「マシンはオレを裏切らない!」
このセリフは、多くのアニメのマッドサイエンティストやメカニックが発する定番として知られた言葉である。
わたしも技術屋のはしくれなもので、その立場にかなり近い。
というか、はたから見たらそんなことを言いそうなヤツだと思われかねないポジションにある。
さて、この言葉は正しいのか?
わたしだったらどう思うかを書いてみようかと思う。
そもそも、マシンは裏切るものなのか?
答えはYES。
マシンはカンタンに人を裏切る。
自分の理解が及ばなかったとき、人はマシンに裏切られる。
車のネズミ捕り探知機に例えてみる。
大概のヤツは電波を受信して警報を鳴らす。
ちょっといいヤツになればGPS受信機を搭載していて、ヤバいところに差し掛かったら警報を鳴らしてくれるヤツもある。
ところが、警察が光学式の探知機に変えたらどうなるだろうか?
ネズミ捕り探知機では検出できない。
あなたはサイン会場にお呼ばれし、ありがたいお布施を払うハメになる。
きっとそのときには、ネズミ捕り探知機に裏切られたと思うだろう。
そうではなくて、光学式の探知機があるのを予め知っていて、自分の持っているマシンでは対応できないことも予め知っていれば、あなたはマシンには裏切られない。
自分の理解度が足りないとき、マシンは裏切るのだ。
このことは研究や開発に従事する場合にもいえる。
そもそもにおいて研究開発では、だれもやったことがない研究をしたり、だれも作ったことがないものを開発したり、そういったことが一般業務になる。
しょちゅう巧くいかなくてアタマをかかえている。
だから、時にはアタマをヒネり、ときには手当たりしだい実験し、だれも知らないことを手探りでやっていくハメになる。
だいいちだれがやっても研究や開発がスムーズにいくなら、わざわざ高いカネ払って技術屋を雇う意味はないのだから。
だれも知らないことをやってみたら、マシンは確実に裏切り行為を働く。
だが、なぜマシンが裏切り行為を働いたのかを見極め理解したとき、それは特許になり論文になり技になるのだ。
つぎからはマシンは裏切らない。
「マシンは裏切らない」という言葉の根拠は、マシンは物理現象のカタマリで作られているから、その中で起きている物理現象を正しく理解してしまえば想定外の動作は起こさないということに起因している。
そして「マシンが裏切る」というのは、その中で起きている物理現象をまだちゃんと理解してしていないからだ、とも言い換えられる。
ところが!
分野によってはそれが成り立たない。
物理現象を相手にするのではなく、人が作ったルールの上でモノを作る場合にそれは成り立たない。
たとえばソフトウェアがそうだろう。
自分が作ったソフトがうまく動かなかったとしよう。
つまりどっかにバグがあるわけだ。
大概の場合、それが自分のせいな確率は非常に高い。
自分がミスったせいでマシンに裏切られるケースがほとんどである。
しかし、そうではないことも起こる。
コンパイラの仕様がおかしいためにプログラムがまともに動かないとか、人が作った関数を呼んだときにそっち側にバグがあって変な値を返すとか、OSのせいで挙動がおかしいとか、そんな場合である。
どんな達人でも必ず定期的にマシンに裏切られるが、これはどうしようもない。
こういった不具合にハマって何時間も使ってしまうと、ホントよのなか理不尽だよな・・・って思ってしまう。
これはソフトウェアが物理現象ではないからだ。
だからどうしようもない。
他にも、経済学なども人間の挙動に左右されるものであるからして、物理現象では説明できない分野である。
これもカンタンに裏切られる。
よく言う笑い話に、経済学者が大金持ちになってないのはおかしいだろってのがあるが、経済は物理現象ではないからそれは仕方がないのである。
キホン的に物理現象ではないモノは理不尽さが増す傾向にあるのだ。
では、最も物理現象からほど遠いモノは何だろうか?
最も理不尽さが高いモノは何だろうか?
恐らく人間の心や感情だろう。
人の心や感情は完全には理解できない。
だからいつまでたっても人には裏切られる。
人の心や感情は最も理不尽な存在なのだ。
人付き合いの苦手なマッドサイエンティストやメカニックが人と対峙したとき、その理不尽さに思わず
「マシンは裏切らない」
と言いたくなるのも解らんでもない。
しかし、わたしはそれは本質を正しくついた言い回しではないように思う。
わたしだったらこう言うだろう。
「マシンは理不尽ではない!」
と。
このセリフは、多くのアニメのマッドサイエンティストやメカニックが発する定番として知られた言葉である。
わたしも技術屋のはしくれなもので、その立場にかなり近い。
というか、はたから見たらそんなことを言いそうなヤツだと思われかねないポジションにある。
さて、この言葉は正しいのか?
