11月ももう半ば…あと1ヵ月あまりで2006年も「去年」になってしまう。「1年経つのが速いですね~」「ほんとですね~」…この時期になるとこんな会話がどこかしらで交わされている。歳をとるごとに、いっそう速く過ぎるように感じる1年365日。
いつだったか、先輩とそんな「速いですね~」という話をしていたとき、
「どうしてそう(歳をとるごとに速く)感じるか、教えてあげる♪」と、
いたずらっぽい笑顔で教えてくれたのは…。
同じ「1年」でも、1歳のときの1年は、1分の1…そう、
赤ちゃんにとっては100%!
それが、10歳のときの1年は、10分の1…10%に、
20歳のときの1年は、20分の1…5%に…。と、
1年という、たとえ同じ時間であっても、これまでの人生に占める割合が、
どんどん小さくなっているから…と。
…納得してしまった。今、綾乃の1年は、人生の何%なのだろう?
それで、今とても知りたいのは…、飲んでいるときの 『時間の不思議』。
飲みはじめて、しばらくして「もうずいぶん時間が経っているかな…?」
と思って、時計を見る「1回目」の確認。
すると、意外なほど早い時刻で、ほっと安心する。
そして、再び飲みはじめ、おしゃべりに興じ…、「まだ○時くらいだろうな」
と思って、時計を見る「2回目」の確認。
すると、信じられないほど遅い時刻になっている!
楽しい時間は速く感じる…とはいうけれど、最初から楽しかった。
それに、空白の時間ができるほど…つまり記憶がなくなるほど飲んでいる
わけでもなく…。
わたしだけでない、多くの友人が同じことを感じ、しかし、明快な答えは
いまだ見つからず。…なぜ?…
これから忘年会の季節、時間の不思議のはてなマークが、
頭の中を飛びかいそう。
☆毎朝一番最初に目にする、振り子が可愛い時計です☆
例えば、ご隠居生活の65歳の方はどうなのかな?
1/65になるのかしら....?
また、55歳の健忘症の方にとって、時間進行はどうなるのでしょうね...?
心身が健全な95歳の翁にとっては、時間概念なんぞは既に消滅し、場合によっては
時空を超えた悟りの境地?を持つのかもしれませんし...
さて、酩酊状態での時間の経過具合..これは実にご指摘の通りで..謎ですね。上記の方々も酩酊時は同じようにトレースするのでしょう..、きっと。
さて、素朴なご質問に、※○×□!△…とうなってしまいました。いろいろ思い巡らしたのですが…。
ご隠居生活の65歳の1年の感覚は…。その生活に入って直ぐは、バリバリ働いていた定年前よりも長くなって、でも、そのゆるゆるした時間の流れに完全に染まったとしたら、密度は低くなっているとしても、やっぱり1/65になるのではないかしら?
また、55歳の健忘症の方はというと…、その症状が出てしまったその時からは、過去のある時点がぽつんぽつんと記憶に存在るとしても、時間進行の感覚は、おそらくなくなっていると思いますわ。
そして、心身ともに健全な95歳の翁は…、そう、五郎さんのコメントにあるように、もう過去の…とかこの1年などはさらさら問題ではないのかもしれません。…誰もが向かわざるをえない人生の終わりに手が届きそうな時を生きている彼・彼女らにとってみたら…。
…このコメントを描いているうちに、実は、「歳をとるほど1年が速く感じる」のは、このフレーズを口にしてしまうからではないか?と思ってきました。毎年同じ頃に行う仕事や、季節ごとのイベント、お祝い事…などがやってくるたびに、「早いなぁ、もうこの時期だ」と思う。点と点を、1年という長い時間を引き寄せて結んでしまう。この思考が、短くしているだけではないかと…。
曖昧なこたえ…になってしまいました。
お答えにビックリしました。
コペルニクス的展開ですね!
「このフレーズを口にして....」繰り返すうちに..、
つまりオマジナイのことですね!
オマジナイの強さ の不思議......深いテーマです。
(ひとまず、括りましょう)
さて
【.....点と点を、1年という長い時間を引き寄せて結んでしまう。この思考が、短くしている........】
この辺り、幸田文の表現ですね...、 否、ものの感じ方、捉え方
が幸田文に 近く......すっかり綾乃ファンになってしましました。
「さて」以降のお言葉…嬉しさ+大恐縮が入り混じり…でもやっぱり嬉しいです♪