紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

雪だるま式ちりとてちん

2008-01-26 23:38:48 | テレビ
 なんだかもう、私の娯楽の大部分をテレビが占めている。ほぼ病人か、ひきこもりのお年寄りみたいなネタのフィールドと化しているなぁ。

 そしていつものように『ちりとてちん』を見て、まだまだ未解決の謎に思いを巡らせ、これからの展開に思いを馳せる。もうまるで雪だるま式に、すでに放映済の出来事を核にして、どんどん大きくなってくる。神業のようだわ。

 「あのときのあのひとこと(ひとこま)が、ここにつながってくるとはー」と、伏線の緻密さに驚愕する。あとになって「あ、あのセリフのもとになったエピソード、ここ(回想場面)でつくろ♪」と作者・藤本さんがあとだしで作っている可能性もあるけど、それはそれでスゴイ。

 今週のメインはケンカして家出してしまった「お母ちゃん」と「お父ちゃん」を仲直りさせようと必死の喜代美と、「お父ちゃん」がどうして塗り箸職人としての修行を投げ出してしまったのか、「お父ちゃん」と「お母ちゃん」の結婚までの経緯、が「喜代美が産まれるまで」の時間軸で回想される。それらを通して「結婚」という絆、前の週より続くテーマである子どもを持つことの意味、「一番好きな人と一緒に人生を歩める幸せ」までが、ぎっしりと描かれていて、15分びっしりと見ていると映画一本みたくらいの充実感がある。

 ほんの30秒目を離しても、大事な伏線とか話の流れのャCントとか重大な科白を見失ったりしているので、15分の間、立ち歩くことは不可能である。

 親から子へ、師匠から弟子へと縦につながっていくもの以上に大切な横の絆があるということを、いままで何度も脚本の藤本さんは提示していたのに、今回初めてのように気付いた。

 草若師匠が、妻が余命いくばくもないことを知って絶望のあまり高座をすっぽかしたことも、破門された草々を探しに行く喜代美に「行けばお前も破門や!」と宣言されても、駆け出した喜代美の姿も、若狭塗り箸製作所の跡取りを降りて、焼き鯖を焼く魚屋食堂を継ぐ決心をした和田友春も、そして「お父ちゃん」も、考えるまでもなく(考える余裕すらなく)「一番好きな人」を選び取った。それはたとえ遠回りであっても正道なのだ。

 今週は英語バージョンの『翼をください』がBGMで流れていて、この効果たるやとんでもなかった。とくに喜代美の出来のいい弟、正平くんに涙。父母のかすがいである姉、それにひきかえ自分は父母をいさかわせ、溝をつくってしまったと失意のうちに、大学留学のパンフ(=恐竜専門の学決ノなる夢)を破り捨てるシリアスな彼は、短い場面だけど、胸が痛くなる。

 それと20歳の「糸子さん」! 初々しいしゃべり方や、押さえた声量や、かわいらしい表情で、ものすごく可憐な乙女を演じきった和久井さん、素晴らしい! 私はあの可憐さにすっかりまいってしまい、せめてヘアスタイル(バックの髪はそのまま垂らして、前髪とサイドをうしろで高めにまとめて括る)はマネしてやろうと企んでいます(笑)

鹿男につっこむ。

2008-01-25 18:22:48 | テレビ
 昨夜も塾から帰って『鹿男あおによし』を見るKちゃん。私は半ばで睡魔に押し唐ウれて目を開けた時にはエンドロール(悲) 

 たしか、宴会があって・・・そこからの記憶が無い。
「さんかく」ってなんだったの? きつねだけに、三角揚げのこと? ちゃんと「鹿」に「さんかく」は、渡せたの? 最後、どうなったの?

「さんかく」って、生八つ橋みたいなもんで、渡すの失敗しやはって、「鹿」が怒って罰として主人公、アタマが鹿にならはったねん。そやけどな。

とKちゃんの言葉は続く。

 頭が鹿なんは、おかしないけど、カラダだけ鹿はちょっといやや。

 うーん、人魚はロマンチックやけど、頭が魚の人間はグロいもんなあ。ボッシュ(オランダの画家)は、そういうの好きそうやけど。
 ・・・ん?? 「頭が鹿」だって、充分おかしいって! カラダが鹿って、牧神みたいなもんやんか。
 
彼女の横でひたすら笑っているH氏であった。 

女殺し?四草

2008-01-24 22:01:10 | テレビ
 タイトルからわかるように、またしても『ちりとて』話題です。興味の無い方はごめんなさい。

 徒然亭草若の4番弟子、四草は冷酷でガメツくて腹黒で嘘つきで女たらしで自分勝手でしかもとことん口が悪い・・・と、ろくなもんじゃねえ奴として登場した。

 が、ドラマの中でも、視聴者の間でもモテまくりである。なんでこんな奴が・・・???と殿方は不思議に思うだろうが、彼はもう、女心の琴線に触れまくりなのである。少女マンガでブレイクするキャラの王道ともいうべき典型なのだ。少女マンガではないが、手塚治虫先生の造形した、あの『ブラックジャック』もまさにこのタイプなのである。

 女心の琴線をかき乱すのは、「なのに!」「だけど!」「実は!」という、隠された彼のキャラがちらりと垣間見える瞬間なのである。この「ちらり」と「瞬間」というのがミソなのだ。まさに『フランダースの犬』で主人公のネロが、死の間際に一瞬覆いを鰍ッられたルーベンスの絵を垣間みる歓喜に似ている(ホンマか?)

