世間では
「だれだれが○○って自慢してきてさぁ・・・」
というような会話はよくある。
たいがいはかなり悪い印象を持っての言葉として使われる。
ところが、わたしは人が自慢しに来たところで、そういった悪い印象は受けることがほとんどない。
そもそもわたし自身が人を妬ましいとか羨ましいとか思って見ることがほとんど無いからだろう。
ダチにもそういう指摘を受けたことがあるので、これは客観的に見てもたぶん間違ってはいないと思う。
(たぶんそう思うようになったのも、自分の裁量でどうにでもできるようになった社会人となってからだと思う。自分の裁量というものがほとんど無かった高校生までは多分そうではなかった。)
むしろ、人の自慢話を積極的に肯定しようと思う。
自慢を語るその人物が、どういうことに関心があって、どういう特技があって、どういう人物なのか、それを知って仲良くなるには良い機会だろう。
たとえば誰々がスポーツカーを買ったと言えば、そのスポーツカーを乗りこなそうという真摯な姿勢に感服するし、また車ネタで話は盛り上がるし、それはそれで楽しい。
たとえば誰々がどこぞの大学に受かったと言えば、青春を賭して勉強したその努力に敬意を表するし、何が好きで何をしたいとかいったビジョンでも話は盛り上がるし、それはそれで楽しい。
しかし!
そんなことを言ったところ、人から全否定されたことがある。
そいつは顔見知りの女なのだが、
「男の自慢はかっこわるいよ!」
という。
で、なにがかっこわるいかというとだ・・・
合コンにでも行くと、決まって
「ボクはパパにマンション買ってもらったんだ♪」
とか、
「ボクのパパは開業医でお金持ちなんだぜ♪」
とか、
自慢してくるヤツは大概そんなことしか言わないからだそうだ。
たしかにこれはかっこ悪い。
むちゃくちゃかっこ悪い。
なにがかっこ悪いって、これは自分の自慢じゃないからだ!
たとえばマンションを買うにしても、自分のサイフからカネ出して買ったなら自慢になる。
それだけの高額なローンを組める経済的バックグラウンドと度胸と覚悟があるからだ。
それはそれでカッコいい。
たとえば開業医にしても、自分が開業医なのであれば自慢になる。
開業医となるだけの語られぬ背景がそこにあるからだ。
それはそれでカッコいい。
だが、自分で努力して掴み取ったものでない、さっきのようなパパにしてもらったものは自慢しても全く屁のつっぱりにもならんのだ。
(そもそも親がどうこうというのは自分の自慢には値しない。逆に子供や孫のことは自慢に値する。)
たぶんこういった自慢をするバカな男は後をたたないだろう。
それくらいしか自慢するものがないのだろうか。
逆に、その程度の自慢でひっかかるようなバカねーちゃんがあまりにも多いのか・・・。
さすがにこんなおバカな自慢話を目の前で拝聴する好機にめぐり合ったことはない。
だが聞いたとしても「はあそうですか」と思うのがせいぜいで、別に妬ましいとかひがむとかいったように思うことは多分無い。
そもそもわたしが自慢されたと自覚していない可能性もあり、その手の話はいつもスルーしていて頭に残っていないのかもしれん。
まあ、それはおいといて。
世の中には、自慢話を聞くと決まって妬ましいとか羨ましいとか思い、そして自慢げに言ってきたことを悪く吹聴するヤカラも多い。
というか、悪く吹聴するところまではいかないにしろ、妬ましいとか羨ましいとか思うほうがむしろ多数派かもしれん。
そうすると、自慢するだけのモノを持っているヤツは口には出さなくなる。
さっきのパパに何か買ってもらったとかそんな低いレベルのモノしか持っていないヤツじゃなく、自分の手で勝ち取ったモノを持っているヤツほど恐らく口には出さなくなる。
ダチの中に東大卒の男もいるが、この男は同期の中でも1,2を争うほどアタマが切れるすごいヤツなのだが、自慢げな話を持ってくることが全くない。
そういう話はつまらんと切って捨てる出来た人物なのか、世間的にはさっきのような反応がありうることを良く知っているからこそ危険だから口にしないのか、そこまではわからんが、とにかくそんな話をしない。
しかしこれはもったいない。
少なくともわたしは自慢話を肯定的に聞くし、世間的にも少なくとも日本人はそうあってほしいと願う。
・・・さて。
なんでこんな話になったかというと。
旧ゴンゾデジタル部門のグラフィニカがホームページを開設したという時事ネタ(※1)があって、そのwebサイトを見にいったときのことだ。
そこでのかつての受注実績を見ると、それこそそうそうたる顔ぶれが並んでいるのである。
それも、興行的には成功しなかったにしろ、その3DCGなどの映像面は非常に高く評価された作品群がズラリとならんでいるわけである。
あらためて見ても彼らの仕事っぷりはカッコいいと思った。
彼らの仕事っぷりが無かったらGONZOをここまで好きにはならなかったかもしれない。
これは自慢に値する見事な仕事だ。
だが、こういうのはいち個人がやるとハナにつくと言われかねない。
そういうのをいち個人でもおおっぴらにやれる世の中であってほしいと思った次第である。
【※1 旧ゴンゾデジタル部門のグラフィニカがホームページを開設】
ニュース引用元
http://animeanime.jp/news/archives/2009/08/post_872.html
http://japanimation.blog72.fc2.com/
グラフィニカ
http://www.graphinica.com/
「だれだれが○○って自慢してきてさぁ・・・」
というような会話はよくある。
たいがいはかなり悪い印象を持っての言葉として使われる。
ところが、わたしは人が自慢しに来たところで、そういった悪い印象は受けることがほとんどない。
そもそもわたし自身が人を妬ましいとか羨ましいとか思って見ることがほとんど無いからだろう。
ダチにもそういう指摘を受けたことがあるので、これは客観的に見てもたぶん間違ってはいないと思う。
(たぶんそう思うようになったのも、自分の裁量でどうにでもできるようになった社会人となってからだと思う。自分の裁量というものがほとんど無かった高校生までは多分そうではなかった。)
むしろ、人の自慢話を積極的に肯定しようと思う。
自慢を語るその人物が、どういうことに関心があって、どういう特技があって、どういう人物なのか、それを知って仲良くなるには良い機会だろう。
たとえば誰々がスポーツカーを買ったと言えば、そのスポーツカーを乗りこなそうという真摯な姿勢に感服するし、また車ネタで話は盛り上がるし、それはそれで楽しい。
たとえば誰々がどこぞの大学に受かったと言えば、青春を賭して勉強したその努力に敬意を表するし、何が好きで何をしたいとかいったビジョンでも話は盛り上がるし、それはそれで楽しい。
しかし!
