。
神宮でもお馴染みの応援部のご長老Yさんから『現役時代よりも上手いじゃないか』と、冷やかされるぐらい、皆さん堂に入ったものでした。
そして、早稲田の応援をサポートしてくださった東筑高校のブラスバンドと応援団の皆様の活躍も、素晴らしいものでしたよ。
さすがに、現在の早大応援部監督の小御門さん(こみかど。昭和51年卒業)の母校です。
古文や英語の参考書を譜面と共に抱えている生徒さんもいましたから、受験勉強中の三年生部員も含まれていたのでしょう。
キレのあるブラスの演奏にも感心させられましたが、東筑の応援部リーダーの男子1名、女子3名が壇上に登り、颯爽とコンバットマーチをリードしたのには、驚くとともに、感動すら覚えました。
応援部長老のYさんは『嬉しくって、泣けてきちゃったよ』と、泣き笑いしながら彼らの姿を見守っていらっしゃいました。
彼らの登壇で、早稲田の応援が一気に盛り上がり、その熱が早大打線に火を着けました。
彼らが、まなじりを決して登壇すると、不思議なくらい早稲田の選手がヒットを打つのです。
ですから、昨日の大量得点の原動力は、間違いなく東筑高校の皆さんの頑張りです。
また、得点の都度、早大応援部員と肩を組んで、彼らも『紺碧の空』を合唱するのですが、その時の屈託のない笑顔が実に高校生らしい爽やかさでした。
試合終了後、今回のオール早慶戦の企画ならびに当日の運営にお骨折りされた、北九州の稲門会の皆さんの打ち上げに加わらせていただきました。
もう午後10時を回ってからの乾杯でした。
大学卒業後にUターンして家業を継いでいらっしゃる方が多かったという印象です。
私と同世代の方が多いこともあって、懐かしの早稲田界隈の定食屋さんや雀荘にも話題が及び、とても楽しい時間を過ごしました。
日付が変わる頃に、お開きとなったのですが、『せっかくだから、もう一軒』ということになり、2軒目に移動。
すると、そのお店では、十数名の応援部の若手OBと、野球部OBの前田将希、本田、泉の3選手が打ち上げをやっている真っ最中。
私は、泉くんたちと神宮や東伏見での思い出話に花を咲かせることができました。
そんな展開になったものですから、ホテルにチェックインしたのが夜中の2時過ぎ。
シャワーを浴びて寝たのが午前3時ごろ。
しかし、その三時間後には、小倉駅前から午前6時25分発のバスに乗って、北九州空港に向かっておりました。
本当に眠いです。
これから馴染みのマッサージ店に寄って肩や腰を揉みほぐしてもらってから、爆睡いたします。