笑顔浴

優しい時間

手放す

2010年05月31日 | Weblog
「物言わぬ車でも、庭から消えると寂しい」と母が申します。
「マーチ」が占領していた場所で、今ではハリー君が昼寝をしています。
自家用車と共に過ごした 便利で、快適で、トラブルも発生した日々が
かけがえのない思い出に変わろうとしています。

母が「マーチ」を手放したように、私も年々手放すモノが増えています。

■「健康」や「運動能力」、増えた白髪にもびっくりです。
 身体はいずれ灰にして地球に返却しますから、
 50歳代の私にできることで楽しみましょう。
 身体能力の衰えは特に不便に感じますが、
 一生ずっと絶好調の身体のままでは 私は死期を悟るに至らず
 寿命を潔く受け入れないでしょう。
 徐々に変化する身体が限りある生命を実感させてくれます。
 それにしても、お嬢さん→お婆さんまでをひとりで演じるなんて凄い!
 
 
■「職場」「活躍の場」から退場する時は、
 ほっとする安堵感と、役割期待のない寂しさを感じます。
 それでも「新しい場」に馴染む頃には思い出に変わっています。
 生涯現役を目指す私は、最後まで手放なさいぞ!と強く想っているのですが。
 

■「家族」「恋人」「友人」と別れる時には、心が痛みます。
 出逢う回数だけ、別れの回数があるとすれば、これからも別れが続きます。
 父親と母親を誰にするか、人生の先生まで自分で選んで誕生するらしいと
 教えてもらって、そうかもしれないと自然に感じます。
 同じ時代に生まれ、何億という人々の中で出逢う奇蹟が偶然のような必然のような・・
 さて、出逢った人々に「私は最善を尽くしたか?」と自問自答中です。
 
 
「失った」と表現すると、私は途端に寂しさや不安を感じます。
以前と似た思い出を作れないぞ~という欲求不満からです。
「得た」と表現すると途端に希望が生まれるのは不思議です。
条件を変えたから、以前とは違う思い出を作る機会を
手に入れたぞ!と愉しめる私になれますように。
手放すことで自由になった手で、新しいものを掴めますように。

ひとり暮らしの母は、車を手放して友人と交流する機会が増えました。
デイからは送迎の車がきますし、マイクロバスに乗り合わせて教会を訪問したり、
どなたかが同乗させてくださるらしく、相談できたり、おしゃべりも弾むそうです。

「悪いことも良い事も丁度半々ね」ということにしている私達です。


*写真は自宅の廊下から眺める瀬戸内海の夕焼けです
 今日も穏かに過ごせました。 




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする