教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

クイズ番組の算数問題はふざけすぎ

2009-12-29 00:06:47 | 科学
TV番組というものは今も昔もクイズ番組が大好きだ。
バラエティー番組の小コーナーでクイズを出すものも含めるとかなりの頻度になる。

べつにわたしはクイズ番組が嫌いというわけではない。
というか、科学モノや歴史モノや気候風土モノをあつかうクイズ番組はおもしろい。

しかし!

どうしても気に入らないところがある。
算数の問題だ。



バラエティー番組の小コーナーのクイズでは、よく一般常識を問うような問題が出題される。
これはあくまでもわたしの目から見たらの話になるが・・・
漢字や慣用句の問題はムチャムチャ難しくて正解がわかったためしがない。
しかし算数の問題は(必ずしもではないが一般的には)アホじゃないかと思うほどカンタンだ。
あまりにも国語と算数で難易度に差がありすぎるような気がしてならないのだ。
(ちなみに気に入らないところはここではない)

なぜこういう事が起きるのだろうか。

先日の記事(※1)のように、放送局へ就職したい理系の大学生はことごとく理系に興味がないヤツらばかりだというのも原因の一端だろう。
しかしそれだけではないという気がする。

ではなぜか。
例によって仮説をたててみよう。

一般的に理系と文系のどちらが多いかというと、そりゃあ文系のほうが多いにきまっている。
だから、一般的には国語より算数のほうに苦手意識を持つ者のほうが多そうだということだ。

希少生物である理系人間が国語の問題を見て
「こんなん解けねえよ!」
と文句を言ったところで所詮は希少生物。
ひたすらマス層を追及するTV局に相手にされるわけがない。

では、マス層たる文系人間がそろって
「こんなん解けねえよ!」
というとどうだろう。
TV局はマス層の人たちが問題を解けない自分がバカだと言われた気がするような番組を見たがらないかもしれないと先読みし、問題の難易度を下げるかもしれない。

ちなみに理系のわたしは国語の問題を見てぜんぜん解けなくても気にはならない。
わたしはみずから文系科目を捨てて生きる選択をしたわけだし、その作戦は現時点でそこそこ成功しているわけなので、解けなくてもどうとも思わない。
また、バシバシ答えられる回答者が出てきたとしたら素直に感心する。

しかしそれが文系⇔理系が逆のパターンにも通用するのかどうかはわからない。
もし通用するとしたら先の解釈は先走りすぎだということにはなる。
わたしは文系ではないので文系人間が算数の問題を見たときの気持ちを1ミリも理解することはできないために真実はナゾのままだ。

この条件下でのTV局の結果はどうだろうか。
算数はだれでも解けるような問題しか出さなくなるのは明白だ。

そしてバカさ加減を売りにしている芸能人に解かせ、(台本上わざとなのかもしれんが)ベタベタに間違えた回答をする。
それを見た視聴者は
「なんだこいつ、こんなものも解けないのかよwww」
と、あざけり笑って楽しむ。

これはいただけない。
自分よりさらに劣る人を見て自分はまだマシだと思って生きていく国民性になるのはいただけない。
そういう番組はどうよ?と思うのは当然だろう。

さらにいただけない事がある。
その番組を見たものは、そのカンタンな算数が解けないのが世間の平均レベルだと錯覚し、それを解ける自分はまだマシなほうだと思ってしまう危険性がある。
これは教育に対する社会全体の目標レベルが下がることも意味する。
少なくとも日本国内においては、分数の足し算やら整数の割り算やらができるくらいのものではご近所さんに鼻が高いというレベルではないことくらいあたりまえなのだから。

科学技術を駆使して他の国では作りえないものをつくり、それを買ってくれた対価で外国から食料や天然資源を買わねばならぬ日本。
その日本でマスコミが算数や数学のレベルが下がるほうへ誘導しているのは極めて危険なことだと思う。
べつに全員が高等数学を扱える必要はないが、それでもTV局は平均値を下げるように足をひっぱるのだけはやめてほしいものだ。



【※1 先日の記事】
10年後にはテレビは存在していない?
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20091012