わたしだったらどう思うかを書いてみようかと思う。
そもそも、マシンは裏切るものなのか?
答えはYES。
マシンはカンタンに人を裏切る。
自分の理解が及ばなかったとき、人はマシンに裏切られる。
車のネズミ捕り探知機に例えてみる。
大概のヤツは電波を受信して警報を鳴らす。
ちょっといいヤツになればGPS受信機を搭載していて、ヤバいところに差し掛かったら警報を鳴らしてくれるヤツもある。
ところが、警察が光学式の探知機に変えたらどうなるだろうか?
ネズミ捕り探知機では検出できない。
あなたはサイン会場にお呼ばれし、ありがたいお布施を払うハメになる。
きっとそのときには、ネズミ捕り探知機に裏切られたと思うだろう。
そうではなくて、光学式の探知機があるのを予め知っていて、自分の持っているマシンでは対応できないことも予め知っていれば、あなたはマシンには裏切られない。
自分の理解度が足りないとき、マシンは裏切るのだ。
このことは研究や開発に従事する場合にもいえる。
そもそもにおいて研究開発では、だれもやったことがない研究をしたり、だれも作ったことがないものを開発したり、そういったことが一般業務になる。
しょちゅう巧くいかなくてアタマをかかえている。
だから、時にはアタマをヒネり、ときには手当たりしだい実験し、だれも知らないことを手探りでやっていくハメになる。
だいいちだれがやっても研究や開発がスムーズにいくなら、わざわざ高いカネ払って技術屋を雇う意味はないのだから。
だれも知らないことをやってみたら、マシンは確実に裏切り行為を働く。
だが、なぜマシンが裏切り行為を働いたのかを見極め理解したとき、それは特許になり論文になり技になるのだ。
つぎからはマシンは裏切らない。
「マシンは裏切らない」という言葉の根拠は、マシンは物理現象のカタマリで作られているから、その中で起きている物理現象を正しく理解してしまえば想定外の動作は起こさないということに起因している。
そして「マシンが裏切る」というのは、その中で起きている物理現象をまだちゃんと理解してしていないからだ、とも言い換えられる。
ところが!
分野によってはそれが成り立たない。
物理現象を相手にするのではなく、人が作ったルールの上でモノを作る場合にそれは成り立たない。
たとえばソフトウェアがそうだろう。
自分が作ったソフトがうまく動かなかったとしよう。
つまりどっかにバグがあるわけだ。
大概の場合、それが自分のせいな確率は非常に高い。
自分がミスったせいでマシンに裏切られるケースがほとんどである。
しかし、そうではないことも起こる。
コンパイラの仕様がおかしいためにプログラムがまともに動かないとか、人が作った関数を呼んだときにそっち側にバグがあって変な値を返すとか、OSのせいで挙動がおかしいとか、そんな場合である。
どんな達人でも必ず定期的にマシンに裏切られるが、これはどうしようもない。
こういった不具合にハマって何時間も使ってしまうと、ホントよのなか理不尽だよな・・・って思ってしまう。
これはソフトウェアが物理現象ではないからだ。
だからどうしようもない。
他にも、経済学なども人間の挙動に左右されるものであるからして、物理現象では説明できない分野である。
これもカンタンに裏切られる。
よく言う笑い話に、経済学者が大金持ちになってないのはおかしいだろってのがあるが、経済は物理現象ではないからそれは仕方がないのである。
キホン的に物理現象ではないモノは理不尽さが増す傾向にあるのだ。
では、最も物理現象からほど遠いモノは何だろうか?
最も理不尽さが高いモノは何だろうか?
恐らく人間の心や感情だろう。
人の心や感情は完全には理解できない。
だからいつまでたっても人には裏切られる。
人の心や感情は最も理不尽な存在なのだ。
人付き合いの苦手なマッドサイエンティストやメカニックが人と対峙したとき、その理不尽さに思わず
「マシンは裏切らない」
と言いたくなるのも解らんでもない。
しかし、わたしはそれは本質を正しくついた言い回しではないように思う。
わたしだったらこう言うだろう。
「マシンは理不尽ではない!」
と。