そんなことを言ったところ、人から全否定されたことがある。
そいつは顔見知りの女なのだが、
「男の自慢はかっこわるいよ!」
という。
で、なにがかっこわるいかというとだ・・・
合コンにでも行くと、決まって
「ボクはパパにマンション買ってもらったんだ♪」
とか、
「ボクのパパは開業医でお金持ちなんだぜ♪」
とか、
自慢してくるヤツは大概そんなことしか言わないからだそうだ。
たしかにこれはかっこ悪い。
むちゃくちゃかっこ悪い。
なにがかっこ悪いって、これは自分の自慢じゃないからだ!
たとえばマンションを買うにしても、自分のサイフからカネ出して買ったなら自慢になる。
それだけの高額なローンを組める経済的バックグラウンドと度胸と覚悟があるからだ。
それはそれでカッコいい。
たとえば開業医にしても、自分が開業医なのであれば自慢になる。
開業医となるだけの語られぬ背景がそこにあるからだ。
それはそれでカッコいい。
だが、自分で努力して掴み取ったものでない、さっきのようなパパにしてもらったものは自慢しても全く屁のつっぱりにもならんのだ。
(そもそも親がどうこうというのは自分の自慢には値しない。逆に子供や孫のことは自慢に値する。)
たぶんこういった自慢をするバカな男は後をたたないだろう。
それくらいしか自慢するものがないのだろうか。
逆に、その程度の自慢でひっかかるようなバカねーちゃんがあまりにも多いのか・・・。
さすがにこんなおバカな自慢話を目の前で拝聴する好機にめぐり合ったことはない。
だが聞いたとしても「はあそうですか」と思うのがせいぜいで、別に妬ましいとかひがむとかいったように思うことは多分無い。
そもそもわたしが自慢されたと自覚していない可能性もあり、その手の話はいつもスルーしていて頭に残っていないのかもしれん。
まあ、それはおいといて。
世の中には、自慢話を聞くと決まって妬ましいとか羨ましいとか思い、そして自慢げに言ってきたことを悪く吹聴するヤカラも多い。
というか、悪く吹聴するところまではいかないにしろ、妬ましいとか羨ましいとか思うほうがむしろ多数派かもしれん。
そうすると、自慢するだけのモノを持っているヤツは口には出さなくなる。
さっきのパパに何か買ってもらったとかそんな低いレベルのモノしか持っていないヤツじゃなく、自分の手で勝ち取ったモノを持っているヤツほど恐らく口には出さなくなる。
ダチの中に東大卒の男もいるが、この男は同期の中でも1,2を争うほどアタマが切れるすごいヤツなのだが、自慢げな話を持ってくることが全くない。
そういう話はつまらんと切って捨てる出来た人物なのか、世間的にはさっきのような反応がありうることを良く知っているからこそ危険だから口にしないのか、そこまではわからんが、とにかくそんな話をしない。
しかしこれはもったいない。
少なくともわたしは自慢話を肯定的に聞くし、世間的にも少なくとも日本人はそうあってほしいと願う。
・・・さて。
なんでこんな話になったかというと。
旧ゴンゾデジタル部門のグラフィニカがホームページを開設したという時事ネタ(※1)があって、そのwebサイトを見にいったときのことだ。
そこでのかつての受注実績を見ると、それこそそうそうたる顔ぶれが並んでいるのである。
それも、興行的には成功しなかったにしろ、その3DCGなどの映像面は非常に高く評価された作品群がズラリとならんでいるわけである。
あらためて見ても彼らの仕事っぷりはカッコいいと思った。
彼らの仕事っぷりが無かったらGONZOをここまで好きにはならなかったかもしれない。
これは自慢に値する見事な仕事だ。
だが、こういうのはいち個人がやるとハナにつくと言われかねない。
そういうのをいち個人でもおおっぴらにやれる世の中であってほしいと思った次第である。
【※1 旧ゴンゾデジタル部門のグラフィニカがホームページを開設】
ニュース引用元
http://animeanime.jp/news/archives/2009/08/post_872.html
http://japanimation.blog72.fc2.com/
グラフィニカ
http://www.graphinica.com/