隣の車の女性が赤ちゃんを抱いて降りた時 バン!と音がしました。
彼女は私の車のドアを見たので、謝るのかな?と思ったら
他のブースに移動して、児童館に入って行きました。
電話中の私が気がついてないと判断したのでしょうか。
・・嘘でしょう~と確認すると
白い塗料がドアの形のまま残り、指でこすっても消えませんでした。
児童館に行けば直接対話ができますが、 お友だちと楽しんでるかも知れないし、まあ、いいか。 車内に居なかったら 「誰よ!今日はついてないなあ」で終わるんですもの。 見なかったことにするか。
否。「ほしいストロークは、求めよ」
(ストローク:交流分析理論の用語で、対話とかやりとり、関わる意味)
私も半分譲歩して、メッセージを後ろのワイパーに挟んでおきました。
挟んだメモを捨てたら済むことなので、駄目で元々です。
「私の車にドアを当てて 白い跡を見たのに あやまりもせず
車を移動させるのは、良くないことですよ 氏名 携帯電話の番号」
留守電にお詫びが入っており、示談交渉成立でした。
「人」を責めないで「行為」を批判するメリットは
「行為」を変えた時点で「人」が開放されるところですね。
逃げるなんて卑怯者め!と「人」を責めれば、
卑怯者が変わるのに、随分の時間と努力がかかりそうです。
その点、「行為」を変えて謝れば、自由になれる方が互いに楽です。
「私のせいではなく、強風でドアが勝手にぶつかった」
という 私は悪くないという言い分を
「そうでしたか、今日は強風でしたものね」と受け入れると
「お詫びの品を持って修繕費を持参し、
お目にかかってちゃんと謝罪する」
という対応になりました。
「小さなお子さんがいらっしゃるようなので、
口座振込みでかまいません」と伝えました。
強風の悪戯で、
私も彼女もコミュニケーションスキルの演習になりました。