夕食を食べながら、「何で八百長っていうのかね?」
と母が聞くので、今夜はウキペデアで由来を読みました・・・
■八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべい)」さんに由来するらしい。
八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、
大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間だったので
八百屋の商品を買ってもらおうと、わざと負けては伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれた本因坊秀元と
互角の勝負をしたので、長兵衛の本当の実力がわかり、
以来、真剣に争っているように見せながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを
八百長と呼ぶようになった。
どちらが勝っているかを愚直に競うスポーツの世界や
お金をかけるギャンブルの世界では、
勝負を先に決めておくことは、絶対にしてはいけないそうですが
興業や見世物では、よりドラマチックになるよう演出するそうですね。
ところで、八百屋の長兵衛さんは、(能ある鷹が爪を隠す) 囲碁の達人です。
私が想像するに、囲碁の初心者をはじめ、どなたに対しても負けてあげたのではないでしょうか?
囲碁仲間とあるから、きっと接戦にもちこんで十分ゲームを楽しませたに違いありません。
機嫌をとるためにわざと負けるという見方もありますが
喜ばせてあげたら、好かれるのは人情ですから
結果として、囲碁仲間が八百屋を訪ねてくれるようになったのかもしれません。
本当に実力のある人だけが、勝負の時は小気味よく勝利し
弱い相手に、気持ちよく勝ちをゆずれるわけです。
中途半端だと、そうはゆかない。
実力が無い者にいたっては、負けた言い訳に忙しく
弱い相手を選んでは、勝ったと見栄をはる。
囲碁の実力を、人と関わる実力に読み替えてみると、似たような現象をみかけます。
私はどのくらい力をもっているかしらん。
こう考えると
人生の負け組と見られている人々の中に、
真の勝ち組の人が、負けたフリをして混在している可能性もあります。
人は、見た目や状況で判断しづらいものなので
簡単に結論しないほうがいいですよね。
勝った負けたは、本当のところ、よくわからないものですもの。