笑顔浴

優しい時間

怨み

2011年09月20日 | Weblog

 

チャンネルサーフィンしててたまたま仏教のお話を拝聴しました。

講師が、苦悩を生み出すものは「怨み」であると語られました。

アナウンサー「腹ペコで、アンパンを食べてる時に、他人に盗られたら、怨みませんか?」

先生 「アンパンを、金を支払った自分の物だと思うから、盗られたと感じるのです。」

次回は、執着についてと予告したら さっと終わってしまいました。

 

民法上は、法律に沿った手続きで入手したアンパンの所有権は私にあるのでしょうけど・・・

所有物が増えるにつれて、怨みも増えてくるってどういうことか考えてみました。

所有物って? 物 カネ 不動産 人 ペット 仕事 チャンス 思い出 未来 etc

単語の頭に「私の」を付けてみると、思い入れが深くなって 執着しちゃうな。

よい面がでると、献身的に尽くせるので 仲良く暮らせて、バリバリ働ける  

悪い面がでると、自分の物という考えからの虐待、

自分が持ってないものを持つ他者をねたみ、

持ってる方も 盗られまいと戦い 失って怨みが生じるのでしょうか

金銭・不動産トラブル 恋愛トラブル 家庭・ご近所トラブル 職場トラブル 行政トラブル

 いろんなケースを想像してみました。

 

さて、さっきのテレビの続きですが

もしも、アンパンを仏の持ち物と考えると、

ほおばらせてもらえて美味しゅうござった!ということになるでしょう。

大金を所有していても、「食物」がなければ、食べられないわけで

一口であっても食した時点で 感謝できます。

全部よこせという欲張りを、良しとしないのかもしれません。

 

金銭も仏の持ち物と考えると

アンパンを買う代金を 私に持たせてもらったことに感謝できます。

手元にお金があることは当り前でないと 謙虚でいられます。

 

自分の身体と思わず、借物と考えると

大切に使おうとしたり、顔のつくりや髪の質 手足の長さ等

身体への不平不満が減るかもしれません。

 

仏に与えられた財産は た易く取り上げられてしまいます。

悪意に満ちた盗賊が 実は仏の化身の場合もあるとか。

アンパンを盗る時に殺されたら、生命までお返しすることになります。

一瞬で全てを失う自然災害もダラダラと続く病気も仏の御心と 

昔の人々は考えて、苦難や絶望を乗り越えておられたのでしょうか。

そうなることに何か意味があると考えずにはいられませんもの。

 「悩みは、怨みから」を、もう少し味わってみます。

 

 

 

 


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