 たとえば四草が草若師匠の元に戻る前、師匠に見捨てられたと恨んでいる、という言葉とはウラハラに、師匠との思い出が忘れられないこと、師匠の元を離れていても密かに落語を続けていることがバレてしまったときの彼の号泣とか。
 草々が他の門下の落語家を殴った(実は殴っていないのだが)という理由で破門されたとき、いきなり兄弟子の草原を殴りつけて「(なら僕も)破門ですね!」と師匠を問いつめたときとか。
 小草若が決定的に失恋した時、賭けに勝ったにも関わらず「年越しそば、おごりますよ」とつぶやいたりとか。
 口先ではとことん小馬鹿にしていた小草若の行く末を真剣に案じて、かつて見たことのないような勢いで彼を一喝するとか。

 実は、なのに、だけど。四草って、アツい奴やんか~! 優しい漢(おとこ)なんや~!

 そんな僅かな、けれど確実に決まるアッパーパンチが否応なく母性本能をくすぐる・・・どころか、鷲掴みなのだ。日頃のクールで、傷口に塩を塗り込むような辛口の口の悪さとのギャップがまた、あり地獄のようなチャーミングさなのだ(どんな比喩や?)

 と、さんざん四草の魅力を書き連ねてはみたものの、実は四草の魅力のボーダーを越えると、今度はちょっとダメな奴で、でも四草とは違ってわかりやすいひねりがある、一途で純で、シンプルでほんとはとってもやさしい小草若ちゃんみたいな男の子って、いいよねえ?と思ったりもするのである。

有意義な寄り道

2008-01-23 23:30:43 | ノンジャンル
 先日、某公務員氏とお話しする機会があり、なかなか面白い話がきけた。彼は何度か左遷されているのだが、実は左遷先での仕事は、彼のその後の人生に大変役立ったそうである。

 もしエリートコースと呼ばれる部署だけしか知らなかったら、仕事以外で役に立つ人間にはなれなかったかもしれない。左遷されて、人生もうかった、と。

 彼はどこへ行ってもどど~ん!と仕事をして、その場所での知識と仕事の有り様を的確に吸収し、発展させ、鮮やかに手腕を発揮して職場を活性化させたらしい。新しい場に対する興味も好奇心もあり、どうしたらそこでもっとスムーズに仕事ができるか考えるのも、きっと好きなのだろう。最短距離な仕事の方法を考え、ときにお茶目な方法で改善していく。まるでドラマのように面白い。

 寄り道や途中下車を恐れたり悲しむことなく、その場を楽しみ、そこならではのものを吸収するというのは、人生をエンジョイする達人の域であろう。彼ほどの器の大きさには私は遠く及ばないが、少しばかりは近づきたいものである。

岡本先生ふたたび

2008-01-22 14:18:14 | 学校
 昨日H氏に40年ぶりに連絡が入った。小学校の同級生からの同窓会参加の有無を聞く電話で「わたしのこと、憶えてる?」らしき質問に「おお~もちろん、おぼえてるやんけ~」とか目を輝かせている様は、もう絶対精神的タイムスリップして小学生になっていたのだ。あの電話嫌いなH氏が嬉々として電話している姿をほぼ初めてみたかも(笑)

 そして私の方は、(宛名はTくんだったが)ほぼ10年ぶりに懐かしい人からのハガキがきた。Tくんが小学校に入学してから、3年間副校長として活躍しておられた岡本先生である。

 子どもたちの「これ(何か)をしたい!」という気持を大切に育てられる先生だった。もちろん子ども達にも絶大な人気を誇り、PTAでも保護者へのフォローと励ましと深い理解により信頼を得ておられた。私はたまたま子どもが低学年のときに役員をさせていただいたので、PTA担当でもある岡本先生のお話を聞く機会も、直にお話する機会ですら何回も持てる僥倖を得た。

 Kちゃんが1年生でもっていただいた大ベテランのO先生(この方も偉大な存在感とパワー溢れる先生!)が「(小学校教師として)素晴らしい尊敬すべき素敵な方」と私の連絡ノートに絶賛されて書かれていたが、その頃にはもう岡本先生は退職されていた。

 お茶目でユーモアとウィットに富んだ先生。繊細で音楽的に素晴らしい指導力を発揮されて、クラシックの名曲を子ども達の個性に合わせて選ばれ、小学生にも演奏出来るよう、自ら楽譜をつくり編曲されたりしたらしい。

 労を惜しまず、あっと驚く工夫やオリジナリティ溢れるアイディアをお持ちだった。 たとえば子ども達が飼育しているニワトリが卵を産むと、それを順番にお持ち帰りできたのだが、お持ち帰り用卵に、必ずカラーペンでニワトリイラストを描いてくださった。私はあまりの感激でTくんが持ち帰った卵の底に穴をあけて中味を出し、殻は永久保存版とした(笑)

 なんらかの事情で道半ばで教師を辞められたことは、たいへんな苦しさや悲しみを伴ったはずである。しかしそれをどのようにかテコにされることを祈りつつ、「いまどうされているのかしら」とつい先月にもしみじみ思っていたところだった。

 そんなところへ、先生の名前を発見した喜びたるや! しかも小学校教師時代のことを書かれている著書を出されたのだ。Tくんにハガキを渡してしまったのだけど、本のタイトルは憶えてるから注文して購入しなくっちゃ!

<http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%89%AA%96%7B%97r%88%EA/list.html>『子どもがくれた宝もの―教育実践ノート』

(京都)晃洋書房 (2008-01-20出版)  岡本 羊一【著】