ひとり、隣駅のカフェで色々思う。
何を···?
このモヤモヤした気持ちの出処を。
そこから抜け出す術(すべ)を。
子供を愛することと、
子供に自らを投影することは全くもって違うことであり、ナンセンスなことと認識していたはずなのに、
“はず”は外れていた。
勉強のこと、部活のこと、遊びのこと、友達のこと、恋愛のこと···私達母娘は何のためらいもなく話していた。
もちろん、時に意見が食い違って神妙な雰囲気になることもある。
それでも母親にポロポロとこぼせることは、少なくない彼女のストレス解消になっていたと思う。
私は嬉しかった。
「おかーさんに愚痴が言えてほんと助かるー」
この言葉は本心だったはずだ。
そうした日々の会話の中で、おそらく、いつの間にかグッと入り込んでしまう私がいたのだろう。
母親ではなく当事者になってしまうように···。
この前の娘のはかない恋の終わりが、
“子離れせよ”
の伝言を運んできたのだと思う。
親は子供の幸せを心から願うけれど、
だからといって、子供の人生は親の人生ではない。
そんな当たり前のことを、
分かっていたはずのことを、
今、ようやっと
「こういうことなのか···」
とストンと落ちた。
ここに綴ることで、やっと気持ちの整理がつきそうな気がする。
「おかーさん、私より落ち込んでどうすんの?自分のこともっと気にしなよ」
···いつの間にかこんなにたくましくなっていた娘よ。貴方への深い愛情は変わらない。けれど、その愛はカタチを変えて貴方を包んでいきます。
☆倉敷珈琲店にて☆
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