元野球部監督の宮崎康之さんがご逝去されました。
写真の前列右で両手を挙げているのは安部主将。
宮崎監督の左側の男性は、名前は不詳ながらも いつも早大ベンチの上で旗を振っていた あの時代の神宮球場の名物男。
宮崎監督の後方には、長身の広岡資生遊撃手(姫路東)。松下電器監督を経て、現在は甲子園の解説で活躍中です。
1979年春、石山建一さんに代わって監督となった宮崎さんは、島貫(福島商)ー岡田(北陽)ー有賀(早実)という強力クリーンアップを引っ提げて、いきなりリーグ優勝。
その後、商学部の不正入試事件などもあって低迷を余儀なくされましたが、1982年に ドラフト候補を揃えた法政を撃破して見事に優勝しました。
この動画では、在りし日の宮崎さんの勇姿を見ることができます。
また、現在の助監督 佐藤孝治さん(早実出身の捕手)が2年生ながらも背番号26でスタメン出場し、殊勲の適時三塁打を放っています。
そして、安部主将(小倉高校)、山岡靖(早実)、木村(天理高)、阿久根(早実)と、後年 ご子息が早大野球部に入ってきた選手がいまして、時の流れの早さを感じますね。
また、ベンチ風景では、宮崎監督の隣に座る野呂選手(早実。現在の桐光学園監督)の姿もあります。
宮崎さんは、戦後最初の甲子園で優勝し、東京六大学で優勝し、都市対抗野球でも優勝というアマチュア野球の王道を歩んだ野球人でした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
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昨日の関東地方は、台風来襲で 大変なことになりました。
成田空港では足止めされた客により大混雑になったというニュースには、意外な印象を受けました。
鉄道やバスが止まるような状況でも 次々と飛行機が成田に着陸していたのですから。
素人考えでは、飛行機の方が悪天候に対して脆弱だと思うので、飛行機が着陸できるぐらいならば、鉄道やバスは走れるのではないかと思ったのです。
あくまでも素人考えですが。
また、月曜日の朝ということもあって、通勤客が駅前で溢れました。
駅前で何時間も並んで遅刻しても何とかなる性格の仕事であれば、無理して出勤することもないように思えました。
一方、もし 何が何でもオフィスに行かなければならない事情があるならば、あらかじめホテルに前泊しなければ、プロフェッショナルではありません。
私が長年勤めた銀行業界では、朝9時に店舗のシャッターを開けられない場合には、金融当局に報告しなければなりません。
もし店舗を訪れた顧客が「午前9時になっても○○銀行が営業を開始しない」と金融庁に電話でもしようものならば、「すわ経営破綻か?!」と一大騒動となりかねませんから。
ですから、どんなことがあっても、前泊などにより最小限の人数を揃えて、時には 店舗の近隣に住む他部署の行員も動員して 、何が何でも朝9時に営業を開始します。
ただ、いつもビジネスホテルが確保できるとは限りません。
ラブホテルに事情を説明して、窮余の策で男2人で泊まった などという逸話もあります。
(^^;
また、麻雀好きの支店長がいると大変です。
台風接近が報じられると、「副支店長! 台風に備えて前泊メンバーを揃えろ。4名では不安だから8名に」と、4の倍数で指示を出します。
その様子を窺っていた私たち部下は、「そら来た」とばかりに 一斉に下を向き、書類に没頭しているようなポーズで副支店長と目を合わさないように。
※当時の勤務店は、100名を超える規模で、内部管理の次長をはじめ数名の内部管理役職者が近隣に住んでいたので、理屈からすれば私の出番はないはずでした。
しかし、そのうちに副支店長が 私たちの席にやってきて、「ayくん、今夜は泊まってくれ」と。
もう観念するしかありません。
「8名が決まりました」と副支店長が報告すると、支店長は「よし、今夜は終電を気にすることはないぞ。そうだな、夜11時まで全員で月末までの稟議書作成に集中して、それから前泊組は雀荘に集合だ」とやる気満々。
「働き方改革」「パワハラ」なんていう言葉の存在しない時代の銀行マンの世界でありました。
(T_T)